東方閃電はどこに由来するのか

「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。」(マタイによる福音書 24:27)

宗教音楽 讃美歌 「神だけがいのちの道を持っている」

2019-08-20 09:58:16 | 教会讃美歌

 

宗教音楽 讃美歌 「神だけがいのちの道を持っている」

いのちの道は誰もが備えているものではなく
それは誰もが簡単に手に入れられるものではない
いのちは神だけから来るのであって唯一
神だけがいのちの本質 いのちの道を持っている
それゆえ神だけがいのちの源であり
尽きることなく流れる生けるいのちの水の泉である
世界の創造以来
神は人にいのちをもたらすために
いのちの活力に関する多くの業を行った
人がいのちを得るために
神は大いなる代価を払った
なぜなら神自身が永遠のいのちであり
神は人が復活するための道だから

神は人の心から離れず人の間に住む
神は生活の原動力 生存の拠り所である
神は生きるための豊かな貯えであり
人を生まれ変わらせ
違う役割の中で生きさせる
神の力と神の絶えることのないいのちの力によって
人は何世代も生き続ける事ができた
神のいのちの力は人々をいつまでも支え続ける
神は普通の人がこれまで払ったことのない
大いなる代価を払ったのである
神のいのちの力は全てに勝り 全てを超える
神のいのちは永遠で神の力は途方もない
どんな被造物も敵も
神のいのちの力を圧倒することはできない
それは実在していて
いつでもどこでも明るく光り輝く
天と地は変わっても神のいのちは変わらない
全てのものは過ぎ去るが
神は全ての存在の源 根幹であるため
神のいのちは残っている
神自身が永遠のいのちだから
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

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職場話題・仕事を維持する良い方法

2019-08-19 08:55:59 | 信仰と生活

職場話題・仕事を維持する良い方法

私は最初アメリカに来た時、言葉の壁が原因で、レストランのキッチンスタッフの仕事を見つけるのにかなりの時間がかかりました。しかし、ボスはとても気性が荒い人でした。彼は新規スタッフおよび前からいるスタッフに対しても、誰かのミスを見つけた場合、またはスタッフが彼の気に入らないことをした場合には怒鳴りつけたり、その場でそのスタッフをクビにしていました。私も最初は彼によく怒鳴られました。

私はレストランで特定の料理をいくつか担当していました。一度、ボスが私を試そうとしてこう聞いてきました、「メアリー、糖醋排骨(甘酢骨付き肉)のレシピは何だ?」私はとても緊張して、声が小さくなり、材料の1つを忘れてしまいました。すると、ボスはすかさずへらを自分の手に叩き付けて声を上げました、「何で俺はこんなバカを雇ってしまったんだ…」私はボスの厳しい言葉にとても傷つきましたが、あえて何も言いませんでした。キッチンにいた6人の中から誰かが毎日叱られ、その内3人は仕事中のミス、またはボスの気に入らないことをしてクビになってしまいました。私はそれが特に心配でした。毎日、私は職場に行くと神経が過敏になりました。そして、ミスを犯して皆の前で叱られることや、クビになることまで心配した私は全てを慎重に行いました。

ある日、私はトレイいっぱいになった洗いたての皿を棚に置きに行ったのですが、突然足を滑らせて、抱えていた皿をトレイごと地面に落としてしまったのです。私は皿がたくさん割れたのを見て唖然としてしまいました。私はこう思いました、「これで終わりだわ、もうたくさん皿を割ってるから、ボスにばれたら間違いなくクビだわ。同僚も以前似たようなミスをしてクビになっていたわ。」私はこう考えるだけでも怖くて、どうしていいのか分かりませんでした。私のやらかしたことを他の同僚たちが聞いた時、その数人は「なんでそんなにそそっかしいのよ?いくら取られるか分からないわよ」、と言ったり、他の人たちは「もう、これで決まりね。メアリーは確実にクビだわ」、と言っていました。皆がこう言ったのを聞いて、私は、「この仕事を見つけるのは苦労したし、ボスに本当にクビにされたら、どうやって生活していけばいいの?」、と更に心配になりました。私は英語が下手だし、他のスキルもないし、他の仕事には就けないと分かっていました。その時、私の同僚がこう言いました、「ほら、これ片付けましょう。ボスにばれないようにしなきゃ。じゃないと、どんなにキツイ仕打ちを受けるか分からないわよ、メアリー。」料理長も駆けつけて来てこう言いました、「みんな、急いで、片付けを手伝うんだ。ボスに知らせる訳にはいかないぞ!」こうして私の同僚全員が片付けに取りかかってくれたのです。数人が床を掃いて、他の人たちが割れた皿の破片を拾ってくれている時、私は怖くなって、困惑しました。そして、私もできる限りごまかそうとして同僚が掃除するのを手伝いました。

