全能神教会の最新バージョンである中国語合唱第十六集は、悠々としておおらかなメロディーによって幕を開きます。選民たちは心を込めて御言葉讃美歌「神が受肉する必要性」「神は裁きを帯びて降臨した」を歌って、あなたに神様の霊が肉体の中に実際化された意義を理解させ、数千年もの人類を困惑させた奥義を開いてくれ、全人類に対する神様の愛と救いを体得させます!では、一緒に神様の御声に耳を傾けましょう……
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神を知るための最善の方法 中国語ゴスペル合唱団コンサ-ト第17回
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全能者のため息
あなたの心の中には非常に大きな秘密がある。あなたはそのことにまだ気がついていない。なぜなら光のない世界でずっと生きてきたからである。あなたの心と霊はあの悪い者に取上げられてしまった。あなたの目は暗闇のせいで見えなくなり、空の太陽も夜のきらめく星も見ることができない。あなたの耳は欺瞞的な言葉で塞がれ、ヤーウェのとどろきわたる声も玉座から流れる水の音も聞こえない。あなたは正当にあなたのものであるすべて、全能者があなたに与えたものすべてを失った。あなたは終わりのない苦しみの海に入った。救出する力もなく、生き残る希望もなく、ただもがき駆け回ることしかできず…。その瞬間から、あなたはあの悪い者に苦しめられるように運命づけられ、全能者の祝福から遠く離れ、全能者の施しの届かないところにおり、後戻りできない道を歩いている。百万回の呼び声もあなたの心と霊を奮い起こす見込みはない。あなたはあの悪い者の手の中で深い眠りについている。悪い者は境界も、方向も、道しるべもない広大な領域へとあなたを誘惑した。それ以来、あなたは本来の純粋さと無邪気さを失い、全能者の気づかいを避けるようになった。あなたの心の中では、あの悪い者があらゆることにおいてあなたを操縦し、あなたのいのちになった。あなたはもはや悪い者を恐れることも、避けることも、疑うこともしない。代わりにあなたは悪い者を心の中で神として扱う。あなたは悪い者を祀り、礼拝するようになる。あなたと彼は物体とその影のように切り離せなくなり、生においても死においても互いに委ねあっている。あなたは自分がどこから来て、なぜ生まれ、なぜ死ぬのか全く知らない。あなたは全能者を見知らぬ人として見る。あなたは全能者の起源を知らず、ましてあなたのために全能者が行った全てのことなど知るよしもない。全能者から来るあらゆることがあなたにとって憎むべきものになった。あなたはそれを大事にしないし、その価値も知らない。全能者からあなたが施しを受けた日から、あなたはあの悪い者とともに歩いている。あなたは悪い者とともに何千年もの風雨を耐え抜いてきて、悪い者とともにあなたのいのちの源であった神に立ち向かう。あなたは悔い改めを一切知らず、ましてや自分が滅亡の淵に達したことなど知りもしない。あなたは悪い者があなたを誘惑し苦しめてきたことを忘れてしまった。あなたは自分の起源を忘れてしまった。そのようにしてきょうこの日まで、一歩一歩悪い者はあなたに害を与えてきた。あなたの心と霊は麻痺し、腐敗してしまった。あなたはもはや人の世の苦悩について不満を言うこともなく、世の中が不公平であるとは信じない。まして、全能者が存在するかどうかなど気にかけることもない。このようになったのは、あなたが随分前に悪い者を真の父と思うようになり、もはや彼から離れることはできないからである。これがあなたの心の中の秘密である。
