世間では4連休という事で
高速道路も渋滞という状況だそうですが
私クラスは普段とあまり変化のない生活でございます
まあ、こんな時に調子に乗って
「連休だ~!」なんて浮かれておりますと
有難く無い物も引き込みそうな恐れもありますし
暇を若干、持て余し気味でありますが
じっと自宅で自粛継続という事であります
それでもやる事を捜せば結構色々ありまして
退屈はあまりしないんですが
問題はやはり手足の運動
やはり動かさないでいると
翌日は即、動きに出ますな...
本当に怖いくらいです
という事で折角の連休でもございますし
足腰の鍛錬という意味もございまして
数日前の中華街以来、久びさに思い立ちまして、
電車に乗って出掛けた次第であります
で、どこに行ったかと申しますと
これも昔の話で恐縮なんですが
今も面白いんですが
昔の近田春夫のLIVEに於ける MCといったら
まさに当時は天才と申しますか
一緒に演奏している我々も
演奏を忘れて大笑いして時間が過ぎるという
そういった状況で
で、メンバー紹介等は
かなりの時間を掛けて各人紹介しておりましたが
高木とか小林は
袋万作(ふくろまんさく)、竿万次郎(さおまんじろう)、等の
名前に変えられておりました
で、私の番になりまして
以下のような紹介
「昔、...分倍河原(ぶばいがわら)というところで
蛙の雄雌を見分けるという仕事に従事しておりましたが
手違いで蛙を川に全て逃がしてしまい
慌てて捕まえようと川に入り、ふるチ×、すっ裸で
蛙500匹と泳いでいるところを
警察に保護されたという男
ドラムスに和厳法螺銅弁(わごんぼらどーべん!)」
当時20代の後半
格好付けたい年頃でもありますし
それもハルヲフォンのファンの方々は
お洒落でセンスの良い方ばかり
ちょっとな~.....
そういうイメージ、やだな~.....
と思いながらもあれから40年以上たっても
一字一句覚えているというのは
かなりの天才的なメンバー紹介MCだったんでしょうな
近田春夫・・・。
で、それなら一度、私が住んでいたとされる分倍河原というのは
どういう感じのところなのか
はたまたその蛙研究所というのは実在したのか
更に500匹と泳いだ川は今どうなっているのかでございます
住んでた記憶は全然残っておりませんし
ちょっと下調べも致しまして
え~行き方は
高田の馬場を経由致しまして新宿へ
そこから京王線に乗り換えまして
府中経由、直通の分倍河原
約1時間の道のりですな
分倍河原の地名なんですが
やせた土地で区分田を倍にして与えたという説と
分倍とは分梅の意味で梅ノ木が
分け与える程たわわに実った河原
という説もあるそうです
で、電車に乗って分倍河原に行ってみたんですが
正直申しまして
蛙の研究所もありませんでしたし
河もおそらく多摩川だろうと思いますが
とても徒歩では行けそうもなかったので断念致しましたが
涼しくなりましたし
足も良く動きまして、気持ちの良い散歩にもなって
ああ、ここが私が一時研究に没頭してたといわれる街なのか
と、なにか心の底から楽しい一刻を過ごさせて頂きました
美味しいお蕎麦も頂きまして....
写真も何枚か取ったのですが
まてよ...と
案外...もしかして近田の言う分倍河原と
私が今居る此処は
違う分倍河原なのかもしれないとも思いまして
やはり、今回、写真掲載にての混乱は
控えさせて頂く事に致しました
そして、多分再度訪れる事は無いと思いますが
分倍河原.....40年もの長い間有難うございました、と
御礼しつつ
気持ちの良い散歩日和
ゆったりとした午後を過ごさせて頂いた次第です
あざっす。
追記
街を歩きながら思い出したのですが
その近田のメンバー紹介のMC
小林の事を
「中華民国のCharとして彼の国で絶大なる人気を誇り...」
というのがあったんですけど
これはあながち嘘でも妄想でもなく
彼の「小林克己とギターを弾こう」
小林克己のギター教則本は
東宝レコードからシリーズ化され
相当な販売実績を上げたそうで
タブ譜とかなかった時代
そのさきがけとして
今も活躍するプロのギタープレイヤーも
これで実は勉強したんですという方も多いとの事
当然彼の国での売り上げ実績も凄かったとの話も聞いております
で、自慢ではないんですが
これ元は私の発案でございまして
マネージャーの巻から
「なんか面白い話ないですかね~」と言われた時に
このレコードを教えまして
当時タブとか無かったから
「これ参考にして今の曲、小林に採譜させたら?」
という処から、あのベストセラーに繋がった訳でありまして
う~ん
蛙の雄雌の研究より
アイデア、パテントの何%かを押さえておきゃよかったと
京王線にて帰宅途中
今更ながらに後悔している管理人ではありました
急に涼しくなってまいりましたので
体調等気を付けて下さいませ。
乙