しかし、私は床にしゃがんで数分間掃除をした後、心の中がとても気まずくなりました。私はクリスチャンです。私は明らかに皿を割ってしまったにもかかわらず、ボスに嘘をつこうとしました。これは欺瞞行為です。これは神の御心に適っていません。そして、私は神のこの御言葉を思い出しました:「正常な人間のように行動するということは、筋の通った話をするということである。是は是、非は非を意味する。事実に忠実に、適切な話しかたをすること。ずるをしたり、嘘をついてはならない。」「神が人々に対して行う働きのあらゆる段階で、物事があたかも人の手配で生まれたかのようであり、あるいは人の干渉から生まれたかのようであり、外面的には人々の間の相互作用のように見えるかもしれないが、舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人々は、神に対する証しにしっかりと立つことが要求される。…当面、あなたには重要なことは何も起こっていないし、あなたは重大な証しはしていないが、あなたの毎日の生活の詳細はすべて神への証しに関連している。あなたが兄弟姉妹、あなたの家族、あなたの周囲のすべての人から称賛を得られたら、その時、あなたは証しをしたことになるのである。」

神の御言葉を熟考し、私はこう気が付きました:「私はクリスチャンです、そして正直であり、嘘をつかないことは神から私たちに対する要件です。何か過ちを犯したなら、私は勇気を出してその責任を取る必要があります。なぜなら、そのように生きてのみ、私は人間らしさと尊厳を手にすることができるからです。この事件は表面的には私が皿を割ってしまっただけのことであるように見えますが、今回起こったことは私に対する試験なのです。神は側で私が真理を実践して正直になれるかを見ておられ、サタンも私が何を選択するかと待ちながら私のことを見ているのです。もし私が個人的なメリットを守ろうと試み、ボスに叱られることを恐れ、または解雇されることを心配していたら、偽りを使って対応し、神の証言をし損なってしまうでしょう。サタンは神の前で私を非難し、それが神の御名を傷つけることにもなるでしょう。それは、私が神を心から信仰する者ではないことを示してしまいます。こう考えた後、私の心の中は明るく晴れました。私は断固たる姿勢で神の証言をする必要があったのです。ボスが来た時、私は自分の犯したミスを認める心構えができていました。

この瞬間、私の手は動きが止まり始め、それを見た料理長がこう言いました、「メアリー、急いで片付けるんだ!ボスがもうすぐ来るぞ。」料理長がそう言ったのを聞いた時、私はまだ内心ビクビクしていましたが、それでも神の御言葉通りに振る舞って、正直に話す決意をしました。私はクビになっても、叱られても、文句を言わないと決めたのです。

私たちが掃除をし終わった後、私は料理長が破片をゴミ箱の下に隠しているのを見ました。私はこう言いました、「隠さないでください。ボスが来たら、私は正直に話して、値段がいくらでも払います。」私がまだ喋っている最中に、料理長が割り込んで心配そうに言いました、「メアリー、一体どうしたんだ?ボスに話すのか?そんなのクビにしてくださいって言っているようなもんだぞ。この仕事を失ってもいいのか?今仕事を見つけるのがどれだけ大変か知らないのか?破片をボスから隠すのを手伝ってあげるから、そうすればボスはお前を困らせたりしないよ。」私はボスに話すと決めていたので返事をしませんでした。