夜明けが到来すると、明けの明星が東に輝きだす。それは以前にはそこになかった星で、静寂な星空を照らし、人々の心の中で消された光を再び燃え立たせる。人々はこの光のおかげでもはや孤独ではない。この光はあなたも他人も同様に照らす。しかし、あなただけが暗夜に眠りについたままである。あなたには音も聞こえず光も見えない。あなたは新天新地、新しい時代の到来にも気付かない。なぜなら、あなたの父が、「我が子よ、起きなくてよい。まだ早い。外は寒い。外に出るな。剣や槍があなたの目を射抜かないように」とあなたに言うからである。あなたは自分の父の忠告だけを信じる。なぜなら父はあなたより年を取っており、あなたを心から愛しているので、父だけが正しいと信じているからである。そのような忠告と愛があるために、あなたはもはや世界には光があるという言い伝えを信じなくなり、世界にまだ真理があるかどうかを気にかけなくなる。あなたはもはや全能者からの救済を望むなどということはしない。あなたは現状に満足していて、もはや光の到来を期待しないし、言い伝えられる全能者の出現に注意することもない。あなたに関する限り、あらゆる美しいものは復活させることができず、存在することもできない。あなたの目には、人類の明日、人類の未来は消滅し、跡形もなくなっている。あなたは父の衣に必死になってしがみつき、共に苦しむことを気にせず、あなたの旅の友、長旅の方角を失うことを恐れている。広大でもやの掛かった人の世があなたがたの多くを作り上げ、この世の様々な役割を満たすことにひるまず屈せず立ち向かうようにさせた。それにより、死を全く恐れない多くの「戦士」が作り出された。さらには、自らの創造の目的さえ知らない無感覚で麻痺した人間の群れが次々に生まれた。全能者の目はこの苛酷な苦しみにある人類の一人ひとりを眺めている。全能者に聞こえるのは苦しむ人々の泣き叫ぶ声であり、全能者に見えるのは苦しめられた人々の恥知らずな有様であり、全能者が感じるのは救いの恩恵を失った人類の無力と不安である。人類は全能者の配慮を拒絶し、自らの道を歩くことを選び、全能者の目による詮索を避けようとする。彼らはむしろ深海の苦さを、最後の一滴まで、かの敵とともに味わう方を好む。全能者のため息は人類にはもはや聞こえない。全能者の手はもはやこの悲劇的な人類に進んで優しく触れることはない。全能者は何度も何度も奪還し、何度も何度も失う。このように全能者の働きは繰り返される。その瞬間から全能者は疲れ、うんざり感じ始め、その掌中にある働きを止め、人々の間をさまよい歩くのを止める…。人間はこのような変化の一切、このような全能者の行き来にも、全能者の悲しみと憂いにもまったく気づかない。
この世界にあるすべてが、全能者の思いによって、全能者の目の下で、急激に変化している。人類が一度も聞いたことのない事が、突然到来する一方、人類が常に所有してきたものが、知らないうちに消え去ってしまう。誰も全能者の所在を推し量ることはできないし、まして全能者の生命力の超越性や偉大さを感じることなど到底できない。人には知覚できない事を知覚できるゆえに全能者は超越的である。人類によって捨てられたにもかかわらず人類を救う方であるゆえに全能者は偉大である。彼は生と死の意義を知っている。それだけでなく、自身が創造した人類の存在を司るのに適した法則を知っている。彼は人類の存在の基礎であり、人類を復活させる贖い主である。彼は幸せな心に悲しみという重荷を負わせ、悲しむ心を幸福で引き上げる。これらは全て彼の働きのためであり、彼の計画のためである。
全能者のいのちの供給から離れた人類は、存在の目的を知らないが、それでも死を恐れている。支えもなく援助もないが、人類は依然として目を閉じようとせず、自らの魂を感じることもない肉の塊として頑なにこの世における下劣な存在を引きずっている。あなたはこのように何の希望もなく生き、他人も何の目的もなく生きている。伝説のあの聖なる者だけが、苦しみにうめきながら彼の到来を待ち焦がれる人たちを救う。この信念は知覚のない人々においてはまだ実現していない。しかし人々はまだそれを切望している。全能者は深い苦しみの中にあったこのような人々に慈しみを抱く。同時に、全能者は何の知覚もないこのような人々にうんざりしている。なぜなら、人間から答えを得るのに、あまりにも長く待たねばならなかったからである。全能者は探したい、あなたの心と霊を探し、あなたに水と食料を施したい、あなたを目覚めさせたいと思っている。それにより、もはやあなたが渇きと飢えを感じないようにである。