印度に於いては班足大志(はんそくたいし)の塚の神に化け、千人の王の首を取り、
中国では周の幽王の妃、褒似(ほうじ)となって、
または殷の紂王(ちゅうおう)の妃、姐妃(だっき)となって皇帝を誘惑し、国を滅ぼした、
曰く、1000年に渡る仏法中の仇と評されるあの悪名高き白面金毛九尾の狐が、
海を渡って我が島国に来た時の話をしましょう
久寿元年、我が国にやって来た九尾の狐は、
忽ち玉藻の前(たまものまえ)という絶世の美女に化けて、
当時の権勢鳥羽法皇の心を魔界より持ち込んだ艶美な鼓の音で操り、
法皇の精気を夜毎に奪って、今にも権力をその掌中に納めようとしたのです。
其の時に家臣は法皇の政事がだんだん玉藻の前によってないがしろになっていくのを憂い、
陰陽師阿部泰親(おんみょうしあべやすちか)に鼓を運んで来るように命令しました。
泰親は「玉藻の前に於かれては、天下の鼓打ちと聞き覚えし...
さればこの天下一の鼓打って聞かせて給れ..」と玉藻の前に言った所、
玉藻の前はまずは断ってみたものの、辞退する訳にもいかなくなり
とうとう鼓を打つ事になってしまいました
けれどももとは狐狸妖怪の類ですから、打てども打てども音は出ず、
其の様子を見て法皇は狐の呪縛より突如として醒めたのです。
さあ正体を暴かれた白面金毛九尾の狐、下野国那須野の原へと逃げて行くのですが、
法皇の命令を受けた三浦介と上総介は、此れを追い、
破魔矢を持って九尾の狐を為留めました。
しかしながら、その怨念は消え去る事無く凝り固まって、世にも恐ろしい殺生石に姿を変え、
それより数百年、その石に近寄る人間、植物、動物全ての命を奪っていったのです。
或時、玄翁和尚はその石の事を聞き、
槌を持って、一喝のもとその石叩き割り九尾の狐を成仏させました
それ以来、喝鼓の姿をした、鉄槌の事を人々は「げんのう」と呼ぶようになったのです。
鼓はまるで閻魔大王の浄覇利の鏡の如し
今も歌舞伎の大事な演目「殺生石」には
傾国の主たる九尾の怨念、今に伝えている訳でもございます。