↑そんなケースも珍しい。日々の歌#28の、
出だしはあまり好きではないが、さびの部分が好きで。
日々の歌 #28 【このしあわせ、この恵みよ】
このしあわせ、この恵みよ、主につく人は。
空しい道、黒い罪から、救われて。
その人はしあわせにあふれて
川岸に植わった木のように
その時が来たなら 豊かに実をつける。
その葉は いつまでも 緑に茂りゆく。
<font size=2>(メロディーはリンク(1)の「褒め称える歌集」で)</font>
ある日礼拝において、某兄弟が読まれた聖書の箇所。
詩篇 第一章 1~。 これを一緒にお読みして
「あ~、あの歌だ~」と嬉しくなったものだ。
幸いなことよ。
悪者のはかりごとに歩まず、
罪人の道に立たず、
あざける者の座につかなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、
水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。
時が来ると実がなり、葉は枯れない。
なんと希望に満ちた御言葉だろう。すごいよねーーー。
ほんとうにそうなりたい、わたしも。
時々・・・自分は信徒と呼ばれるにふさわしくない
なんて思ってしまうけれど、御言葉に助けられた。
私達は律法に生きていないと。律法によって信仰を持つなら、
義人(正しい人)はいないと聖書に書かれているのだから、
誰も神の国に入ることができない。つい「自分は__」と
思ってしまうけれど(自分を見てしまうけれど)
誰もが神様の前には 正しくないのだろう。イエス様以外は。
出だしはあまり好きではないが、さびの部分が好きで。
日々の歌 #28 【このしあわせ、この恵みよ】
このしあわせ、この恵みよ、主につく人は。
空しい道、黒い罪から、救われて。
その人はしあわせにあふれて
川岸に植わった木のように
その時が来たなら 豊かに実をつける。
その葉は いつまでも 緑に茂りゆく。
<font size=2>(メロディーはリンク(1)の「褒め称える歌集」で)</font>
ある日礼拝において、某兄弟が読まれた聖書の箇所。
詩篇 第一章 1~。 これを一緒にお読みして
「あ~、あの歌だ~」と嬉しくなったものだ。
幸いなことよ。
悪者のはかりごとに歩まず、
罪人の道に立たず、
あざける者の座につかなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、
水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。
時が来ると実がなり、葉は枯れない。
なんと希望に満ちた御言葉だろう。すごいよねーーー。
ほんとうにそうなりたい、わたしも。
時々・・・自分は信徒と呼ばれるにふさわしくない
なんて思ってしまうけれど、御言葉に助けられた。
私達は律法に生きていないと。律法によって信仰を持つなら、
義人(正しい人)はいないと聖書に書かれているのだから、
誰も神の国に入ることができない。つい「自分は__」と
思ってしまうけれど(自分を見てしまうけれど)
誰もが神様の前には 正しくないのだろう。イエス様以外は。
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