風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

一切れのかわいたパン

2014-12-21 | 信仰
(copy and paste)



一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、
ごちそうと争いに満ちた家にまさる。

                       (箴言17:1)



会場が使えず 礼拝が2週続けてなかった。
礼拝に集えなかった時 時々一人礼拝をするが
先週はしなかった。
今日も 身支度をきれいに整えるのが遅く
こんな時間になってしまったが 一人礼拝した。

一人礼拝の時は 未読の聖書箇所を 短い書物は一巻すべて
読むようにしている。
今日は ハガイ書だった。
恐ろしい感じがしたし 難しかった。


パンを一切れいただき 葡萄ジュースを一口飲み・・・
ふと 上記の御言葉が浮かんだ。
私が現代に食べるパンは こんなにふっくらと柔らかいが
(実は賞味期限は過ぎてるけど)
イエス様の時代は ぱさぱさだったのかなあ?と。
最後の晩餐で 水にひたしたパンをユダに与える場面を
読みながら そんなことを思った。


うちはどうだったろうか?
私の我儘な思いで・・・・・・・・
特に 父なきあと 母と娘と4人暮らしが続いて
徐々に 私の心にも疲れが出てきて・・・・・
私は 母に対して とても冷たい時が多かった。
争うまではいかなくても というか 争いは避けても
心は 争っているのと同じ。。。。。
心をかたくなにして。

思い起こせば 母は悪気があって 私が気にする言動をしたわけではなかった。
母にしてみれば どうということのない 家族間の日常のやりとりだったはずだった。
しかし 私という特殊な娘が、母の言動に敏感に反応し
勝手に傷つき 母を憎み 心を閉ざし
母はどうして私がそうなるのかも 理解できず・・・・
そうして 最後のお別れの日を迎えてしまった。

哀しいのは・・・・・・・・・・・
私は こんなに冷たいひどい娘で と 自分をずっとせめてきたのに
母は生前 周囲の人に 娘によくしてもらってとか
みんなと暮らせてとか 幸せだと 言っていたと耳にすることだ。

それでも やっぱり私には ああする以外できなかったなあ。。。


せめて・・・・・・・・・・・
今残された 3人家族、一切れの乾いたパンしかなくても
心を通わせあう 家族でいたいと思う。願う。

コメント    この記事についてブログを書く
« 今日は 母の命日 / 畑の今後 | トップ | インフルエンザ 流行中 (... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

信仰」カテゴリの最新記事