先日Youtubeの収録にて
ジェームス藤木、近田春夫と
1951年生まれの同級生会話の一時
同じく先日逝去したクールスドラマー
佐藤秀光を偲んで色々と話をしてまいりました

とりあえず無事に誕生日を迎えて74歳
お互いに元気でと励ましあいつつ
話は長いバンド生活
印象に残ってる事はということで
そんなとりとめのない話の中
近田がいきなり「俺が一番印象に残ってるのはね~」
と切り出したのが
そう、あれは丁度春の横浜音楽堂
裕也さんのロックコンサートが催された日の事でした
その日の朝に突然私の父が亡くなり
長男である自分がまだ二十歳そこそこではありましたが
通夜や葬式、親戚一同への連絡等
しっかりしなきゃと自分に言い聞かせつつ
涙をこらえつつ一通り手配を済ませ終わった時
母親が「あんた今日演奏の日でしょ....もう後はこちらでやるから
早く会場に行きなさい....」と言ってくれました
母親も音楽、芸能一家の出でしたから
バンドで一名欠ける事の重要さを理解していたんだと思います
横浜の野外音楽堂に着いた時
楽屋はいつもの見慣れた雰囲気と様相でしたが
とりあえず詳細はメンバーやスタッフには黙って
無事にステージは終了したんですが
いかんせん気が張ってたものが
いきなり緩んでしまいまして
袖に引っ込むときに親父の事を思い出して
涙がどっと溢れてきまして号泣してしまいました
慌てて近田が「どうしたんだ!」と駆け寄ってくれまして
理由を聞いて小林と高木と一緒に私を抱えて
楽屋迄運んでくれました
そういう時はまさに全身の力が抜けるもんですな
もう崩れ落ちるように抱き抱えられながら楽屋に戻りました
当然共演する沢山のバンドのメンバーも
出演者が号泣しているのですから
心配して来てくれる訳です
それに対し近田がいちいち対応してくれまして
「実は恒田の親父が今日..」と説明してくれました
そして、それは裕也さんの耳にも届いた訳で
裕也さんは「そんな日に、俺のコンサートの為に..
有難う....気を落とすなよ!」と声を掛けてくれました
その日の通夜には裕也さんを始め、近田、バンドのメンバー
そして共演したバンドのメンバー何人かが弔問に訪れてくれました
まあ、そんな忘れられない日の事を
バンドで一番印象に残ったエピソードとして話してくれまして
私もその日の事が突如として蘇り
胸にグッとくるものがございました
ハルヲフォンも半世紀以上の長い歴史もありますが
そんな時を踏まえつつの現在
こうして同級生達と元気に会話出来る事
改めて感謝に堪えません
しかし....しかし
いきなりそんな話するなよな~
ウっときて番組にならねえじゃないか!
まあ、古いバンドマンの家庭環境で育ったもので
今ならコンプライアンスの面からも
それはどうなんかなと思う方もいらっしゃるとは思いますが
近田と同じく私も心にその日の事は
しっかりと胸に焼き付いている次第です。
そして後日談もありまして
で、お通夜、お葬式と続く訳ですが
翌日から一週間バンドは東北仙台に出来た
超ビッグなデイスコに出演する事になるのですが
流石にそれは三日間だけ休みを貰うんですが
どう対処すべきかと
共演の四人囃子、安全バンドと協議したそうで
私が抜けた穴を埋めるべく
三バンド合同でセッションになったそうです
後半は私も合流致しましたが
森園や大二、ヒロのハルヲフォンも聞きたかったなと思う訳ですが
本当にあの時は助かりました
いやあ、長いバンド生活
色々なエピソードが込められております。