今日の読売新聞夕刊の「よみうり寸評」は宮崎勤死刑囚の刑の執行について。 20年前の彼の事件以降、神戸の連続児童殺傷から先日の秋葉原まで、人間関係がうまく築けない人々による殺人事件が続いていると述べている。
通り魔や連続殺人の犯人の共通性、それを生み出す社会の問題点を分析する報道が目につくが、「私」も「あなた」もそんな犯人を生み出す社会で生活していて、その社会を作っている一部だという視点・認識が欠如しているように感じる。 事件を起こした人が生活していた社会と、その事件を分析する「私」とその分析結果を読んでいる「あなた」のいる社会とはまったくの別物。
「私」と「あなた」がそんな風に感じている間も、この社会の中で「人間関係をうまく築けない人々」は生活している。
通り魔や連続殺人の犯人の共通性、それを生み出す社会の問題点を分析する報道が目につくが、「私」も「あなた」もそんな犯人を生み出す社会で生活していて、その社会を作っている一部だという視点・認識が欠如しているように感じる。 事件を起こした人が生活していた社会と、その事件を分析する「私」とその分析結果を読んでいる「あなた」のいる社会とはまったくの別物。
「私」と「あなた」がそんな風に感じている間も、この社会の中で「人間関係をうまく築けない人々」は生活している。
で、攻撃的に接することで、社会との接点を確保する方がいます。
電子の世界でもそうですが、加害者意識がないままに加害者になり、疎外感が自分だけ、責任は全て他人というのが、末恐ろしいですね。
自分の言動で、誰かを傷つけないというのは無理でしょうが、努力はしています。そのことが、愛の鞭、成長のための予防接種となればよいのですが。。。