10分、20分と、時間はゆっくりと過ぎていきました。私は頭の中でボスの恐ろしい表情を思い描いてしまい、また緊張してビクビクし始めました。私は、神の要件は私たちが正直な人になることであると分かっていましたし、皿をたくさん割ってしまったことをボスに話したかったのですが、どうしてもクビになることが心配でした。「どうやってボスに説明するのが一番いいのかしら?」私は上手く言わないと間違いなく以前と同じくらい、またはそれ以上に叱られると確信していました。私は考えれば考えるほど、増々困惑していきました。あっと言う間に一時間が経ち、ボスが今にでも来るという時に、私はまだどうやってボスに説明するのかを決められていませんでした。私は心の中で祈ることしかできませんでした、「神様、私は怖いです。私は今日、真理を実践するために、ボスに心を開いて正直に話す必要があると分かっています。しかし、真実を話すことを考えると、どうしてもクビになることを心配してしまいます。神様、どうか私に自信と力をお与えください、そして私が自分のメリットを考慮せず、あなたを満足させるために真理を実践できるようにしてください。」こう祈りを捧げた後、神の御言葉のある節が突然私の頭に浮かびました、「 人の心と霊は神の手の中に掌握され、人の生活全ては神に見られているのである。あなたがこのことを信じようと信じまいと、ありとあらゆるものが、生けるものも死せるものも、神の考えに従い、移ろい、変化し、新しくされ、消え去るのである。これが、神が万物を支配する方法である。」神の御言葉の御導きと啓蒙を受け、私の心は明るく晴れました。そうです、神は全ての物、出来事、そして人々を支配されておられるので、ボスの考えと私の仕事もその両方が神の御手の中にあるのです。私が職場に残ることを神がお許しになるのであれば、ボスは私をクビにはしないでしょうし、私が解雇されるのであれば、神はそれをも許可されたということであるため、私は単純に神の御采配に服従するべきなのです。これに気が付いた後、私の心はとても静まり落ち着きました。

一時間後、ボスがやって来ました。そして、私は心の中で神に祈りを捧げ、サタンの邪悪な力を打ち破って真理を実践できるような力を求めました。神に感謝します。私はボスの姿を見た時、どこから力が沸いてきたのかは分かりませんが、こう言いました、「ボス、今日、私はミスを犯してしまいました。」私の言ったことを聞いたボスは、怒らなかっただけでなく、うっすらと笑みを浮かべながら「何をやらかしたんだ?」、と言いました。私はゴミ袋を開けてこう言いました、「誤まって皿をたくさん割ってしまいました。ここに入っていますから、いくらの損失になるか確認していただいたら、私の給料から引いておいてください。」ボスは私の所にやって来て、袋の中の割れた皿を見た後に普通の口調でこう言いました、「弁償する必要はない、皿が割れただけじゃないか、どうでもいいよ。そんなことより、手を怪我してないといいけど。これからはもっと気を付けてくれよ。」そして、彼はもう一度私に怪我がないかと聞いてくれました。私はびっくりしたと同時にボスの言葉を聞いて嬉しくなりました。私がミスを犯した後に、あの気性の荒いボスがこんなこと言うなんて信じられませんでした。

