イタリアのペンパルとは 中学の海外文通クラブというので知り合いました。
その時の顧問の先生が オーストラリアの中学の先生と知り合いだったらしく
クラブのみんなが アトランダムに ペンパルを得ました。
私は 小学校6年の時 漫画雑誌リボンの付録で
水野英子描く 「ローマの休日」を見たり イタリアの古い遺跡や風景を見ていて
イタリアに憧れていたので、自分のペンパルがイタリア人だったことが
嬉しかったです。私は中2、彼女は中3でした。13歳と14歳。
送ってくれた写真は 当時「愛の奇跡」「愛は傷つきやすく」とかヒットを
出していた ヒデとロザンナ の ロザンナに似ていました!
(ロザンナは 「ヒデとロザンナ」デビュー前に 17歳だったようです)
こちらから出す時は 単語を英語に訳して 先生に見せて
先生に文章にしてもらって 写して書いて
受け取ったらまた自分なりに訳して
先生に確認してもらって(ほとんどわからなかった・・・)という方法でした。
たぶん、ずっと文通してるのは 私だけかもしれません。
中学3年になると 顧問の先生は中学を去られ
文通クラブは 英語クラブみたいな形で 残りました。
顧問は 私の中学3年間とも担任だった先生でした。
英語クラブでは 新しいペンパルを紹介したりはなかったです。
英語の劇をして 何かの会(学習発表会?)で発表したりしました。
まだ文通を続けていた私は この先生に添削をお願いして 文通を続けました。
先生は彼女の英語を 「文法がでたらめね」みたいな
表現をされ、中学3年だった私は 不安になったものです。
彼女の英語がおかしかったのは 9歳でオーストラリアに移住したからでしょう。
高校では 結構自学で一生懸命勉強し、わからない表現は英語の先生に聞き・・。
それがきっと 多少の英語力を培ってもくれたのでしょう。
彼女は二十歳でイタリアに帰り 英語生活から離れていきました。
すると彼女の英文も どんどん????な綴りであふれ
前後の関連でわかるものもあったけれど (動詞とかね has が as だったり)
名詞になると 辞書を見ても載ってなかったり・・・・。
恥ずかしながら 彼女の手紙の100%は 理解していないままでした。
(今でも わからない単語に出会います。ネット辞書でもお手上げです)
英文手紙を ちょちょちょっと書けたら わからない単語も 次の手紙で気軽に
「〇〇〇の意味はなあに?辞書になかったんだけど」って聞けるんだけど
当時の私は 必死の思いで 辞書とくびっぴきで
ネットもPCもない時代だから ひたすら辞書を引いて。
(高校を出たら もう私には 英語についての
相談ができる相手がいませんでしたからね)
だから メインの伝えたい文章を作るのに一生懸命で
そこに ちょこっと そういう質問を入れる余裕が なかったんですね。
別の言い方をすると いい加減だった?(゜o゜)
Wikiで ロザンナを調べていて 余談が・・・・・・。
エピソード
本土復帰前の沖縄県で放送されていたテレビ番組にヒデとロザンナがゲスト出演した際、
アシスタントとして出演していた少女の写真をマネージャーが持ち帰った。
その写真がCBS・ソニーの関係者の目に留まり、歌手デビューするきっかけとなった。
その少女が、のちの南沙織である。
ヒデとロザンナ と 南沙織の 意外な出会い。。。知らなかったなあ。
その時の顧問の先生が オーストラリアの中学の先生と知り合いだったらしく
クラブのみんなが アトランダムに ペンパルを得ました。
私は 小学校6年の時 漫画雑誌リボンの付録で
水野英子描く 「ローマの休日」を見たり イタリアの古い遺跡や風景を見ていて
イタリアに憧れていたので、自分のペンパルがイタリア人だったことが
嬉しかったです。私は中2、彼女は中3でした。13歳と14歳。
送ってくれた写真は 当時「愛の奇跡」「愛は傷つきやすく」とかヒットを
出していた ヒデとロザンナ の ロザンナに似ていました!
