
たそがれに
紫式部原作 源氏物語「夕顔」より
音楽:ドビュッシー 「小さな羊飼い」「忘れられた映像(1894)」
ピアノ演奏:柳沼和子
語 り:みさきすずか
構 成:Misaki Suzuka
黄昏に 紫式部作 源氏物語「夕顔」の帖より
六條わたりの御忍びありきのころ、内裏(うち)よりまかで給ふ中宿りに、「大貳(だいに)の乳母の、いたく、わづらひて、尼になりにける、とぶらはん」とて、五條なる家、たづねておはしたり。
切懸 だつものに、いとやかなるかづらの、心地よげにはひかかれるに、白き花ぞ、おのれひとり、ゑみの眉開けたる。
「をちかた人に物申す 」
と、ひとりごち給ふを、御 随身(ずゐじん)つい居て、
「かの、白く咲けるをなん、「夕顔」と、申し侍る。花の名は人めきて、かう、あやしき垣根になん、咲き侍りける」
と申す。
げに、いと小家がちに、むつかしげなるわたりの、このもかのも、怪しくうちよろぼひて、むね〱しからぬ、軒のつまごとに、這ひまつはれたるを、
「くちをしの、花の契りや。一房折りて参れ」
と、の給へば、この、押しあげたる門に入りて折る。
さすがにされたる 鑓戸 口に、黄なる 生絹(すずし)の単袴、長く着なしたる童の、をかしげなる、出で来て、うちまねく。白き扇の、いたうこがしたる を、
「これに置きて、参らせよ。枝も情けなげなめる花を 」
とて、とらせたれば、門あけて惟光の朝臣出で来たるして、たてまつらす。
紙燭 召して、ありつる扇御覧ずれば、もて馴らしたる移り香、いと、しみ深う、なつかしくて、をかしうすさび書きたり。
心あてにそれかとぞ見る白露のひかりそへたる夕顔の花 (夕顔)
そこはかとなく、書きまぎらはしたるも、あてはかに、故づきたれば、いと、思ひのほかに、をかしうおぼえ給ふ。
寄りてこそそれかとも見めたそがれにほのぼの見つる花の夕顔 (光)
御さきの松明(まつ)ほのかにて、いとしのびて、いで給ふ。半蔀(はじとみ) は、おろしてけり。ひま〱より見ゆる火の光、蛍より、けにほのかに、あはれなり。
八月十五夜、隈なき月かげ、ひま多かる板屋、のこりなく漏りきて、見ならひ給はぬすまひのさまも、珍しきに、あかつき近くなりにけるなるべし。
白妙の衣うつ砧 の音も、かすかに、こなた・かなた聞きわたされ、空飛ぶ雁の聲、とりあつめて忍びがたき事、多かり。
端ちかき御座(おまし)所なりければ遣戸を引きあけ給ひて、もろともに、見出だし給ふ。ほどなき庭に、ざれたる呉竹、前栽の露は、猶、かゝる所も、おなじごときらめきたり。
題しらず よみ人しらず
うちわたすをちかた人に もの申すわれ その そこにしろくさけるは なにの花ぞも
返し
春されば 野邊にまづさくみれどあかぬ花 まひなしに たゞなのるべきはなのななれや
題不知 讀人不知
しら浪のよするなぎさによをつくす あまのこなれば 宿もさだめず
題しらず 典侍藤原なほいこ朝臣 直子
海人の刈る藻に棲む虫の 我からとねをこそ泣かめ 世 をば恨みじ
おことわり:文中、(中略)の表記はしておりません。
-あらすじ-
桐壷帝は、最愛の妃であった桐壷更衣のわすれがたみ、第二皇子を親王の列には置かず、臣籍降下させます。政争から守りつつ国政に携わらせんとする苦渋の判断でした。
左大臣家の娘 葵上と結婚した源氏は、その政治的基盤を固めますが、夫婦仲はしっくりせず、亡き母に生き写しの女御藤壺への思慕を募らせていました。
そんなある日。
六條御息所への訪問途中、病気の乳母を見舞った源氏は、折しも咲きこぼれるしろい花の名を問うたことが縁で隣家の女性と歌をかわします。
『夕顔の花に白露の光を添えたのは、もしやあの光の君さまではありますまいか』
姿をやつしていたにもかかわらず名をいいあてた相手に、
『近く寄ってこそだれとわかりもしよう』と答えた源氏でしたが、身分を隠したままその女性=夕顔のもとへ通うようになります。
貴人であることは暗に察せられ、夕顔は、男が名を明かさないのは、彼我の身分の差と心を痛めます。が、それを漏らすことをよしとしませんでした。
