風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

最後だとわかっていたなら…

2013-12-30 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
アメリカで同時多発テロが起こった 9・11の後
『最後だとわかっていたなら』という詩が 世界中で
感動を呼びました。



『最後だとわかっていたなら』



あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしはあなたを抱きしめてキスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう

確かに いつも明日は やってくる
見過ごしたことも取り返せる
やりまちがえたことも やり直す機会が いつも与えられている

「あなたを愛している」と言うことは いつだってできるし
「何か手伝おうか?」と声をかけることも いつだってできる

でも もし それがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるとしたら

わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも 
明日は誰にも
約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめるのは 今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら 今日でもいいはず

もし明日がこないとしたら
あなたは今日を後悔するだろう

微笑みや 抱擁や キスをするための ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを どうしてしてあげられなかったのかと

だから 今日 あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう

そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことをそっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を 伝える時を持とう

そうすれば もし明日が来ないとしても

あなたは今日を後悔しないだろうから




引用:
『最後だとわかっていたなら』
作/Norma Cornett Marek(ノーマ・コーネット・マレック)
訳/佐川睦
出版社/サンクチュアリ出版



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19日、帰宅したら 母が倒れていました。
身体をゆすったら う~んと苦しそうにうめき…
救急車を呼び、J病院へ搬送。
(私も病院に勤務していますが 状態から見て
 大きな病院がいいと思い 希望しました)
6時間くらい 検査が続き・・・
ICUに入院したのは 日付が変わる頃。

先生の話では 不整脈が原因で 脳梗塞を起こしており
(母は 40年以上 不整脈をわずらっています)
大変危険な状態であること
もし 命が助かっても 右に麻痺がおこっているので
リハビリを相当頑張る必要があること
(母は 82歳・・頑張れません、これ以上)。

一旦帰宅して 面会時間の15時に訪ねた時には
看護師さんが 大部屋に近いうちうつれるみたいな・・。
見た目は 夜中と変わりないけど 良くなっているのかな?と。
ICUにいる間は 家族以外は面会できないと。
(初めに医師は 会わせたい人に会わせてと言っていたのに…?)

ところが 3時間くらいして 医師より直接連絡。
急変したと。
到着して医師の話を聞くと、昼間とったCTで 出血が確認され
非常に厳しい、4日くらいが山場と。。。
さっきの看護師さんの話を言うと 大部屋と言っても
普通の大部屋なのではなく 脳梗塞患者専門の
何人かの部屋ってことで 重症であることには変わりありませんでした。


母の様子は その時には 苦しみはなく
ただ いびきをかいて 眠っていました。
呼びかけにもゆすりにも 全く反応せず。。。

そして また日付が変わり 21日夜中の0時過ぎ、医師から連絡。
いよいよ・・・・。
到着した時には 予想した通り 息を引き取っていました。。。



母には思春期より 複雑な思いを抱いており
母は私を深く愛してくれていましたが
私は・・・そんなに愛せておらず それが大きな苦しみでした。
母が逝ってしまった時・・・
冒頭の詩が浮かびました。

『最後だとわかっていたなら』・・・・

ああ 本当に!
最後だとわかっていたなら もっと優しくしたのに…
そう思うたび 後悔が後から後から。。。
通夜や葬儀に参列した方は 私が悲しみにくれていると感じたらしいですが
悲しみ・寂しさよりも ほんのちょっとでも 優しくできなかった
自分への 後悔の涙、でした。





私たちは いつが最後か 知ることができない。。。
けれども そうわかっていても なかなか
「こうしてあげよう」とか 思えないものだ、、、、と
今回 知りました。

わかりにくい文ですみません。



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