Hard to say I'm sorry

ロードバイクに夢中…お金が飛んでいく(ノーT

しっかりと説明する/できるということ

2022-04-29 01:16:08 | 日常と雑談
 一昔は、沈黙や我慢はある種の美徳とされた時代も
ありましたが、今はそれは少なくとも美徳ではなく、
きちんと状況説明ができないと、それは肯定と受け取られて
しまうのだろうなと思ってしまいました
先日の佐々木投手が審判の判定に対して、不服と取れる様な
態度を取ったという事で、端から見ていると恫喝ともとれる様な
大人げない注意をしたという事で、ネットで少し話題になっていました
これについて、審判本人はコメントすることは無いとしており、
また審判が所属する団体は、処罰無しという事を発表しています
ただ、野球関係者の中でも意見が割れている感じですし、
一般的には、なぜそういった注意に至ったかの説明もなく、
事前の判定も著しく疑義があるものだったというのが大勢で、
そういった注意に至った経緯説明をしないのは、直前に判定も含めて、
能力に問題ありとしてもいいのではないかという感じですね
 ここで気を付けないといけないのは、声の大きかったものが
必ずしも正ではないということかなと思います
ルールに即してみれば、判定に対して絶対の権限を持つ審判に対して、
不服と取れる仕草をした佐々木投手は、気持ちはわかりますが、
よろしくなかったのかなと思いますね
その一方で、これだけ大きく問題になったのであれば、
審判本人ないしは、その所属団体は説明責任をきちんと果たすべきだったのかなと
個人的には思ってしまいました
 だって、判定を下した以上、そこにはそれに至った経緯があるはずですからね
間違っていたならば、正さねばならないですし、変わらなければいけないのだろうなと
個人的には思ってしまいました
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