風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

見せ掛けに囚われる虚しさ・・・   (”荒野の食卓”より)

2006-05-04 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
≪荒れ野の食卓≫  byウォッチマン・ニー



5月3日


  この後、私は、天に大群衆の大きい声のようなものが、
  こう言うのを聞いた。
  「ハレルヤ。救い、栄光、力は、われらの神のもの。
           黙示 19.1


 この黙示録での最初のハレルヤは、何回も何回も
「大」を冠して記されてきたある都の滅亡によって生まれたものです。
なぜバビロンが投げやられたときに、
天はそれほどまでに歓喜の声を上げるのでしょうか。
なぜなら<font color=red><b>バビロンは見せかけとむなしさの霊が
具体的に姿をとって現れたものだからです</font></b>。
カナンに入植してから人々が犯した最初の罪は、
バビロンの服を身にまとったことでした。
アカンはバビロンのぜいたくな生活をむさぼりました。
彼は見栄えを飾りたかったのです。
そして初代教会において最初に記録された罪もそれと似ていました。
アナニヤとその妻サッピラは実際に払った犠牲よりも
多くのものを捧げたように見せかけて、
ひとびとの称賛を得ようとしました。
彼らも見栄を飾りたかったのです。

今日の教会において、我々はなんとあっさりと
他人に印象づけようと芝居を打ち、
自分たちのために称賛と喝采の席を設けることでしょう。
これこそバビロンの本質、すなわち淫婦。
そして神の忌み嫌われるもの。


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今の(いえ、これまでも)自分の姿と重なり
どっきりします。

             (kazenoiro)


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