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無限に あるように感じられた選択が
しだいにせばまっていくこと
それは おとなになっていく
言いかえれば
地べたにへばりついて空を見上げていた姿勢が
一段一段 はしごをのぼって
地表をみることができるようになる
その経過でもあると思っています。
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それは同時に
すべての選択は可能だったわけではなく
自ずから限られたものであったこと
さいの目はある幅のなかでしか
出現しないことを
身をもって知る過程でもあります。
ということが
実は 家の中の整理整頓にもあてはまると
かってに解釈しております。
巷には整理本、整理グッズのたぐいがあふれ。
買えばなんとかなるのじゃないかという
幻想をあおります。
まぁ、試行錯誤はたぶんムダではないし、
自分への言い訳だって必要かもしれません。
けれど。
すべてをコントロールできるはずという
前提=思い込みをまず崩さなければ
瞬間健康飲料とかわりません。
(そんな名まえがあるとすればですが)
間取りがあり
そこに住む人がいて
その時点で
収納の能力いやさ限界は ほぼ定まっているのでしょう。
動線があり、
性格がある。
家族の流れも、作業の場所も恣意ではない。
だから、それを読み取らないと
渋滞→硬直→麻痺という
おもしろくないステップを踏むわけで。
ワイドショーのびっくりネタに育つのも
そんなに遠い日ではないかもしれません。
ものは、使うべきところにおかなければということを
論理的に語っているのは飯田久恵さん。
私がお世話になったのは
誰も教えてくれなかった整理・収納 108のヒント
いまから9年ほど前の本なので、未読ですがいまならこちらかも。
片づく収納、片づかない収納
「捨てる!」技術
(辰巳渚著)のヒット以降、
収納で「捨てる」ということばが 禁句でなくなりましたが、
実際に行動に移せたかどうかは疑問。
なぜなら、あそこに書かれていたのは
プロパガンダとしては有効だったけれど
思考停止を受け入れないと進めないところがあって。
やみくもに捨てられぬゆえ、難儀なのですから。
整理とはたぶんモラトリアムからの脱却。
そして、収納は個人の能力に依存するものでなく
入れ物(家)と中味(居住者)が定まれば
実はかなりの精度で
限定されてしまっています。
置かれるべきところ、つまり使用する場所に置く。
そこに置けないとしたらすでに限界を超えているのでしょう。
ただ。
その空間は すでに満たされていることに
気づけないことが
最大のネックなのですよね。
そして、つけ加えるとするなら
大水のごとく 一気に解決というのも
むずかしい気がします。
ちょろちょろと小さい流れが
しだいに切り崩し 押し流す。
贅肉、積もり積もった保留した判断は
一朝一夕でこうなったのではありませんし。
ちいさなジャッジが積み重なって
ノミで彫刻をきりだすように
わがすがたを探ってゆく作業でもあります。
お気づきのように、
これはエールでもあり、また
自らへの戒めでもあります。
ほんとは、えらそうなことなどいえません。
さんざん。
元の木阿弥をくりかえし、
「現在続行中」のさなかにあって。
詩を書くことと共通するのは
むだなもの
生きていないものを
抱え込んではいけないのですね。
そして
偽ってはいけない。
もし自分というものがわからなければ
他人の目で
家の中を見てみるのもいいかもしれない。
それが
嘘偽りのないおのれの姿。
そこに
虚飾を読み取るか
空疎を感じるか。
生きていることの総決算でも
あるのかもしれない。
身ひとつになるということ。
いま、四六時中接しているパソコンと
何年も弾いていないピアノと。
択べといわれたとき
わたしは どうするのだろう。
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とんぼ素材は「カツのGIFアニメ」さまよりお借りいたしました。
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しだいにせばまっていくこと
それは おとなになっていく
言いかえれば
地べたにへばりついて空を見上げていた姿勢が
一段一段 はしごをのぼって
地表をみることができるようになる
その経過でもあると思っています。
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それは同時に
すべての選択は可能だったわけではなく
自ずから限られたものであったこと
さいの目はある幅のなかでしか
出現しないことを
身をもって知る過程でもあります。
ということが
実は 家の中の整理整頓にもあてはまると
かってに解釈しております。
巷には整理本、整理グッズのたぐいがあふれ。
買えばなんとかなるのじゃないかという
幻想をあおります。
まぁ、試行錯誤はたぶんムダではないし、
自分への言い訳だって必要かもしれません。
けれど。
すべてをコントロールできるはずという
前提=思い込みをまず崩さなければ
瞬間健康飲料とかわりません。
(そんな名まえがあるとすればですが)
間取りがあり
そこに住む人がいて
その時点で
収納の能力いやさ限界は ほぼ定まっているのでしょう。
動線があり、
性格がある。
家族の流れも、作業の場所も恣意ではない。
だから、それを読み取らないと
渋滞→硬直→麻痺という
おもしろくないステップを踏むわけで。
ワイドショーのびっくりネタに育つのも
そんなに遠い日ではないかもしれません。
ものは、使うべきところにおかなければということを
論理的に語っているのは飯田久恵さん。
私がお世話になったのは
誰も教えてくれなかった整理・収納 108のヒント
いまから9年ほど前の本なので、未読ですがいまならこちらかも。
片づく収納、片づかない収納
「捨てる!」技術
収納で「捨てる」ということばが 禁句でなくなりましたが、
実際に行動に移せたかどうかは疑問。
なぜなら、あそこに書かれていたのは
プロパガンダとしては有効だったけれど
思考停止を受け入れないと進めないところがあって。
やみくもに捨てられぬゆえ、難儀なのですから。
整理とはたぶんモラトリアムからの脱却。
そして、収納は個人の能力に依存するものでなく
入れ物(家)と中味(居住者)が定まれば
実はかなりの精度で
限定されてしまっています。
置かれるべきところ、つまり使用する場所に置く。
そこに置けないとしたらすでに限界を超えているのでしょう。
ただ。
その空間は すでに満たされていることに
気づけないことが
最大のネックなのですよね。
そして、つけ加えるとするなら
大水のごとく 一気に解決というのも
むずかしい気がします。
ちょろちょろと小さい流れが
しだいに切り崩し 押し流す。
贅肉、積もり積もった保留した判断は
一朝一夕でこうなったのではありませんし。
ちいさなジャッジが積み重なって
ノミで彫刻をきりだすように
わがすがたを探ってゆく作業でもあります。
お気づきのように、
これはエールでもあり、また
自らへの戒めでもあります。
ほんとは、えらそうなことなどいえません。
さんざん。
元の木阿弥をくりかえし、
「現在続行中」のさなかにあって。
詩を書くことと共通するのは
むだなもの
生きていないものを
抱え込んではいけないのですね。
そして
偽ってはいけない。
もし自分というものがわからなければ
他人の目で
家の中を見てみるのもいいかもしれない。
それが
嘘偽りのないおのれの姿。
そこに
虚飾を読み取るか
空疎を感じるか。
生きていることの総決算でも
あるのかもしれない。
身ひとつになるということ。
いま、四六時中接しているパソコンと
何年も弾いていないピアノと。
択べといわれたとき
わたしは どうするのだろう。
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お猫様ら、肝炎・膵炎・結石発覚
わし、尾骶骨骨折
だで……とうぶん(?)脱却は無理じゃて
何人かふらいんぐするかもという危惧は持ってたぎゃの。
苦労しているからこその
問題きりわけの一手法と
納得してくだされや。