風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

礼拝 と 福音集会メッセージ

2003-09-14 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
 礼拝時、ここ一年ぐらい、パン裂きの前にちょっと長めのお祈りをしている。祈らずにいられなくて。感謝だったり、悔い改めだったり、祈りだったり。今日は、、、ちょっとうるっときて、皆さんに見られたくなくて、急いで拭き取った。人前では涙は見せたくない、なるべく。(出ちゃったら仕方ないけど)
 今日は相模原集会から、後藤兄がメッセージに来てくださった。後藤兄というと、土浦での初めての礼拝を思い出す。「もしまだ主を信じていなくて聖餐に預かったら、どうなるのですか?」なんて質問した私。相手は後藤兄でしたあ。


  テーマ  『すべては神から』
 
   引用聖句 【ペテロの手紙 第一:2章18~21】
   
   しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。
   善良で優しい主人に対してだけでなく
   横暴な主人に対しても従いなさい。
   人がもし、不当な苦しみを受けながらも
   神の前における良心のゆえに、悲しみを
   こらえるなら、それは喜ばれることです。
   罪を犯したために打ちたたかれて
   それを耐え忍んだからといって、何の誉れに
   なるでしょう。けれども、善を行っていて
   苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら
   それは神に喜ばれることです。
   あなたがたが召されたのは、実にそのためです。
   キリストも、あなたがたのために苦しみを受け
   その足跡に従うようにと、
   あなたがたに模範を残されました。


他の引用聖句
   ※ヨハネの手紙 第一:2章15~17
   ※テトス 2章12~13  など

徳島集会の絵を描かれるH兄。三十代で筋ジストロフィー。兄弟の描かれた絵の一つに、歪んだ菓子箱があった。しかし、歪んでいても『存在していること』が大切だとH兄。私たちも、、、神の前に誰ひとり罪のない人はいない(罪の大小はあっても)=完璧な人はいない。しかし、そんな歪んだわたしたちも、神の前に存在していることが大切。
最近は手を動かすことも頭を動かすこともできない。他の方の(病院の)ベッドにはTVがあるが、兄弟のにはない。窓際ではないから外の景色も見えない。じっと動かずに耐えていらっしゃるそのお姿に、キリストの忍耐の姿を見た。
        (事情があり、省略多数です)
コメント    この記事についてブログを書く
« (ё ё) うれぴー!  (9... | トップ | 脱北された人々の報道を見て »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記(旧サイト~移行分:未分類)」カテゴリの最新記事