風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

日曜は…眠かったので

2002-09-03 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
<font size=2>礼拝だけで、その後のメッセージは聞かずに帰る予定だった。
礼拝後、お茶とお菓子の短いお交わり会が盛り上がり、目が覚め、「自分の計画」が吹っ飛んで、メッセージタイムに突入。「うとうとしちゃったら、失礼だよなあ…」と思ってたが…。何と!このメッセージは、今、私が最も思わされていることだったので、嬉しくて嬉しくて、一生懸命聞くことができた。
なんと感謝なこと……。聞いてメモしたことを抜粋してみる。

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   主は 私の 近くに おられる
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★イエス様はいつもすぐそばにいるのに、私達がいつも見るとは限らない。← 悲しみ・ぎらぎらしたすばらしいもの・恐れ…などに心奪われ、見えなくなることも。

★何かがあった時、イエス様が示されて(啓示されて)イエス様がすぐそばにいてくださることがわかる

★自分の財布にはこれしかないが(もちろんお金ではない。精神的なもの、弱さ、とかかな?)お父ちゃん=隣におられるイエス様=の財布には、もっとある
 
★私達はある意味、ひとりぼっち(孤独)にはなれない!!(主がいつもみていてくださるから)

★見よ、世の終わりまでいつもそばにいる → これを原点に生きる。いつも原点に戻る事が大切。

★聖書の創世記(天地創造、カインとアベル、ノアの箱舟etcが書かれているところ)で、エノクという人について記述があるが、メッセンジャーはこう思ったということ。 →エノクにおいては「自分はいつでも神の御前にいる」という意識習慣が形成されていたのでは?
・われわれも…仕事中も神様と一緒、終わったら感謝を捧げる
・日常のありふれた場所が祈りの場所になり、天への門となる

★二人のクリスチャン(一人はメッセージした兄弟)と二人のノン・クリスチャンが共に食事をした時、祈りを聞いてたノン・クリスチャンの方が…
「へー。神様は日本語がわかるんだ。普通の言葉で話しかけていいんだ」と感想を言った 【※風のいろも昔そう感じた事があった。祈りは、特別の言葉を使うのかなとか思ってたから。】

★エノクの一日の初めは祈りであったろう…

★ある作家が新聞のコラムで書いていたこと → フランスの修道院に彼女が行ったとき(滞在したとき?)、自分の部屋の廊下のつきあたり(?)の薄暗いところに祈る場所があった。自分(メッセンジャー)にもそんな場所があったらいいなと思った。
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みちのくの旅で自分が体験したばかりだったので、心に染み渡るように聞くことができた。帰らなくて良かった~と思った。



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