霊が、心が、肉が(←by 食べ物)、満たされました。ベック兄の奥様・ミンヘン姉妹のお姿は見えましたが(最近、こちらへの家庭集会にも来てくださってます)、今日は、ベック兄のお姿、直接には一度も目にしていないことを思い出しました。私の座った席からは死角だったので。
お宅に到着するのが少し遅れてしまい、メッセージの初めを聞き逃してしまいました。テープをダビングして帰りに車の中で聞いてみると、それほどメッセージ開始には遅れていなかったことがわかりました。
春日部集会・印旛集会の姉妹方、また、初めて来られた方もたくさんいらっしゃいました。メサイアなどで、アルトのソロを歌われるF姉妹のお母様姉妹とお交わりしたのですが、今、ご主人兄のお母様、ご自分のお母様とも、お暮らしになってらっしゃるとか。一緒に見えていました。ご主人のお仕事の歴史?についてもお伺いできました。
別のところで食事しつつお交わりして戴いたH姉妹に、どんなふうに信仰に導かれたのかお尋ねしました。さきほどのFお母様姉妹と、子供の幼稚園が一緒だったことから集会を知ったそう。それと、私にとって初耳だったのは、とっても祝福されていつもいっぱいの人で埋まる春日部集会が、どんなふうに持たれるようになったのかの経緯。春日部集会にてベックさんと初めてお会いしたので、私にとっても思い出深い地。
印旛の姉妹方。あちこちでお会いしている姉妹や久しぶりにお会いする姉妹…。懐かしさでいっぱいになりました。印旛の集会も、二度目にベックさんとお交わりした地なので思い出深いです。(なお、二度もベックさんとお交わりした人はほとんどいないと思います。それだけ私の心が頑なだったのでしょう。それでも主を受け入れるまで、まだまだ時間がかかりました。)
洗礼の話になり。私は自ら洗礼を受けたいと望んで受けたわけでなく、ある質問をベックさんにした後、突然「明日洗礼を受けなさい」と言われました。(ただ実際は、身体的事情があったので、それから数ヵ月後の大洗のキャンプで洗礼を受けましたが。) そのせいか…(?)どうも私の中に救いの確信、というか、救われているってどういうことだろうと言う疑問や、神様が決めるはずの天国行きの確信を、どうして集会の兄弟姉妹はあんなにはっきりと持ってらっしゃるのかと言う疑問が、ずっと自分の中にくすぶっていました。。。
今日は遅れそうになって、本当は行くのを直前になって止めようかと思っていたのですが(ドタキャンしようとしていた)、お交わりもそうですけど、ベック兄のメッセージをお聞きして、ああ、来て本当に良かったと思いました。いえ、神様が招いてくださったのですけど。今日、私が戴いた素敵なメッセージの一つは……
キリストの御霊mitamaを持つこと
=聖霊を持つこと=救われている
というものでした。キリストの御霊が自分のうちに内在している事は、説明はできませんが、私も自分で確信しています。そのことイコール救われていることなのだと、ベックさんのメッセージをお聞きして、「そうなんだ、わからないけど、そうなんだ」、と思うことができてほっとしました。(兄弟姉妹の皆さん、こんな私を笑わないでくださいね。)
メッセージのメモ、長くなるので、別に書きます。
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「満たされた家庭集会」と題しましたが、自分にとってはこれまでのたぶん10年くらいの間に集った家庭集会のうち、最も満たされた思いで集えたものでした。理屈屋、または心理分析の好きな私は、どうしてかなと考えました。
私はこれまで、家庭集会や他の集いにおいて、自分からすすんで人とのお交わりに入っていくことはあまりありませんでした。いつもお客様みたいに、人が自分に近寄って来て下さるのを、またはお交わりの輪の中に誘って下さるのを、待っていました。
しかし今日は、私が勤務しているR市にお住まいのご夫婦(牛久のN姉妹がお祈りされていた方でした。またご主人のお姉さまが横浜の姉妹だそう)が初めてお見えになり、自分のすぐ近くにお座りになってらっしゃったので、思い切って自分から声をかけさせて戴きました。家に遊びにいらっしゃいと言われ、地図を描いていただくと、なんとか行けそうなわかりやすい場所でした。そんな事から話がはずんだのと、初めての姉妹ともリラックスしてお話でき、そのH姉妹の娘さんはなんと今年看護師一年生ということで、長女の仕事と同じだったので、そんなことでも話が盛り上がれました。
なんというか、自分から積極的に人とのお交わりを持てたことで、お客様感覚から脱却できたってとこでしょうか・・・。祈り会や、さまざまな最近の主からの試練・訓練を通し、私の信仰が、少し変わって来た(成長した?)ためなのかなと、思いました。
