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聴刻堂日乗

こそばゆい誤解

会社勤めの友人と久しぶりの再会。
梅田で飲んだ。

いま何をしてるかと訊かれた。
ケアラーと答えた。

事実、聴刻堂の仕事は休業状態。
老父母のケアで手一杯だ。

友人からは同情された。
ケアはプロに任せて仕事しなよ。

そのうちね、と笑い飛ばした。
様々な匂いがする言葉だった。

ケアなんて価値が低いという匂い。
時給など金に換算したら正しい。

また、後ろめたさの匂いも混じる。
親に対する自分の姿勢の自己弁護。

勿論それらはほんの一抹の匂いだ。
殆どは真摯に同情してくれている。

一方、自分としては少し違うのだ。
不本意な自己犠牲ばかりではない。
親思いの孝行息子でもないのだ。

誰も避けられない老いという問題。
いまの社会が抱える高齢化の問題。

当事者として正面から向き合おう。
どういうことか肌で感じておこう。

それがいまの自分の考え方。
同情はありがたいが、こそばゆい。

今やってるケアが立派と思わない。
愚痴と自己嫌悪の毎日だ。

限界はどこかでくると思う。
いずれプロの世話になるはずだ。

それがいつになるか分らんけど。
その時まで、やな。

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