(ロザンナは 「ヒデとロザンナ」デビュー前に 17歳だったようです)
こちらから出す時は 単語を英語に訳して 先生に見せて
先生に文章にしてもらって 写して書いて
受け取ったらまた自分なりに訳して
先生に確認してもらって(ほとんどわからなかった・・・)という方法でした。
たぶん、ずっと文通してるのは 私だけかもしれません。
中学3年になると 顧問の先生は中学を去られ
文通クラブは 英語クラブみたいな形で 残りました。
顧問は 私の中学3年間とも担任だった先生でした。
英語クラブでは 新しいペンパルを紹介したりはなかったです。
英語の劇をして 何かの会(学習発表会?)で発表したりしました。
まだ文通を続けていた私は この先生に添削をお願いして 文通を続けました。
先生は彼女の英語を 「文法がでたらめね」みたいな
表現をされ、中学3年だった私は 不安になったものです。
彼女の英語がおかしかったのは 9歳でオーストラリアに移住したからでしょう。
高校では 結構自学で一生懸命勉強し、わからない表現は英語の先生に聞き・・。
それがきっと 多少の英語力を培ってもくれたのでしょう。
彼女は二十歳でイタリアに帰り 英語生活から離れていきました。
すると彼女の英文も どんどん????な綴りであふれ
前後の関連でわかるものもあったけれど (動詞とかね has が as だったり)
名詞になると 辞書を見ても載ってなかったり・・・・。
恥ずかしながら 彼女の手紙の100%は 理解していないままでした。
(今でも わからない単語に出会います。ネット辞書でもお手上げです)
英文手紙を ちょちょちょっと書けたら わからない単語も 次の手紙で気軽に
「〇〇〇の意味はなあに?辞書になかったんだけど」って聞けるんだけど
当時の私は 必死の思いで 辞書とくびっぴきで
ネットもPCもない時代だから ひたすら辞書を引いて。
(高校を出たら もう私には 英語についての
相談ができる相手がいませんでしたからね)
だから メインの伝えたい文章を作るのに一生懸命で
そこに ちょこっと そういう質問を入れる余裕が なかったんですね。
別の言い方をすると いい加減だった?(゜o゜)
Wikiで ロザンナを調べていて 余談が・・・・・・。
エピソード
本土復帰前の沖縄県で放送されていたテレビ番組にヒデとロザンナがゲスト出演した際、
アシスタントとして出演していた少女の写真をマネージャーが持ち帰った。
その写真がCBS・ソニーの関係者の目に留まり、歌手デビューするきっかけとなった。
その少女が、のちの南沙織である。
ヒデとロザンナ と 南沙織の 意外な出会い。。。知らなかったなあ。
なんか、凄い話ですね。
あと、数年で、半世紀は文通が続いてるなんて、キセキ。
きっと、お相手の女性も誇らしいんじゃないかな。
日本人とこんなに長くお付き合いしてるなんて。
旦那様(いるのか)よりも、長い付き合いでしょう。
なんて、素敵なお話でしょうか。
そうそう、私、明日も行かれません。
今度会った時に、理由をお話します。
息子のことです。
お会いできる日まで、お元気で。
メールみたいになっちゃった。
(悪い意味じゃないよ。悩みを悩みとしない というのかな?信仰的にね)
blogで ちらっと息子さんの事で 何かあったと知り
急に 身近に感じました。 まこさんも 悩める母なんだなあって^^;
私たちは まだ 個人的なこと 詳しくは互いに知らないですね。
でも ちょっとずつちょっとずつ 知っていけたらいいですね。
私もね、実は今週は休みたいなと思っていたのだけれど
先週 A兄姉が来られなくて、私から相談事があるので
明日会えるかも と思い 行こうと思っています。
(私の葬儀の時のこと)
その間には 1年とか2年とか 手紙を出し合ってない事もあるんです。
特に 私が遅れがちでしたが 彼女の場合は 住所が変わったりして。。。
彼女も私も 20代前半で結婚しました。
私は25歳で離婚してしまったけれど 実は彼女も別居してるんです。
手紙の中には 離婚=divorce という単語は出てこず
separateという単語がありました。 分かれる?
