goo blog サービス終了のお知らせ 

風のいろは 何いろ?

手を休めずに種をまきなさい。
どの種が芽を出すか、わからないからです。
(リビングバイブル:伝道者の書 11-6)

これもあれも神のなさること。

2016-06-26 | 信仰
神のみわざに目を留めよ。
神が曲げたものをだれがまっすぐにできようか。
順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。
これもあれも神のなさること。
それは後の事を人にわからせないためである。


               伝道者の書 7章 13~14

----------------------------------------------


5月22日の 福音メッセージで引用された 一部。

逆境の日・・・・ついつい落ち込んでしまう。。。
でも 順境の日だって与えられている!
つい 感謝を忘れ 調子にのるというか 
自分の手柄みたいに感じて終わってしまう。
高慢になってしまい しかも気づかない。

どちらも 主からきたものと受け止めれば
いちいち落ち込んだり 高ぶったりしないはず。

常に 心の中に置きたい御言葉だ。


=======================================


神を愛する人々、すなわち、
神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、
私たちは知っています。

           ローマ人への手紙 8-28


------------------------------------------------

この二つの御言葉に はっとさせられた。
仕事での悩み。
悩まなくていいのだ。
すべては神様からきたこと。
私は 自ら悩まなくていいのだ。

コメント (1)    この記事についてブログを書く
« ※怪しいblogに誘導??? | トップ | 「朝が来る」 途中見るのが... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
益としてくださるとは (中央太郎)
2017-04-08 22:07:48
何も受験で成功した、終わりよければ全て良し、
塞翁が馬と言うことではありません。
もしそう考えるならば信仰が御利益信仰という事です。
主から見れば悲しいことです。
主であるイエス・キリストは、私達を見放さず、
離れず共にいて下さる方ですが、
私達罪人は、主イエスから離れ、見放してしまう存在で
ある事がわかります。
益として下さるとは主が罪人である私達といて下さり、
嬉しい時も悲しい時もどこまでも歩いてくださる存在です。たとえ道が舗装されていなくてもぬかるんでも
共に歩いて下さる、義足でも共に歩いて下さる存在
です。主イエス・キリストは、人間の思いや考えを超越したお方である事がわかります。まさに、ローマ人への手紙8章28節から見ることができました。知識は人を傲慢にしますが主の前に遜るならば、聖書の知識はどんなに増やしても構わないと感じます。
返信する

コメントを投稿

信仰」カテゴリの最新記事