その瞬間、私の同僚全員が唖然とした表情で私を見ました。彼らは私が本当に進んで自分のミスをボスに認めるとは想像もしておらず、私もボスが私に罰を与えないだけでなく、優しく話してくれるなんて全くの予想外でした。料理長は私と一緒にゴミ出しをしていた時、歩きながら私にこう言いました:「お前は一体何を考えていたんだ。このことはボスに言わなくてよかったのに。俺たちはボスがお前に冷たいことを知ってるから、助けてやるつもりだったのに。俺たちがボスに喋ってしまうって心配してたのか?」私は真剣な口調でこう言いました、「いいえ、あなたが本当に私を助けようとしてくれていたことは分かってました。でも、私はクリスチャンだし、神は私たちに正直になり、現実的に物事を行い、決して人を欺いてはならないと仰ったのです。私たちは過ちを犯したら、勇気を出してそれと向かい合って、それに耐える必要があるのです。それは、クリスチャンが生活の指針とする原則なんです。」料理長は驚いてこう言いました、「お前はクリスチャンなのか。どうりで、お前とは長い付き合いだけど、お前は他の人と違っていい人だなあっていつも思っていたんだ。お前のこと、本当に尊敬するよ。神を信仰することはいいことだな、俺も将来それについてお前からもっと勉強したいよ。」料理長がこう言ったのを聞いて、私はとても嬉しくなり、心から神に感謝しました。これは私が善良な人である故のことではなく、神の御言葉が私にもたらしてくださった効果なのです。

私が更に驚いたのは、あれ以降、ボスは私に怒鳴らなくなった上に、店が新しいスタッフを採用しようとする度に、私と相談して私の意見を考慮してくれるようになったのです。彼は更に私の給料を上げてくれました。今回の事件は、私が直面する全ての状況、そして私が遭遇する全ての人、出来事、そして物には神の御心が込められており、神はこれらの状況を使って私たちに更なる真理を御啓示くださるということを私は理解することができました。私たちは神の御要件に従って行動すれば、神の御導きと祝福を目の当たりにすることができるのです。神様ありがとうございます!

メアリー(米国)


9. 正直な人への入りを実践するにはどうすればよいか。

2019-08-18 22:24:07 | 書籍

9. 正直な人への入りを実践するにはどうすればよいか。

神の言葉

あなたは正直でなければならない。また、自分の心の中の狡賢さを取り除くために祈らなければならない。あなたが必要な時にはいつでも自分を清め、神の霊に触れられるために祈りを用いるにつれて、あなたの性質は次第に変化するであろう。

『言葉は肉において現れる』の「祈りの実践について」より

神が人々に要求する最低基準は、自分の心を神に開くことができることである。人が神に対して真心を捧げ、心の中にある本音を告げるならば、神はその人の内に働くことをよしとする。神は人の曲がった心ではなく、純粋で正直な心を求めている。人が神に自分の心の真実を話さないならば、神はその人の心を動かすことも、その人の中で働くことも無いであろう。したがって、祈りにおいて極めて重要なことは、自分の本心から来る言葉を話し、自分の欠点や反抗的な性質を神に告げ、ありのままの自分を神に曝け出すことである。そうして初めて、神はあなたの祈りに関心を抱くであろう。そうでなければ、神はあなたから顔を隠すであろう。

『言葉は肉において現れる』の「祈りの実践について」より

正常な人間のように行動するということは、筋の通った話をするということである。然りは然り、否は否とだけ言いなさい。事実に忠実に、適切な話しかたをすること。ずるをしたり、嘘をついてはならない。

『言葉は肉において現れる』の「知的能力の向上は、神の救いを授かるためである」より

今日、ほとんどの人々は、恐ろしくて自分の行いを神の前に示すことができない。また、あなたは神の肉を欺くかもしれないが、神の霊を欺くことはできない。神の監督に耐えられない物事は、いずれも真理に一致しないので、捨て去れねばならない。さもなければ、それは神に対する罪である。だから、祈る時であれ、兄弟姉妹と話し、交わりを持つ時であれ、自分の任務を果たし、自分の業務に携わる時であれ、あなたは自分の心を神の前に捧げなければならない。あなたが自分の役割を果たす時、神はあなたと共にいる。そして、あなたの意図が正しく、神の家の業のためになるのであれば、神はあなたの為すこと全てを受け入れるであろう。だからあなたは自分の役割を果たすよう熱心に献身すべきである。……