あなたが疲れているとき、この世の荒廃のようなものを感じはじめるとき、途方に暮れてはならない、泣いてはならない。全能神という、見守る者がいつでもあなたが来るのを抱擁して迎えるからである。彼はあなたのそばで見守り、あなたが立ち返るのを待っている。あなたが記憶を突然回復する日を待っている。すなわち、あなたが神から来たのであり、いつであったかは不明だが道に迷い、いつであったかは不明だが路上で気を失い、いつであったかは不明だが「父」ができたことに気づく日を。さらに、全能者がずっと見守ってきたということ、とても長い間あなたが帰ってくることを待っていたということに気づく日を。全能者は切実な思いで見守り、そして答えのない応答を待っている。全能者の見守りはきわめて貴重であり、それは人間の心と霊のためである。この見守りは無期限かもしれないし、それは終わりの段階にあるのかもしれない。しかし、あなたは自らの心と霊がたった今どこにあるのかを正確に知らなくてはならない。
2003年5月28日
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御言葉讃美歌
神は人々を正しい人生の道に導いている
皆知っているが
神は人を導き 正しい人生へと導く
人が古く暗い時代を離れ
次の時代に一歩踏み出せるよう神は導く
神は人が闇の勢力のくびきと
サタンの影響から離れるよう
肉から導き出すので
人は自由の世界に生きる
美しい明日のため
人がより大胆に己の道を歩めるよう
神の霊は全てを計画する
人がより喜べるよう
神は人が望むその日を早めながら
人の前途を備えるために
全ての労力を肉に捧げる
願わくばこの美しい瞬間を
人が皆大切にするように
神と共に行くのは困難だ
人が神を知らずとも
すでに長く神と共にいる
皆がこの美しくも儚い日々を
永遠に覚えていることができれば
その日々を決して忘れず
地上の宝とするだろう
美しい明日のため
人がより大胆に己の道を歩めるよう
神の霊は全てを計画する
人がより喜べるよう
神は人が望むその日を早めながら
人の前途を備えるために
全ての労力を肉に捧げる
『言葉は肉において現れる』より
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神は群衆の海から私を選び
側に来るよう定めた
神のひたむきな優しい言葉は心を暖め
私を夢から覚ました
聞き慣れた御声と美しい御顔は
最初から変わらない
神の家で愛を味わい
神に拠り添いたいと願う
神なき日々はとてもつらく
苦痛をこらえて、歩いた
神の守りが私を導く
御言葉を得て満たされる
神なき日々はとてもつらく
苦痛をこらえて、歩いた
神の守りが私を導く
御言葉を得て満たされる
(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「神への愛着」より)
この美しい旋律の賛美歌を聞くたびに、私は神への感謝の気持ちで一杯になります。神にお金中心の泥沼の生活から救って頂いたおかげで、私はもはや死に物狂いで働かなくなり、お金のために命まで危うくする生活に別れを告げたのです…
奮闘-心身共に疲弊
私は家が貧しく、小さい頃は友人や親戚にばかにされ、蔑まれていたので、「大人になったらお金をたくさん稼いで偉くなって、みんなを見返してやる」とひそかに決意していました。大人になってからの私は、お金の稼ぎ方を学ぶために、よく人に食事をおごって、その筋に詳しい友人を増やしました。ある時、友人たちが飲み過ぎて他の人と喧嘩になりました。私は喧嘩を止めようとして目を負傷し、入院することになりました。その時から友人たち全員が離れて行き、私は大変落胆しました。治療に多額の費用がかかるため、家族の借金がかさみました。私はそれで大きなストレスを抱え、夜も眠れないことが多く、夜中に起きて川辺まで行って泣き叫ぶこともありました。この拝金主義の社会の中では、人の社会的地位が持っているお金の額で測られることを、私は残酷な現実から一層実感しました。そのため、「絶対に大儲けして、この卑しい身分を変えてやる」と再び決心したのです。