八月十五夜。
隣家の会話も筒抜け、雷よりも大きな唐臼のひびき。砧の音、雁の声、ふだんは間遠に聞く蟋蟀さえ耳のそばで鳴きさわぐのに閉口して、源氏は夕顔を近くの廃院に伴います。
そこではじめて源氏は顔を見せ、素性を明かします。
「夕露にひもとく花は玉ぼこのたよりに見えしえにこそありけれ(源氏) 露の光やいかに」
夕顔は、
「ひかりありと見し夕顔のうは露はたそがれどきのそら目なりけり」
と答えて、「名のりし給へ」とせがむ源氏に、「海士の子なれば」(宿も名もありません)と言いさします。
素直に名のらないのも、もとはといえば「われからなり」と、かつうらみ、かつ語らううちに日は落ちて、あたりは深々たる闇につつまれていくのでした。
*****
高校のころ、古文で「夕顔」の怪異出現のくだりを読まれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
残念ながら、時間の都合で舞台ではできませんでしたが、つづきは、どうぞこちらでお聴きになってください。
HOTARU~よみがたり源氏物語~
教養としてよりももっと気楽に、いまの時代にも通じる人間ドラマとして読みたいと思っています。
表題のHOTARUは、ほたる石。熱すると微かなひかりをはなつ、その辺りにある石の意です。
ただいま、「箒木」を配信中。
もうじき、頭中将と常夏(夕顔)のものがたりに入ります。
(コンサート・コーモドで配布したリーフレットからの転載です)

P.S. クラルテのみなさんへ。
家系図ツールを使って、こんなこともできます。
おまけ
解説編はこちら。「HOTARU」
泣き言辺は、こちらを。「すゞはらひ」
紫式部原作 源氏物語「夕顔」より
音楽:ドビュッシー 「小さな羊飼い」「忘れられた映像(1894)」
ピアノ演奏:柳沼和子
語 り:みさきすずか
構 成:Misaki Suzuka
黄昏に 紫式部作 源氏物語「夕顔」の帖より
六條わたりの御忍びありきのころ、内裏(うち)よりまかで給ふ中宿りに、「大貳(だいに)の乳母の、いたく、わづらひて、尼になりにける、とぶらはん」とて、五條なる家、たづねておはしたり。
切懸 だつものに、いとやかなるかづらの、心地よげにはひかかれるに、白き花ぞ、おのれひとり、ゑみの眉開けたる。
「をちかた人に物申す 」
と、ひとりごち給ふを、御 随身(ずゐじん)つい居て、
「かの、白く咲けるをなん、「夕顔」と、申し侍る。花の名は人めきて、かう、あやしき垣根になん、咲き侍りける」
と申す。
げに、いと小家がちに、むつかしげなるわたりの、このもかのも、怪しくうちよろぼひて、むね〱しからぬ、軒のつまごとに、這ひまつはれたるを、
「くちをしの、花の契りや。一房折りて参れ」
と、の給へば、この、押しあげたる門に入りて折る。
さすがにされたる 鑓戸 口に、黄なる 生絹(すずし)の単袴、長く着なしたる童の、をかしげなる、出で来て、うちまねく。白き扇の、いたうこがしたる を、
「これに置きて、参らせよ。枝も情けなげなめる花を 」
とて、とらせたれば、門あけて惟光の朝臣出で来たるして、たてまつらす。
紙燭 召して、ありつる扇御覧ずれば、もて馴らしたる移り香、いと、しみ深う、なつかしくて、をかしうすさび書きたり。
心あてにそれかとぞ見る白露のひかりそへたる夕顔の花 (夕顔)
そこはかとなく、書きまぎらはしたるも、あてはかに、故づきたれば、いと、思ひのほかに、をかしうおぼえ給ふ。
寄りてこそそれかとも見めたそがれにほのぼの見つる花の夕顔 (光)
御さきの松明(まつ)ほのかにて、いとしのびて、いで給ふ。半蔀(はじとみ) は、おろしてけり。ひま〱より見ゆる火の光、蛍より、けにほのかに、あはれなり。
八月十五夜、隈なき月かげ、ひま多かる板屋、のこりなく漏りきて、見ならひ給はぬすまひのさまも、珍しきに、あかつき近くなりにけるなるべし。
白妙の衣うつ砧 の音も、かすかに、こなた・かなた聞きわたされ、空飛ぶ雁の聲、とりあつめて忍びがたき事、多かり。
