中学生の時、クラブを通し海外文通というのを始めました。
先生が添削してくれて やっと英語で文通文が書けました。
高校に行くと、もうそういうクラブもなく、自力で
英文を考え、どうしてもわからない所は
英語の先生に質問して 解決しながら 作成していました。
(ある意味 これは私に英語力をつけてくれました)
彼女は オーストラリアに住む イタリア人でした。
クリスマスやイースターには 今度は正真正銘
私宛てに、カードを送ってくれました。
私も 欠かさず クリスマスカードを送りました。
習慣にないので、遅れがちでしたけど(汗)。
別にキリスト教信仰を持ったからでなく、文通の仕方の本に
書いてあったから それが礼儀なのだと思ってしていました。
イースターについては カードさえ 日本には売ってなかったし
(売っているところにはあったでしょうけど)
文通マニュアルでも そこは書いてなかったので
彼女から頂くだけでした。イースターの意味もわからなかったし。
中学2年で保健体育の時間だったかに 人の受精について学んだ時、
自分という人間が生まれる 確率を思い 気が遠くなりました。
自分がこの世に誕生したのは、偶然なのか?運命なのか?って
この時から 疑問に思っていました。(信仰を持つまで)
高校2年の後の春休みに クラスメートと初めて教会に行きました。
新しく赴任してきたという 若い牧師さんご夫妻(アメリカ人?)。
ちょうどイースターでしたので、たぶん卵とかあったかも…?
日曜学校に通っているらしい 年下の子が
献金する時 「いくらでもいいんだよ、10円でも」
って教えてくれて、たぶん10円献金した気がします。
私は実は その後 教会に通ってみたかったのですが
一人で行く勇気もなく、そのままでした。
高校3年の5月ごろ 修学旅行があり 当時は関西でしたので
その時の仲良しグループと 自由行動で お寺巡りみたいのをしました。
とはいえ、あまり有名でない所で しかも 適当に道を歩いていって
行った先で見つけたお寺でしたけど。
私は 本当は 続けて教会も行ってみたかったのですが
グループのリーダー的存在の子が、
「お寺に行くと お寺もいいと思えるよね~」と
誰も 教会に再び行く人もなく、私もひとりで行く勇気もなく
教会に行ったのは 1回だけでした。
(それに信仰がどうというより 憧れから興味を持っていました)
昼休みによく本を読んでいた私に
クラスメートの男子が 聖書をくれました。
その子がくれた事を 忘れていたのですが
後になって聖書の後ろを見たら 彼の名前があり
思い出したのでした。
新しい聖書を買ったから あげると。
小説の中に引用されていた箇所を探したり
特に 「伝道者の書」が 印象に残っています。
しかし 特に信仰をもつには至りませんでした。
この頃、進路のことで 悩みが生じ、(親と自分のずれ)
それとともに、人生を17歳にして 虚しいと感じ
大きな孤独感を抱えて 生きることになりました。
それは ずっとずっと続きました。
・・・・・・・続く
先生が添削してくれて やっと英語で文通文が書けました。
高校に行くと、もうそういうクラブもなく、自力で
英文を考え、どうしてもわからない所は
英語の先生に質問して 解決しながら 作成していました。
(ある意味 これは私に英語力をつけてくれました)
彼女は オーストラリアに住む イタリア人でした。
クリスマスやイースターには 今度は正真正銘
私宛てに、カードを送ってくれました。
私も 欠かさず クリスマスカードを送りました。
習慣にないので、遅れがちでしたけど(汗)。
別にキリスト教信仰を持ったからでなく、文通の仕方の本に
書いてあったから それが礼儀なのだと思ってしていました。
イースターについては カードさえ 日本には売ってなかったし
(売っているところにはあったでしょうけど)
文通マニュアルでも そこは書いてなかったので
彼女から頂くだけでした。イースターの意味もわからなかったし。
中学2年で保健体育の時間だったかに 人の受精について学んだ時、
自分という人間が生まれる 確率を思い 気が遠くなりました。
自分がこの世に誕生したのは、偶然なのか?運命なのか?って
この時から 疑問に思っていました。(信仰を持つまで)
高校2年の後の春休みに クラスメートと初めて教会に行きました。
新しく赴任してきたという 若い牧師さんご夫妻(アメリカ人?)。
ちょうどイースターでしたので、たぶん卵とかあったかも…?
日曜学校に通っているらしい 年下の子が
献金する時 「いくらでもいいんだよ、10円でも」
って教えてくれて、たぶん10円献金した気がします。
私は実は その後 教会に通ってみたかったのですが
一人で行く勇気もなく、そのままでした。
高校3年の5月ごろ 修学旅行があり 当時は関西でしたので
その時の仲良しグループと 自由行動で お寺巡りみたいのをしました。
とはいえ、あまり有名でない所で しかも 適当に道を歩いていって
行った先で見つけたお寺でしたけど。
私は 本当は 続けて教会も行ってみたかったのですが
グループのリーダー的存在の子が、
「お寺に行くと お寺もいいと思えるよね~」と
誰も 教会に再び行く人もなく、私もひとりで行く勇気もなく
教会に行ったのは 1回だけでした。
(それに信仰がどうというより 憧れから興味を持っていました)
昼休みによく本を読んでいた私に
クラスメートの男子が 聖書をくれました。
その子がくれた事を 忘れていたのですが
後になって聖書の後ろを見たら 彼の名前があり
思い出したのでした。
新しい聖書を買ったから あげると。
小説の中に引用されていた箇所を探したり
特に 「伝道者の書」が 印象に残っています。
しかし 特に信仰をもつには至りませんでした。
この頃、進路のことで 悩みが生じ、(親と自分のずれ)
それとともに、人生を17歳にして 虚しいと感じ
大きな孤独感を抱えて 生きることになりました。
それは ずっとずっと続きました。
・・・・・・・続く
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