あなたが為す全てのこと、一つひとつの行い、一つひとつの意図、一つひとつの反応を神の前に示さなければならない。あなたの日々の霊的生活、つまり、あなたの祈り、神との親密さ、神の言葉を食べ、飲むこと、兄弟姉妹との交わり、教会生活をおくること、そしてあなたの共同の奉仕さえも神の前に示し、神によって監督されねばならない。あなたがいのちにおいて成熟するのを助けるのはこのような実践である。神の監督を受け入れる過程は、清めの過程である。あなたが神の監督を受け入れれば受け入れるほど、あなたは一層清められ、神の意志と一致するので、放蕩や放縦の声を聞かなくなり、あなたの心は神の臨在で生きるだろう。あなたが神の監督を受け入れれば受け入れるほど、サタンは一層辱められ、あなたはさらに肉を捨てることができる。したがって、神の監督を受け入れることは、人間が実践しなければならない道である。あなたが何を為そうと、兄弟姉妹との交わりの最中でさえ、あなたが自分の行いを神の前にさし出して神による監督を求め、あなたの意図が神自身に従うことであるならば、あなたが実践することは一層適切なものとなるであろう。あなたが為すこと全てを神の前にさし出して神の監督を受け入れて初めて、あなたは神の臨在で生きる者となることができる。

『言葉は肉において現れる』の「神は神の心に適う者を完全にする」より

あなたがたの運命のため、神に認められることを求めなさい。それはつまり、神の家の一員であることを自覚しているのなら、あらゆる事において神に心に安らぎと満足をもたらさなければならない。つまり、自らの行いを律し、真理にそわなければいけないということである。もしそれが到底できないというのであれば、神に嫌われ、見捨てられ、みなから拒まれることになる。ひとたびそのような状態に陥ると、神の家の一員であることはできない。これが神の承認を受けられないということである。

……正直であるとは、神に心を捧げること──何事においても神を偽らないこと、あらゆることにおいて、神に率直であること、事実を隠そうとしないこと、上の者に対して偽りなく、下の者を惑わさないこと、そして、神に取り入る為だけに何かを決してしないこと。つまり、正直であるということは、言動において不純でないことであり、神をも人をも欺かないということである。……神の前ではきちんと振る舞い、とりわけ「礼儀正しい」けれど、霊の前では反抗的で放埒な行いをする者もいる。そのような人をあなたがたなら正直な者の数に入れるだろうか。もしあなたが偽善者で「社交」上手であるなら、あなたは神を軽んじていると断言しよう。もしあなたの言葉が言い訳と無価値な正当化だらけだとしたら、あなたには、真理を行おうという気持ちがないのだ。もしあなたが他人に言うことのできない秘密を多数抱え込んでいながら、光明を求めて自分の秘密──自分の中にあるやっかいな部分──を他人に打ち明けないでいるとしたら、あなたが救いを受けることは難しく、闇から抜け出すことも容易ではない。もしあなたが真理の道を求めることに喜びを感じるのなら、あなたはしばしば光の中に生きている。神の家で奉仕する者であることを喜ぶ人で、人に知られなくとも勤勉に、良心的な仕事をし、決して何かを得ようとせず、常に与える者であるのなら、その人は忠実な聖徒だと言おう。報いを求めず、ただ正直であるのだから。率直であろうとし、すべてを与える覚悟があり、神のために命を犠牲にして証しすることができるのなら、神を満足させることだけを考え、自分のことは考えず、自分のためには何も求めないほど正直なら、そのような人は光に養われ、神の国で永遠に生きる人である、とわたしは言おう。

『言葉は肉において現れる』の「三つの忠告」より


更に多くの内容:

キリスト教讃美歌「正直な人々だけが人間の姿を持つ」 神の言葉は私に新しい命を与える


全能神教会王国の賛美中国語合唱第13集から、その一「地獄の光景」

2019-08-17 12:28:51 | 合唱団動画シリーズ

 

あなたは地獄があることを信じますか。地獄の実際の光景はどのようでしょうか。本短編映画をご覧ください。

東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

 

全能神教会王国の賛美中国語合唱 第13集


中共の嘘を見抜き、神の愛によって御前に引き戻される(上)

2019-08-16 11:21:41 | 信仰と生活

ケム(韓国)