旦那さんは 私の元旦那と同じ 借金問題を抱えていたようです。
しかも 彼女 旦那の借金を返すとかなんとか書いてて
イタリアの事情がわからず ???な内容でした。
しかも その手紙の何年か後(連絡がとれなかった後)
別の住所から手紙が届き 別の男性と子供たちと一緒の写真が送られてきて ??? でしたー。
イタリアに何年か住んでいた 親しい薬剤師さんにこの話したら
イタリアはカトリックの国で 法律で離婚が認められていないけど
現実には 籍があっても 別の人と暮らすというのがあるみたいと。
(今は離婚ができるのかどうか わかりませんが)
今度 この件についても 尋ねてみようと思います。
互いにとっても大人になったので 勇気をもって聞きにくいことを質問してみます。
国は違っても 二十歳前後の頃は 私は 友達にも言えない話を
彼女に打ち明けたことがあり (英語書くの大変でした)
気持ち的には とっても深くつながってるなあと思ってます。
気持ち的にはね!^^;
特に 西洋の方(または日本人でないアジア人も?)は
友情とか人とのつながりに篤い または熱い気がします。
彼女の手紙の最後に LOVE とか キスを意味する ××× とか
書かれてると 嬉しいし 新鮮です。
私からは LOVEは書くけど ×××は 書かないです^^;
イタリヤ女性、ペンパル、ロザンナ似の友人との関係、半端ないですね。
更に感動しちゃたあ。
ただ、長いだけじゃなく、関係性、密度が濃いわあ。
とっても、素敵。
でも、これを英語でコミュニケーション取るって、大変だったでしょう。
でも、語彙数じゃなく、気持ちって、不思議だけど、伝わるもなんですよね。
私も、酷い英語だけど、バングラデシュの30歳の友人(母親代わり)がいるけど
私は、英語が出てこないけど、彼女のさみしい気持ちが、ぐんぐん伝わってきます。
風さんは、ずっと、良い友だちでい続けるんでしょうねえ。
彼女も波乱万丈そうですね。
皆、生きるのは、大変なんですね。
私もですよ、みな、弱くて脆い。
だから、イエス様が必要なんですね。
私たちも、時間をかけて、互いに深く知り合えたら嬉しいです。
私は 彼女に対して 十分こたえ切れてなくて 申し訳なくて。。。
会えたら嬉しいけど 言葉の不安もあるから
イタリアで会っても 日本で会っても 私の家族だけが対応するみたいのは
非常に不安で 積極的にそういう話ができなくて
自分の思いと 現実のことが 相反してて 歯がゆいです。
でも かと言って 英語の勉強・・・なかなか熱が入りません。^^;
英会話 習いたいけど 先立つものが~~~。
ま! いいか!
一番大切なことは イエス様だからね。
英語云々の前に(それもしたいけど) 聖書と、イエス様と
もっともっと 向き合わないとね。
この世の一生は短いからね
ヤりたいことは一杯あっても、
からだと時間とお金には限りがあるもんね
神の国と義とを、求めれば、その他はそえてあたえられる
よね、必要なものは与えられる
必要でないものは与えられないんでしょうね
私たちの欲求はエンドレスですものね
今日の祈り会(私はまた微妙に遅刻・・・)も とても感謝でした。
11時から 祈りましょうね、と K姉妹が前回もおっしゃってたけど
結局 祈り始めたのは 12時10分くらい前で
でも 課題の出しあっているので 心はひとつで祈り会えました
まこさんの心と身体、どうぞお守りください。
ご家族にも 恵みに満ちたイエス様からの導きが
豊かにありますように。(おひとりおひとりに)
まこさんや 私たちに それぞれに今与えられている困難も
イエス様が背後におられてのことと 信じる時に
平安がありますから 感謝いたします。
アーメン