後に私は、「海外に働きに出ればたくさん稼げる」という話を聞きました。それはかなりのリスクを伴いました。けれどもその時はお金のことしか頭になかったので、海外に出ることを決意します。ある時、外国のある漁業会社と労働契約を交わす際に、「従業員が漁業中に命を落とした場合、当社は五万元の補償金を支払う」という条項を見ました。この条項を読んで気持ちが沈み、「僕はまだ29歳だ。戻って来れなかったら誰が妻と子の面倒を見るんだろう」と思いました。しかし、こうも考えました。「海外に働きに出なかったら、いつ借金を清算して好きな生き方ができるんだ。リスクがあってもやってみよう。もし本当に戻れなくても妻と子に五万元残るのだから、やってみる価値はある」。それで私は身の回りの整理を済まして出稼ぎに行きました。
2000年12月のある日、私は漁船に乗って、アルゼンチンとウルグアイまで漁に出ました。海が激しく荒れ狂っていたため、いつ波に飲み込まれてもおかしくない状況で、私は非常にストレスを感じ、少しも気を弛めずにいました。その時同僚の乗組員が、漁網に足が絡まったと同時にいきなり押し寄せた波にさらわれてしまい、一瞬のうちに私の目の前で姿を消してしまったのです。これを見て、私はあまりのショックと恐怖に冷汗を流し、こう思いました。「本当に金のために命を売る仕事だな。僕もいつこんな事故に遭うか分からないんだ。でも背に腹は代えられない。どんなに危なくても仕事はしないと。金ができて初めて自立して人によく見てもらえるんだ」。
こうして私は、この機会に恵まれてよかったと感じるようになり、じっと苦痛をこらえて、この仕事を4年間続け、やがてお金をたくさん稼ぎました。無事に家に帰ったその日は非常に興奮し、「やっと貫禄が付いたぞ」という気分でした。帰国後、私はまず家を思い切り改築し、それから様々な家電製品を買いました。親戚も隣人も以前の友人たちも皆、私を見る目が変わり、お世辞を言ったり、頼まなくても家に来て手伝いを買って出たりします。私は自分自身を誇らしく思い、お金を持つことが確かに良いことであり、お金が全てだと一層感じました。しかし、それでも満足せず、もっと稼ぎたいと思ったのです。
2008年3月、私は叔父の勧めで韓国のゴム工場で働くようになりました。ゴムの臭いは非常にきつく、体の健康にとても有害でしたが、稼げればいいんだと、気にしませんでした。一日24時間分の仕事をすることもあり、鼻血が出ても働くのをやめる気はありませんでした。それを見た叔母に「进(ジン)取(チュ)、そんなに働いちゃだめよ。体が大事なんだから。健康じゃないとお金も稼げないわよ」と言われました。叔母の言う通りでしたし、私も仕事を休みたいとは思いました。しかし、一日でも休むと稼ぎも少なくなります。それで私は休むことを思い止まり、「若くて体力があるうちに稼がないと。家に帰る頃には、状況はもっと良くなっているし、家族は村の誰よりも楽ができるはずだ」と思いました。
2011年に、妻と子供が韓国で合流してくれました。私はゴム工場の仕事を辞め、掘削機の外郭を作る工場で妻と共に働き始めます。工場は給料が良くて安定しており、仕事にも不自由しませんでした。私たち夫婦は毎日午前8時から午後11時まで働き、残業もし、週末も休みません。一ヶ月働いて七百万ウォンを超える額をもらいました。私は受け取ったお金を見るととても嬉しくなり、仕事がどれほど大変で疲れても大いにやりがいがあると感じました。その時は血糖値が下がっており、その結果で怒りや疲れや空腹さえもできません。それでもお金を稼ぐことに躍起になるあまり、自分の健康を全く気にかけませんでした。仕事先に砂糖菓子をいくつか持参し、低血糖の症状を感じるとすぐに菓子を食べて症状を抑えるようにしました。
2014年3月、私の健康は悪化し、体の右側全体にいつも汗をびっしょりかきました。妻がインターネットで調べ、「脳血栓症の前兆だわ。病院で診てもらわないと」と言いましたが、私は気にも留めませんでした。症状が仕事の妨げになるとは思いませんでしたし、病院で治療を受けるにはお金がかかります。けれどもある朝起きると、突然足が少ししびれているのを感じました。妻には仕事をせず病院に行くように勧められました。