中共の嘘に惑わされ、妻の信仰を妨害する
「もう一度言う。俺に神の話をするのはもうやめてくれ。この宗教の信者たちとはもう関わってはいけない。今度連中とやりとりしているのがわかったら、携帯を叩き割るぞ」

「どうして。どうして信仰の邪魔をするの」妻は混乱に満ちた表情で私にそう尋ねました。

「どうしてだと。お前自身のため、それに我が家のためだ。中共が全能神教会を厳しく取り締まって弾圧しているのを知らないのか。2014年に起きた五二八招遠事件のことを知らないのか。ネットでは事件の主犯の張立冬(チャンリドン)が全能神教会の信者だったって話だ。連中と付き合ったら、いいカモにされるだけじゃないか」

妻は毅然として答えました。「チャンリドンたちは全能神教会じゃなかったの。ネットの話を鵜呑みにしないで。私は全能神教会の兄弟姉妹と二、三ヶ月接してきて、みんな人に親切で誠実な、立派な人たちなのを見てきた。誰かが困っているときはいつも助け合ってる。ネットで言われていることとは全然違う」

私は腹を立て、納得できませんでした。「ネットを見て自分の目で確かめるんだ。そうすれば、俺が正しいかどうかがわかる」

すると妻は私を椅子に座らせて言いました。「あなたは物事をしっかり考える人なんだから、このことには理性的に対処して、事実に従って話さないと。一方の話だけを聞いちゃだめよ。中国の主要メディアはどれも中共の代弁者でしかない。中共が人民を欺く道具に過ぎないのよ。そんなメディアの報道にどんな信頼性があるの。1989年の天安門事件を忘れたのかしら。天安門広場で学生たちが政府の腐敗に抗議し、自由と民主主義を主張していたけど、中共は身元不明の人を何人か見つけて、学生たちの中に潜り込ませ、暴力や破壊、略奪や放火をさせたり、軍用車をひっくり返させたりした。大混乱を起こして学生たちにその罪を着せたのよ。その後中共はテレビやラジオなどのメディアを使って報道を次々に流し、学生たちを反革命の暴徒と中傷し、何千人もの生身の学生を戦車でつぶした。中共の歴史を知っている人なら誰でも、党がいつも正義をふみにじってきたことも、異なる政治的見解や意見を持つ集団や個人の存在を認めないことも知っている。独裁政権を実現させるために、中共はいつもそういう集団や人たちを攻撃して断罪し、弾圧したり抹殺したりもした。中共が宗教信仰や民主化運動や少数民族の抗議を暴力で弾圧するときは、いつもまず偽りの事件を捏造して、世論を激しく騒がせて、市民を扇動してから相手を暴力で弾圧する。それが事実なの。五二八招遠事件も、中共が全能神教会を陥れるためのものよ。また偽りの事件を念入りにでっちあげたの」

私は妻の話にまったく反論できず、考えました。「妻は天安門事件の犠牲者の家族に知り合いがいるし、内情を知っている。言ったことは全部本当だ。だが、たとえその招遠事件が全能神教会と無関係だとしても、俺はそこの信者と接したことがないし、どんな教会なのかわからない。今の世の中は混乱している。もし妻が騙されていたらどうする」それで私は妻に、全能神教会の者とは誰も接触してはいけないと言い、ドアをバンと閉め、涙を流している妻を残して部屋を出ました。

月明かりも星もない、とりわけ暗い夜でした。私は実に嫌な気分で道を歩きました。妻との十年間の結婚生活を振り返ると、出会ってから恋に落ち、結婚するまでの間も、私たちは多くの困難に遭いましたが、どんなことがあっても話し合い、支え合ってきました。大喧嘩になったことは一度もありません。なのに私は、信仰を理由に妻をしかりつけました。妻をそのように扱うべきではないと感じました。とはいえ、「ネットでは全能神教会はろくなものじゃないと言われているんだから、信仰を実践させない方が妻のためになる。どうしてわかってくれないんだ」と思いました。そのとき私は非常に疲れと苛立ちを感じていました。携帯電話を取り出すと、素晴らしい一家団欒の写真が目の前に現われました。娘のかわいい笑顔のおかげで一時的に疲労感が消えました。私は「俺は一家の大黒柱だ。妻の信仰をやめさせることは妻を守ることになるし、それが我が家のためなんだ。だから自分の立場を貫かなくては」と考えました。

