仕事での失敗。
小さいけれど Aさんに迷惑をかけてしまった。
そして ある人からの冷たい視線と
もう一人の方からの 上から目線の…言葉と。
自分がいけないのに
どうして 傷つくのだろう?
久しく 人とは関わりの少ない業務をしている。
時々は 少しの事が 他の人と関わってしまう。
そんな中でのミス。
しかも 先日も同じようなケースで
その人たちに迷惑をかけてしまった。
ドキドキして……久しぶりに業務で悩みが生じた。
(進退以外の悩みとして)
こういう時の私は 動揺しやすく
深く深く落ち込んでしまう。
(私だけではないのだろうけど)
迷惑を一番蒙ったAさんは むしろ 別の意味で
「ごめんなさい」って 私に…。
私こそあなたにごめんなさい なのに…。
その方は 穏やかな方で 今年に入ってそこに配属されたばかりで
やっと慣れてきたのだが もう一人のベテランさんが
どうも体調を壊して 先週から休みがちらしい。
何か月か前だったら こんな状況の時
きっと私に 応援要請があったはずだが
私には 誰も何も言ってこなかった。
(いつも恐れていた。もしどちらかに何かあったら
また私に 依頼がくるのだろうと。。。
その恐れも 退職を決意した理由の一つなのだが。)
今日 初めて事情を知り、それでも
『いや もし頼まれても 最低限しかヘルプできないぞ。
前みたいに 全力で応援はできないぞ。』
と 自分に何度も言い聞かせていた。
この方たちに 同情する所は大いにあったけれど
しかし 長い間 自分の時間、都合を搾取されたと
感じてきた私、被害者意識を強く持っていた私は……
あまり関わらないように、自分に火の粉が降って
来ないように 用心して用心していた。
そんな思いを抱えていての この失敗。
自分の中に 高慢があったのだろうか?
謙虚さが不足しすぎていたのだろうか?
夕方近くの出来事だったが 帰りに駐車場に向かいながら
本当に 軽い動悸があり 落ち込み落ち込み落ち込み…。
いろんな意味で 自分に落ち度があるので……
神様に慰めてくださいと祈った。
神様。弱い私を御赦しください。
弱いとは 自分に複雑な出来事が起こらないようにと
願って仕事してきたこと、保守的になっていたこと。
自分のことだけ考えていたこと。
神様。動揺している私をどうか慰めてください。
小さいけれど Aさんに迷惑をかけてしまった。
そして ある人からの冷たい視線と
もう一人の方からの 上から目線の…言葉と。
自分がいけないのに
どうして 傷つくのだろう?
久しく 人とは関わりの少ない業務をしている。
時々は 少しの事が 他の人と関わってしまう。
そんな中でのミス。
しかも 先日も同じようなケースで
その人たちに迷惑をかけてしまった。
ドキドキして……久しぶりに業務で悩みが生じた。
(進退以外の悩みとして)
こういう時の私は 動揺しやすく
深く深く落ち込んでしまう。
(私だけではないのだろうけど)
迷惑を一番蒙ったAさんは むしろ 別の意味で
「ごめんなさい」って 私に…。
私こそあなたにごめんなさい なのに…。
その方は 穏やかな方で 今年に入ってそこに配属されたばかりで
やっと慣れてきたのだが もう一人のベテランさんが
どうも体調を壊して 先週から休みがちらしい。
何か月か前だったら こんな状況の時
きっと私に 応援要請があったはずだが
私には 誰も何も言ってこなかった。
(いつも恐れていた。もしどちらかに何かあったら
また私に 依頼がくるのだろうと。。。
その恐れも 退職を決意した理由の一つなのだが。)
今日 初めて事情を知り、それでも
『いや もし頼まれても 最低限しかヘルプできないぞ。
前みたいに 全力で応援はできないぞ。』
と 自分に何度も言い聞かせていた。
この方たちに 同情する所は大いにあったけれど
しかし 長い間 自分の時間、都合を搾取されたと
感じてきた私、被害者意識を強く持っていた私は……
あまり関わらないように、自分に火の粉が降って
来ないように 用心して用心していた。
そんな思いを抱えていての この失敗。
自分の中に 高慢があったのだろうか?
謙虚さが不足しすぎていたのだろうか?
夕方近くの出来事だったが 帰りに駐車場に向かいながら
本当に 軽い動悸があり 落ち込み落ち込み落ち込み…。
いろんな意味で 自分に落ち度があるので……
神様に慰めてくださいと祈った。
神様。弱い私を御赦しください。
弱いとは 自分に複雑な出来事が起こらないようにと
願って仕事してきたこと、保守的になっていたこと。
自分のことだけ考えていたこと。
神様。動揺している私をどうか慰めてください。
説教は、説教者自身が信仰姿勢、聖書理解を問われます。自分自身の勝負の場でもあるのです。良い説教とは、聴衆者の信仰が問わしてくれるものです。話の上手い下手も関係無いわけではないですが、話が上手いと案外酔いしれて恵まれなかったと言う
事も少なくありません。恵まれるとは、自分の不信仰
が問われ、聖書理解が深まっていくものです。
説教者は普段から御言葉に向き合い、祈り通し続けることがあります。それだけでなく、同労者である牧師先生の話を聴く事です。間違っても「あいつの説教・・。」と思ってはなりません。最後に説教に終わりはありません。100%成功もありません。だからこそ、謙遜する姿勢が問われています。
恵みとは、祈る事もそうですが、
主によって救われる事も恵みです。
救いなくして信仰生活はありえません。
まさに感謝な事です。
信仰がない時は知らなかったけれど
祈ることができるって ほんと 恵み・・・。感謝。
そして祈ります。祈ることによって、
自分の罪深さ、弱さ、小ささがわかります。
それが主の慰め、愛の深さではないでしょうか。