しかし「今日は日曜日だから、働いたら給料が倍もらえる」と思い、妻の勧めに耳を傾けず、いつも通り出勤しました。その日の仕事中に、手足がますますしびれを感じるようになるなどとは、全く想像しなかったのです。その時になって初めてパニックになり、病院に行くため急いで主任に早退を願い出ました。病院に駆け込んだ時には足の感覚がなくなっていました。医者に車椅子に座るように言われましたが、誰かの助けなしには車椅子の所まで動けませんでした。CTスキャンを受けた後、医者にこう言われました、「結果を見るとどうも動脈に血栓があり、体の右側全体の細胞が二割ほどなくなっています。すぐに治療しないと車いすの生活になり、将来話すことも書くこともできなくなります」。医者の言葉は、澄んだ空から落ちた雷のように響き、私はすぐに体がぐったりするのを感じます…
入院し、ベッドに横になったまま病室の他の患者さん達が苦しんでいるのを見た私は、突然とても悲惨な気持ちになりました。そして自問し続けました、「僕はまだ若い。まだ44歳なのに、どうしてこんなことになったんだ。金を稼げば人に褒めてもらえる、人生がどんどん幸せになると思って、人生の半分を信じられないほど必死で働いて過ごしたけど、まさか体の半分が麻痺して寝たきりになるとは思わなかった。これから一生車椅子で過ごすのか。どうすればいいんだ」。
考えるほど落ち込み、お金のため、群を抜くためだけに体を壊したことを本当に後悔しました。更に残念だったことに、入院中に、同じく韓国で働いていた叔母と従弟が見舞いに来てくれたものの、慰めの言葉とお金を少し残ってさっさと出て行きました。その上、私が家族で一番近い存在だった一番上の姉さえも、仕事の忙しさを言い訳に、面倒を見られないと言うのです。親類の冷たさにはため息を禁じえず、「お金のせいで人は非情になって家族のことも気にかけなくなるのか」と悲嘆にくれました。
数日後、私の健康は徐々に回復し始めました。医者からは、退院して自宅療養してもいいが、重労働は控えるようにと言われました。自宅療養中は、自分の人生の目的をたちまち失ったように感じて、毎日何をすべきか分かりませんでした。その間、何度も自問しました、「僕は金があるし、知人はみんな僕を見る目が変わったし、妻も子も側にいるのに。どうして空っぽな気分で、人生の目標もなくなったんだろう。人は一体何のために生きているんだ。金を稼ぐことだけが僕の人生の目的なのか。このまま何の目標もなく余生を過ごすことになるのか」。私の心の中の質問は数えきれないほどでしたが、誰からも答えを得られませんでした。しばらくして、私の状態は少し回復しました。家であまりにも退屈していたので、まだ回復しきっていない体を引きずって、働き始めました。
神の愛-苦尽甘来
2016年10月に、私の2番目の姉が教会から楊(ヤン)という姉妹を私の家に連れて来て、二人は私たち夫婦に終わりの日の全能神の働きについて証ししてくれました。二人の交わりを通して、神は万物を創造し、万物の支配者であること、私たちの運命は全て神の手の中にあり、神は人類を創造して以来ずっと私たちを導き養い、見守っていてくださることが分かりました。しかし私にはまだ分からないことがありました。神はこれまでずっと私たちの運命を定め、支配し、見守ってくださっていますから、私たちは幸福で喜びに満ちているはずです。ではなぜ私たちは病気や苦痛で悩むのでしょう。この苦しみはどこから来たのでしょう。それで私は彼女たちに自分が困惑していることを話しました。楊(ヤン)姉妹は私に神の御言葉の次の箇所を見せてくれました。「出生、死、病、老いといった人生の苦しみは、どこから来るのでしょうか。人々がこれらのことを経験する理由はなんでしょうか。創造時にはなかったものではないか。ではどこから来たのか。人がサタンに誘惑されて堕落してからであり、肉の苦しみ、悩みや虚無感、世の悲惨さと言ったものが含まれます。サタンは人を堕落させ、その後、人を苦しめるようになったのです。すると人は益々堕落し、病は重くなり、苦しみは深刻になっていきました。益々空虚になり、悲劇の中、生きる気力もこの世の希望も失せていきました。つまり、苦しみはサタンによるもので、人がサタンに堕落させられて後にもたらされたのです。」(『キリストの言葉の記録』の「神がこの世の苦しみを受けることの意義」より)