それからしばらくの間、私は妻の感情を傷つけることを恐れ、敢えて激しく衝突しようとしなかったため、妻にはただ神が絡んだ話はしないように言いました。夫婦仲は表面的には正常で良好に見えましたが、二人の間にはすでに亀裂が生じていました。

全能神教会の驚くべき踊りと歌の動画で好奇心が湧く
ある日、ちょうど仕事を終えて玄関をくぐると、寝室から広がる陽気な音楽と、妻と娘の嬉しそうな笑い声が聞こえました。私は不思議に思いました。「何だ。家でこんな楽しい音や声を聞いたのは久しぶりだ。妻は韓国に来てからずっとここの環境に全然馴染んでいなかった。生活様式も言葉も違うから。特に、年老いた母親と好きな仕事から離れていて、親戚も友人もそばにいない。よく一人で座って泣いている。俺は妻の辛くて困っている姿を見てきたが、どうすれば慰められるかわからなかった。では、妻を今こんな幸せな気持ちにしているのはどんな歌なんだ」私はとても静かにドアを開け、「神の真の愛」という全能神教会が制作した踊りと歌の動画を目にしました。6人の若い女性が楽しく踊り、美しく歌っており、彼女たちのそうしたうれしそうな笑顔が特に感動的でした。私はすぐに引き込まれました。「どんな教会だ。どんな人たちの集まりなんだ。この人たちの歌や踊りにこんなに感化され、癒されるのはなぜだ。もし本当に悪い人たちなら、どうしてこんなに優しくて純粋な笑顔になれるだろう」と好奇心でいっぱいでした。

娘は私を見るとうれしそうに「パパ、すてきな歌でしょう。ママも私も本当にこの歌が好きなの。一緒に歌って踊ろう」と言いました。私は娘を抱きかかえ、その小さな顔に接吻し、「パパはエネルギーがあって力強い歌と踊りが好きだよ」と甘い口調で言いました。娘は頭を振ってしばらく考えました。「パパ、タップダンスが好きだよね。ママ、あのすごい歌をかけてあげて。」私は娘の話の邪魔をする気にはなれず、全能神教会のものでもいいからちょっとの間だけ見てみよう、こんな円満な雰囲気はこの頃の我が家にはなかなかないからな、と判断しました。娘を抱きながら、私は妻の隣に座って見始めました。「神は栄光を東方にもたらした」という踊りと歌の動画には、愉快なリズムによる力と活気がありました。実に刺激的な精神が踊りによって表されていました。私は普段から踊りが好きだったので、すっかり引き込まれました。没頭している私を見て、妻は胸を躍らせて言いました。「この歌と踊りは全部全能神教会の兄弟姉妹がアレンジして、動画にしたの。誰もプロじゃないのよ」私はこのことについて熟考せずにはいられませんでした。「プロの訓練を受けていない人たちがどうしてこんなに信じられないほどうまく踊れるんだ」妻は微笑んで言いました。「すごいわ。神様自身の働きとお導きがなかったら、プロじゃない人たちがこんなふうに踊れるかしら。彼らが作った映画を見たらもっとびっくりするわ。全能神教会には聖霊の働きがあるの。神様の祝福があるのよ。だからこの人たちの踊りや映画はすごくよくできているし、しかも映画で伝えられている真理はすべて人間のためになるの。ネットの否定的な宣伝はどれも、中共が全能神教会に関して嘘を広めているに過ぎない。全然本当のことじゃないのよ。中共がこんな嘘を広めているのは、みんなが全能神教会に反感を持ち、終わりの日の神様の働きをあえて探らせないようにするためなの。そうなればみんな神様の救いを失ってしまう」

