わただま 摘んだ?

風になる 花のかおりをまとうこと 遠い訪れを搬ぶこと 水のありかを囁くこと そして こっそり石たちの夢にすべりこむ

白・幻想

2007-06-08 06:35:07 | べりーずりーふ
父は 技術屋さんだった。
なにをしていたかというと、
各地の工場の建設に携わっていたらしく

どこそこで建て直し、とか
機械の入れ替えとなると転勤。
だったらしい。

幼いわたしには
よくわからなかった。

凧をあげたり、こまをまわしたり
せみを捕ったり
してくれたことはあっても

たいがい 家にはいなかったし
休日は寝ていて

たまに 昼近く
遊園地にでもと 玄関を出る寸前に
会社から 「何かがコワレタ」
と連絡があって、そのままでかけることが多かった。

寝言をはっきりいうひとで、
それも 仕事の夢ばかり。
それにつきあっていると
いっしょに工場のなかを歩いているようだと
よく母はこぼしていた。

三白景気はすでに去り
時代は サッカリンやチクロの台頭で
人口甘味料との闘いの連続だった。

家では「全糖」(もはや、死語か)の表示のものしか
買わなかったけれど
どれもみな 健康問題を露呈して消えていった。

その後は 乱売の時代になった。

特売に手を出さないということは
なかったけれど
それでも 買っていい銘柄と
いけないのがあり

理由には、メーカーの体質、素性が
あげられた。

「なにがはいっているかわからない」

そうも言った。

砂糖として製品化されながら、その実100%
というのはほんとうに難しい、と。

「えっ、砂糖じゃなきゃ、いったい何がはいってるの」

工程のさなかで紛れ込む微量の何コンマかを
父は問題にしていたのだった。

いつだったか。
何トンだかの原料に数十グラムの砂がまじったといって
大騒ぎをしたことがあった。

だから。
工場で、なにが起きているか知らないなんて、
ほんとは ありえないよね。


以前 部下だった方の葬儀に
父と参列したことがある。

その方は、生涯一工場マンとして
職務を全うできたことを
誇りにしている、と仰った方だった。


営々とものを作り続けた男たち。

いまでも、そっと独りごつ。

わたしは、砂糖屋の娘、と。



4 Comments

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Unknown (風の森)
2007-06-08 09:21:14
ものすごく よくわかります。
私の父も技術屋。水力発電所の建設屋でした。
そう、うちも、久しぶりの「お出掛け」になると、
マイクロ電話が必ずというぐらい入りました。

陸の孤島を切り拓くところから始まる建設は、
その計画書に「死亡想定人員数」の書き込み欄があり、
父はいつも最後まで書くことが出来なかったそうです。
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Unknown (陽花)
2007-06-08 16:26:38
父に遊んでもらった記憶はまったくありません。
親子でも相性が悪かったんでしょうかね。
でも、貧乏子沢山でず~っと働いてくれてました。
亡くなる直前父は私の事を「可愛そうな事をした」と
何度も母に言っていたそうです。
今は厳しかった父の事も、育ててくれて感謝しています。
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おかげで (Suzuka)
2007-06-08 22:36:41
風の森さん

家庭生活は、めちゃめちゃでしたね。
でも、仕事にロマンが持てた時代だったでしょうか。
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父親って (Suzuka)
2007-06-08 22:42:23
陽花さん

哀しいなって思うんです。
一生けんめいになればなるほど
なんか煙ったかったり。

でも、おかげで安心して過ごせたんですよね。
その肩の下で。
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