お宅に到着するのが少し遅れてしまい、メッセージの初めを聞き逃してしまいました。テープをダビングして帰りに車の中で聞いてみると、それほどメッセージ開始には遅れていなかったことがわかりました。
春日部集会・印旛集会の姉妹方、また、初めて来られた方もたくさんいらっしゃいました。メサイアなどで、アルトのソロを歌われるF姉妹のお母様姉妹とお交わりしたのですが、今、ご主人兄のお母様、ご自分のお母様とも、お暮らしになってらっしゃるとか。一緒に見えていました。ご主人のお仕事の歴史?についてもお伺いできました。
別のところで食事しつつお交わりして戴いたH姉妹に、どんなふうに信仰に導かれたのかお尋ねしました。さきほどのFお母様姉妹と、子供の幼稚園が一緒だったことから集会を知ったそう。それと、私にとって初耳だったのは、とっても祝福されていつもいっぱいの人で埋まる春日部集会が、どんなふうに持たれるようになったのかの経緯。春日部集会にてベックさんと初めてお会いしたので、私にとっても思い出深い地。
印旛の姉妹方。あちこちでお会いしている姉妹や久しぶりにお会いする姉妹…。懐かしさでいっぱいになりました。印旛の集会も、二度目にベックさんとお交わりした地なので思い出深いです。(なお、二度もベックさんとお交わりした人はほとんどいないと思います。それだけ私の心が頑なだったのでしょう。それでも主を受け入れるまで、まだまだ時間がかかりました。)
洗礼の話になり。私は自ら洗礼を受けたいと望んで受けたわけでなく、ある質問をベックさんにした後、突然「明日洗礼を受けなさい」と言われました。(ただ実際は、身体的事情があったので、それから数ヵ月後の大洗のキャンプで洗礼を受けましたが。) そのせいか…(?)どうも私の中に救いの確信、というか、救われているってどういうことだろうと言う疑問や、神様が決めるはずの天国行きの確信を、どうして集会の兄弟姉妹はあんなにはっきりと持ってらっしゃるのかと言う疑問が、ずっと自分の中にくすぶっていました。。。
今日は遅れそうになって、本当は行くのを直前になって止めようかと思っていたのですが(ドタキャンしようとしていた)、お交わりもそうですけど、ベック兄のメッセージをお聞きして、ああ、来て本当に良かったと思いました。いえ、神様が招いてくださったのですけど。今日、私が戴いた素敵なメッセージの一つは……
キリストの御霊mitamaを持つこと
=聖霊を持つこと=救われている
というものでした。キリストの御霊が自分のうちに内在している事は、説明はできませんが、私も自分で確信しています。そのことイコール救われていることなのだと、ベックさんのメッセージをお聞きして、「そうなんだ、わからないけど、そうなんだ」、と思うことができてほっとしました。(兄弟姉妹の皆さん、こんな私を笑わないでくださいね。)
メッセージのメモ、長くなるので、別に書きます。
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「満たされた家庭集会」と題しましたが、自分にとってはこれまでのたぶん10年くらいの間に集った家庭集会のうち、最も満たされた思いで集えたものでした。理屈屋、または心理分析の好きな私は、どうしてかなと考えました。
私はこれまで、家庭集会や他の集いにおいて、自分からすすんで人とのお交わりに入っていくことはあまりありませんでした。いつもお客様みたいに、人が自分に近寄って来て下さるのを、またはお交わりの輪の中に誘って下さるのを、待っていました。
しかし今日は、私が勤務しているR市にお住まいのご夫婦(牛久のN姉妹がお祈りされていた方でした。またご主人のお姉さまが横浜の姉妹だそう)が初めてお見えになり、自分のすぐ近くにお座りになってらっしゃったので、思い切って自分から声をかけさせて戴きました。家に遊びにいらっしゃいと言われ、地図を描いていただくと、なんとか行けそうなわかりやすい場所でした。そんな事から話がはずんだのと、初めての姉妹ともリラックスしてお話でき、そのH姉妹の娘さんはなんと今年看護師一年生ということで、長女の仕事と同じだったので、そんなことでも話が盛り上がれました。
なんというか、自分から積極的に人とのお交わりを持てたことで、お客様感覚から脱却できたってとこでしょうか・・・。祈り会や、さまざまな最近の主からの試練・訓練を通し、私の信仰が、少し変わって来た(成長した?)ためなのかなと、思いました。
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