それから楊(ヤン)姉妹は次のように語ってくれました、「初めに、神はアダムとエバを創り、彼らをエデンの園に置かれました。彼らは神の御言葉に耳を傾け、神に従い、崇め、神の配慮と加護の下、病気も不安も苦痛もない伸び伸びとして幸せな暮らしをしました。後に、サタンの言葉に耳を傾け、サタンに誘惑されて堕落した時点で神を裏切ります。それ以来、人類は神の配慮と加護と祝福を失い、サタンの支配下で生きるようになりました。そして、サタンに堕落させられ害を与えられるようになり、ありとあらゆる病気や苦痛に見舞われるようになったのです。
数千年後、サタンは学校教育、親による教化、有名人や偉人の影響、ありとあらゆる悪しき流行などを使って、「我が運命は我が手の中」、「群を抜け、一頭地を抜け」、「天上天下唯我独尊」、「己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす」、「人間は金銭のために身を滅ぼし、鳥は餌のために身を滅ぼす」といった考えを私たちに無理やり吹き込んでいます。私たちは皆これらの考えや見解通りに生き、皆、神の存在と神の主権を否定します。私たちの性質はますます傲慢で不遜、利己的で卑劣、不正直で狡猾で、よこしまで貪欲になっています。お金、評判、地位、楽しみを得るため、自分の目的を達成するために、私たちは互いに欺き合い、争い、恥を知らずにおだて合い、媚びへつらい、陰謀を仕掛け合い、騙し合い、卑劣な手段も使って…
こうして私たちは損得中心になり、用心深くずる賢い生き方をし、心身ともに疲弊し、耐え難い苦痛を感じています。そこからありとあらゆる病気や、苦痛、空虚感が私たちの魂の中に生じるのです。やがて、人生に方向性や目的がないように感じるようになり、人生の意味や価値が何であるかがわからなくなります。肉に溺れ、飲み食いや道楽にふけるようになる者もいます。刺激を求めて麻薬を服用したりしますが、束の間の楽しみの後で、再び空しく感じます。痛みから解放されるために自らの命を絶つことを選ぶ者さえいます…これは、私たちがサタンに堕落させられて神を否定し、神を避けるようになった結果です。
姉妹の交わりを聞いて、私は、私たちが病気や苦痛を抱えているのは、サタンに堕落させられたからであることがついに分かりました。私たちは、もし神の御言葉に耳を傾け、アダムとエバが最初にしたように神に従うならば、神の配慮と加護の下で幸せに暮らせるのです。神の御言葉によって長年の疑問が解決され、私は神に選んで頂いたことに感謝しました。その後、私たち夫婦は喜んで全能神の働きを受け入れました。
その後、私たち夫婦は教会生活に加わり、神の御言葉をよく一緒に読みました。神の御言葉を読むほど、私は心が一層明るくなりました。そして、人類を救うための神の六千年の経営(救いの)計画、サタンが人類をいかに堕落させているか、人類の最後の結末と終着点、人生で求めるべきことなど、真理の様々な奥義について少し理解するようになりました。神の御言葉によって潤され養われた私は、神が人類を造られた際に願われたのは、私たちが神の御前に来て御言葉に耳を傾け、自分たちの未来と運命を神の手に委ね、神の主権と采配に従うことだと理解しました。
更に、神が終わりの日に表される御言葉は、サタンの狡猾な計略を全て暴露しており、私たちは真理を理解することによって、サタンの考えや見解のどこが間違っているかを明確に知ることができます。こうして初めてこれらの考えに頼って生きることをやめ、自らをサタンの支配と束縛から完全に解き放ち、神の御前で解放され自由に生きることができるのです。私は集会にどんどん参加するうちに、真理をある程度理解するようになり、心の中の空しさと苛立ちは知らず知らずのうちに消えました。心の奥深くに、私は得も言われぬ喜びを感じ、これが神の祝福だと知りました。
