日曜の福音集会のメッセージは
以下の部分を含む箇所の学びだった。
あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、
行きたいところへ行っていた。
しかし、年をとると、
両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、
行きたくないところへ連れて行かれる。
「ヨハネによる福音書」21章
実をいうと 今の階に異動してきた 今年の1月から
認知症を患ったご老人たちを毎日みていて
ずっと 心に浮かび続けていた 御ことばである。
前に 「おーい」「おーい」の
おじいちゃんの話をしたが
あの方は PEG(胃ろう)部の交換のために
一月ほど前に 再入院してきていた。
「どうしているかなあ? もしや もう・・・?」
と 気になっていたが 再入院されてきたので
その生存を私は知ったのだ。
彼は 89歳。
この階では 80代が普通だ。
70代だと 若いなと思ってしまう。
90代もたくさんいるし(だから今は驚かない)
1月に100になる人も いる。
老人の認知症も 度合いがさまざまだ。
一見 普通じゃないの?って思う方もいるが
だまされちゃいけない・・・。
時々 変なことをいうので ああやっぱり認知症だとわかる。
症状の出方もさまざまだ。
ほとんどの方が 歩けない。
立つこともできない。
車椅子に座るのが やっとだ。
もちろん半分くらいは 寝たきりだ。。。
車椅子に乗れる方々も ずっとステーションにいたらあきる。
ここが病院とわからず(当たり前だけど…)
どこかに連れてこられたと思い 「もう帰りますから」
「帰らせてください、家が心配だから。子供にご飯を食べさせないと」
「もう 死にたい」 「殺してください」
(死にたい、殺してくださいと言われると せつない)
「(部屋に)戻して。横になるから」
でも そうそう患者さんのいう通りにはできない。
せっかく車椅子に乗れるのに ベッドに寝せっぱなしでは
褥瘡になりやすくなるし 筋肉も弱まるし。
だから 多少辛いのは分かっても ステーションにいてもらう。
でも 私だってこんな場所にずっと座らせられてら 退屈だし
つまらないと思う。 そんな時 冒頭の言葉を思いだす。
じいちゃん ばあちゃんに 伝えたいと思いつつ
もう 言葉の意味もあまりわからない人たちには
伝えようもなくて。
でも ほんとにこの御ことばの真実さには 驚く。
(でも 上記のような意味で書かれたことではないのだけれどね)
動けない じいちゃん、ばあちゃんというのは
普段 私たちの暮らしからは あまり目に届かない世界に
住んでらっしゃるのだね。 ホームとか病院とか。
私たちは 例えば「ダーツの旅」に出てくるような
元気な80代、90代しか 知らないから
動けない方たちの ある意味みじめな生き様に
気付くことができない。
そしてそれは いつか 自分の身にも起こることかもしれない。
おむつをあてがわれ 便も尿も そこでさせられる。
(支えて立てるくらいなら 付き添って 身障者トイレも使えるが
この方たちは 立つこともできない)
お尻をむき出しにされ 洗われて。
ただただいつも同じ風景を見て。
ドラマのように 外の散歩でもできれば
少しは気がまぎれるだろうが ここは散歩できる庭もないし
連れていける時間の余裕もないし人手もないし
ただでさえ抵抗力が弱まっているお年寄りたちを
外に連れ出して 具合が悪くなったら 大変だ。
それにしても 看護師さんや看護助手さんって本当にすごいよ。
私には とてもあんな仕事できないよ。
愛情もいっぱいだしね。(だから出きるんだろうね)
以下の部分を含む箇所の学びだった。
あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、
行きたいところへ行っていた。
しかし、年をとると、
両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、
行きたくないところへ連れて行かれる。
「ヨハネによる福音書」21章
実をいうと 今の階に異動してきた 今年の1月から
認知症を患ったご老人たちを毎日みていて
ずっと 心に浮かび続けていた 御ことばである。
前に 「おーい」「おーい」の
おじいちゃんの話をしたが
あの方は PEG(胃ろう)部の交換のために
一月ほど前に 再入院してきていた。
「どうしているかなあ? もしや もう・・・?」
と 気になっていたが 再入院されてきたので
その生存を私は知ったのだ。
彼は 89歳。
この階では 80代が普通だ。
70代だと 若いなと思ってしまう。
90代もたくさんいるし(だから今は驚かない)
1月に100になる人も いる。
老人の認知症も 度合いがさまざまだ。
一見 普通じゃないの?って思う方もいるが
だまされちゃいけない・・・。
時々 変なことをいうので ああやっぱり認知症だとわかる。
症状の出方もさまざまだ。
ほとんどの方が 歩けない。
立つこともできない。
車椅子に座るのが やっとだ。
もちろん半分くらいは 寝たきりだ。。。
車椅子に乗れる方々も ずっとステーションにいたらあきる。
ここが病院とわからず(当たり前だけど…)
どこかに連れてこられたと思い 「もう帰りますから」
「帰らせてください、家が心配だから。子供にご飯を食べさせないと」
「もう 死にたい」 「殺してください」
(死にたい、殺してくださいと言われると せつない)
「(部屋に)戻して。横になるから」
でも そうそう患者さんのいう通りにはできない。
せっかく車椅子に乗れるのに ベッドに寝せっぱなしでは
褥瘡になりやすくなるし 筋肉も弱まるし。
だから 多少辛いのは分かっても ステーションにいてもらう。
でも 私だってこんな場所にずっと座らせられてら 退屈だし
つまらないと思う。 そんな時 冒頭の言葉を思いだす。
じいちゃん ばあちゃんに 伝えたいと思いつつ
もう 言葉の意味もあまりわからない人たちには
伝えようもなくて。
でも ほんとにこの御ことばの真実さには 驚く。
(でも 上記のような意味で書かれたことではないのだけれどね)
動けない じいちゃん、ばあちゃんというのは
普段 私たちの暮らしからは あまり目に届かない世界に
住んでらっしゃるのだね。 ホームとか病院とか。
私たちは 例えば「ダーツの旅」に出てくるような
元気な80代、90代しか 知らないから
動けない方たちの ある意味みじめな生き様に
気付くことができない。
そしてそれは いつか 自分の身にも起こることかもしれない。
おむつをあてがわれ 便も尿も そこでさせられる。
(支えて立てるくらいなら 付き添って 身障者トイレも使えるが
この方たちは 立つこともできない)
お尻をむき出しにされ 洗われて。
ただただいつも同じ風景を見て。
ドラマのように 外の散歩でもできれば
少しは気がまぎれるだろうが ここは散歩できる庭もないし
連れていける時間の余裕もないし人手もないし
ただでさえ抵抗力が弱まっているお年寄りたちを
外に連れ出して 具合が悪くなったら 大変だ。
それにしても 看護師さんや看護助手さんって本当にすごいよ。
私には とてもあんな仕事できないよ。
愛情もいっぱいだしね。(だから出きるんだろうね)
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