妻の話を聞き、目を輝かせている妻を見て、私はさらに興味が湧きました。妻が全能神を信じ始めて以来、ホームシックと母親の恋しさによる憂鬱から立ち直ったことを、私は振り返りました。 また、娘に対してもっと辛抱強くなり、癇癪を起こさなくなったことにも気づきました。私に対しても非常に面倒見が良くなってくれました。本当に全能神が妻を変えてくださったのでしょうか。全能神教会は妻が言うように本当に立派なのでしょうか。このことをとくと考えると、心が困惑しているように感じ、妻に信仰を続けさせるべきかどうかわかりませんでした。自分の中のこの葛藤の末、私は自分で確かめてみることにしました。もしネットで言われているとおりでなければ、もう妻の邪魔をするつもりはありません。

教会について調べているとき、ミュージカルに心を動かされる
仕事が休みの週末に、私は妻に寄り添って、全能神教会を見に行きたいと言いました。妻は驚きつつも喜びました。私たちがそこに着くと、兄弟姉妹が暖かく迎えてくれ、彼らの言葉、仕草、他の人との接し方から、親切で誠実な人たちだと感じられました。私の警戒心は徐々に解かれました。すると、ある姉妹が全員の前で「兄弟姉妹の皆さん、ミュージカルの『小真(シャオチェン)の物語』が国際的な賞を受けました」と興奮した口調で言いました。私は好奇心から「見せてもらえますか」と尋ねました。兄弟姉妹は口々に「いいですよ」と首を縦に振って、ミュージカルを再生してくれました。劇中のシャオチェンの波乱万丈の人生にとても心を打たれ、私は自分自身も「シャオチェン」ではないかと思い返しました。私は少年時代、混沌とした家庭環境のせいで世間をさまよい、ただ生き延びるためにありとあらゆるいじめや屈辱、人の冷たさを受けてきました。そして今は苦労し、一生懸命働いて生計を立て、酸いも甘いも噛み分けていました。何年もの紆余曲折を経て大いに苦しみ、疲れと悲しみを感じましたが、妻と友人の前では強く振る舞っていました。誰が本当に私の心の痛みを知ることができたでしょうか。ミュージカルの終盤で次の歌が歌われました。

「全能者は深い苦しみの中にあったこのような人々に慈しみを抱く。同時に、全能者は何の知覚もないこのような人々にうんざりしている。なぜなら、人間から答えを得るのに、あまりにも長く待たねばならなかったからである。全能者は探したい、あなたの心と霊を探し、あなたに水と食料を施したい、あなたを目覚めさせたいと思っている。それにより、もはやあなたが渇きと飢えを感じないようにである。あなたが疲れているとき、この世の荒廃のようなものを感じはじめるとき、途方に暮れてはならない、泣いてはならない。全能神という、見守る者がいつでもあなたが来るのを抱擁して迎えるからである。」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「神はあなたの心と霊を捜し求めている」より)

歌の一行一行が迷い悩む私の魂を温めてくれ、歌われた音符の一つ一つが、消息不明だった子供に手を差し伸べている母親のように感じられました。私が感じたのは愛の呼びかけだったのです。非常に感動しました。ミュージカルが終わると、涙が顔を伝うのをこらえられませんでした。大勢の人の前で泣いたのは初めてで、少し気まずくなったので、急いで静かに振り向いて涙を拭きました。「すごくいいミュージカルだ」と私は心の底から叫び、『小真の物語』に拍手をしました。

妻は私を見てうれしそうに、そして感極まりながら言いました。「あなたが『小真の物語』に心を打たれたのは、神様が動かしてくださったからよ。あなたが五二八招遠事件に影響されたことも、終わりの日の全能神の働きについてかなり誤解していることも知ってるわ。あなたが私と娘の安全を心配していることもわかっている。だから今日、あの事件で実際に何が起こったのか調べて確かめましょう」


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中共の嘘を見抜き、神の愛によって御前に引き戻される(下)