ある集会で、次の御言葉を読みました。「『地獄の沙汰も金次第』。これは社会動向ですか。これは、皆さんが挙げたファッションや美食の社会動向と比較すると、もっと悪いものではありませんか。(そうです。)「地獄の沙汰も金次第」はサタンの哲学であり、人類全体に、あらゆる人間社会に浸透しています。この格言は人間一人ひとりに伝えられ、今や一人ひとりの心の中に固定しているので、社会動向であると言うことができます。人はこの格言を受け入れない状態から、それに慣れ親しんでいく状態に移行したので、現実生活を知るようになったとき、格言を暗黙のうちに徐々に認め、その存在を認知し、最終的には一人ひとりが格言に承認印を押したのです。この過程は、サタンが人間を堕落させる過程ではありませんか。……皆さんは金がなくてはこの世で生き残っていけない、一日でさえも不可能であると感じませんか。(感じます。)人の地位は、体面と同様に、その人がどれだけ金をもっているかにもとづいています。貧しい人々は恥ずかしさのあまり背を丸め、その一方で富裕な人々は高い地位を享受しています。彼らは胸を張って威張り、大きな声で話し、傲慢に暮らします。この格言と社会動向は人に何をもたらしますか。多くの人が金を稼ぐことは、あらゆる犠牲を払う価値があると考えていませんか。人々はもっと金を得るために自分の尊厳や高潔さを犠牲にしていませんか。多くの人が、自らの本分を尽くして神に従う機会を、金のせいで失っていませんか。これは人にとって損失ではありませんか。(損失です。)この方法と格言を用いて人間をここまで堕落させるサタンは邪悪ではありませんか。これは悪意に満ちた策略ではありませんか。この広く流布している格言に反対する状態から最終的にそれを真理として受け入れる状態に移行するにつれて、人の心は完全にサタンの掌中に落ち、そのため気付かないうちにこの格言により生きるようになります。」(『言葉は肉において現れる』の「唯一の神自身5」より)
神の御言葉に照らして自己反省し、私は自分があれほど苦しんで生きていた理由はサタンに弄ばれ傷つけられていたためだとついに悟りました。サタンによって植え付けられた「金が第一」「地獄の沙汰も金次第」「人間は金銭のために身を滅ぼし、鳥は餌のために身を滅ぼす」といった格言通りに生き、「金があれば大手を振って歩けるようになるし、人々から高く評価してもらえ、勝ち組として生きられる」と信じていました。そのため、もっとお金を稼ぐためなら、どんなに危険で心身を消耗させる仕事もしました。自分の健康を顧みず、ある種の機械のように、一晩中残業までして働き、自分の命を無駄な危険にさらしてまで稼ごうとしたのです。お金のために命を売っていたと言えるでしょう。そしてあのような結果になったのです。
私はお金を手にし、人の賞賛と評価を得ましたが体を壊しました。病気になって始めて、お金や評判や地位があっても苦痛は全く和らぐことはないし、ましてや満たされて幸福で喜びに満ちた暮らしなどできないと悟りました。それどころか、それらのせいで私は空虚で混乱した人生を送り、人生で何を求めるべきか、人生の意味が何なのかも分からなくなったのです。歩く屍のようで毎日が動揺と苦痛でした。今までの人生で歩んできた道は実に悲しく辛いものであり、それは全てサタンによって堕落させられ傷つけられた結果だったと知りました。
神の救いがなければ、私は今もサタンによる害を受けボロボロにされながら生きて、金のために奔走し、お金と地位の奴隷のままで、体を壊して命も危うくし、死ぬまでサタンによって残酷に傷つけられていたでしょう。私は思いました、「今僕は、金も名声も富も、サタンが人を堕落させ傷つける手段だとやっと分かった。こんなものの中には、サタンの狡猾な計略と、人を堕落させて貪ろうという悪意が隠されているんだ」。その時、サタンが人を傷つけ堕落させる手段をある程度見極めることができ、神の主権に進んで服従できるようになり、「金や名声や富のために必死になるのはもうやめよう」と思いました。
転換―新生への出航