端ちかき御座(おまし)所なりければ遣戸を引きあけ給ひて、もろともに、見出だし給ふ。ほどなき庭に、ざれたる呉竹、前栽の露は、猶、かゝる所も、おなじごときらめきたり。
題しらず よみ人しらず
うちわたすをちかた人に もの申すわれ その そこにしろくさけるは なにの花ぞも
返し
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題しらず 典侍藤原なほいこ朝臣 直子
海人の刈る藻に棲む虫の 我からとねをこそ泣かめ 世 をば恨みじ
おことわり:文中、(中略)の表記はしておりません。
-あらすじ-
桐壷帝は、最愛の妃であった桐壷更衣のわすれがたみ、第二皇子を親王の列には置かず、臣籍降下させます。政争から守りつつ国政に携わらせんとする苦渋の判断でした。
左大臣家の娘 葵上と結婚した源氏は、その政治的基盤を固めますが、夫婦仲はしっくりせず、亡き母に生き写しの女御藤壺への思慕を募らせていました。
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六條御息所への訪問途中、病気の乳母を見舞った源氏は、折しも咲きこぼれるしろい花の名を問うたことが縁で隣家の女性と歌をかわします。
『夕顔の花に白露の光を添えたのは、もしやあの光の君さまではありますまいか』
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『近く寄ってこそだれとわかりもしよう』と答えた源氏でしたが、身分を隠したままその女性=夕顔のもとへ通うようになります。
貴人であることは暗に察せられ、夕顔は、男が名を明かさないのは、彼我の身分の差と心を痛めます。が、それを漏らすことをよしとしませんでした。
八月十五夜。
隣家の会話も筒抜け、雷よりも大きな唐臼のひびき。砧の音、雁の声、ふだんは間遠に聞く蟋蟀さえ耳のそばで鳴きさわぐのに閉口して、源氏は夕顔を近くの廃院に伴います。
そこではじめて源氏は顔を見せ、素性を明かします。
「夕露にひもとく花は玉ぼこのたよりに見えしえにこそありけれ(源氏) 露の光やいかに」
夕顔は、
「ひかりありと見し夕顔のうは露はたそがれどきのそら目なりけり」
と答えて、「名のりし給へ」とせがむ源氏に、「海士の子なれば」(宿も名もありません)と言いさします。
素直に名のらないのも、もとはといえば「われからなり」と、かつうらみ、かつ語らううちに日は落ちて、あたりは深々たる闇につつまれていくのでした。
*****
高校のころ、古文で「夕顔」の怪異出現のくだりを読まれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
残念ながら、時間の都合で舞台ではできませんでしたが、つづきは、どうぞこちらでお聴きになってください。
HOTARU~よみがたり源氏物語~
教養としてよりももっと気楽に、いまの時代にも通じる人間ドラマとして読みたいと思っています。
表題のHOTARUは、ほたる石。熱すると微かなひかりをはなつ、その辺りにある石の意です。
ただいま、「箒木」を配信中。
もうじき、頭中将と常夏(夕顔)のものがたりに入ります。
(コンサート・コーモドで配布したリーフレットからの転載です)

P.S. クラルテのみなさんへ。
家系図ツールを使って、こんなこともできます。
おまけ
解説編はこちら。「HOTARU」
泣き言辺は、こちらを。「すゞはらひ」
それを話される、本当にスゴイと
思いました。
細部にまでこだわられるsuzuka様なら
では・・・ですね。
工事が入って、家でいちばん重い本棚を動かす騒ぎになりまして…
こんな悔しい思いをしたのははじめてでした。
気持ちにたゆみがあったんでしょうねぇ。
取り返しがつかないんだから、もっと謙虚になるべきでした。
一時は、もう、この緊張に堪えられなくなったのかと考えましたが。
紫式部の文は、シンプルで品高く、暗誦してよかったと思いました。
先は長いし、またトライしてみたいと思います。