それ以来、私はもはやお金を稼ぐことばかりを考えることはなくなりました。むしろ時間があればいつも兄弟姉妹と一緒に神の御言葉を読み、神の御言葉についての集会と交わりに行きました。しかし昼間は仕事でひどく疲れていたので、集会に出て神の御言葉を読むといつも眠くなり、多少不安になりました。特に、集会の中で兄弟姉妹が自分たちの本分を果たした時の収穫を語っているのを聞くと、私は不安でうらやましくなりました。自分の神への信仰のあり方が不十分で、これではいのちの成長が遅れてしまうと感じたのです。ある時、ディボーションをしていると、次の御言葉が目に止まりました。「歳月人を待たず、である。神への信仰から益を得ることができるのは、食糧や衣服などよりも、なによりも大切なものとして神の信仰に取り組んだ場合のみであろう。」(『言葉は肉において現れる』の「唯一の神自身10」より)
御言葉を読むと、私は神を信じるとはただ口先で神がいることを認めたり、集会に出たりすることではないと理解しました。そうではなく、神の御言葉を熟考し、真理を求め、教会で本分を果たし、御言葉をもっと実践し体験し、神を自分と同様に知ることを求め、御言葉の理解を深め、神の御心と人に対する要求を理解することなのです。そうする者だけが、神を信じ、神に従う者です。思い起こせば、私は長い間神を信じておらず、仕事が忙しく、集会に出たり神の御言葉を読んだりする時間があまりなかったため、神の働きを経験する機会が少なかったのです。もっと真剣に真理を求めなかったら、どうして真理をもっと理解して神の救いを得ることができるでしょうか。「これじゃだめだ。真理を熱心に求め、もっと時間をかけて真理を身に付け、御言葉を実践して体験しなきゃ」と思いました。
後になって、私は妻とこの問題について話し合いました。私は余裕ができるようにもっと楽な仕事を探そうと考えました。主任に仕事を辞めたいと話した時、まさか同意されないとは思ってもいませんでした。主任に「君がやめなければ、君のどんな要望にも応えるように何とかしてやるから」と言われ、私は「残業はしたくありませんし、週末は休みたいです」と答えました。まさか主任がこんな条件に簡単に同意してくれるとは想像もしていませんでした。以来、私はもっと集会に出て神の御言葉を読む時間ができました。ある日、私はこれらの御言葉を目にしました。「神の存在もなく、神を見ることもなく、神の統治も知らなければ、毎日は無意味で、無価値で、惨めである。どこで何をしても、人の生き方と目標への追求は終わりのない悲しみと深刻な苦痛しかもたらさず、回想するに堪えない。創造主の統治、その指揮と采配を受け入れ、真の人生を求めて初めて、人は徐々に悲しみや苦痛から解き放たれ、人生の虚無感を払拭できるのだ。」(『言葉は肉において現れる』の「唯一の神自身3」より)
神の御言葉を熟考すると、お金のために命を危うくしていた年月を思い出さずにはいられませんでした。神の主権を知らず、サタンの格言に従って暮らしていたため、盲目的にお金と評判と地位を追求し、大いに悲しみと苦痛を感じ、幸福を全く見いだせませんでした。また、富は私たちの外にある物質であり、病気になれば、いくらお金を持っていても、命は助からないし、苦痛は少しも減らないことを本当に理解しました。サタンはお金と名声と富を使って私たちを誘惑し、私たちの貪欲な心をギュッとつかむことで、私たちが神の主権に服従できず、頑固に神に逆らい、神の配慮と加護を避けるようにします。こうして私たちはサタンに支配され、傷つけられ、踏みにじられていきます。今の私は、もはや自分の運命と戦うことも、お金のために命を売ることも望みません。それは本当の人生ではないのです。神の主権と采配に服従し、神に満足して頂くために生き、神に証しをするという被造物の本分を果たすことによってのみ、私たちは自分たちの空しく辛い人生を取り除き、価値と意味のある人生を生きることができるのです。
神の愛に報いるために、私たち夫婦は福音を広める人々の仲間入りをしました。今では、私は毎日、兄弟姉妹と共に福音を広め、証しをしています。非常に充実した生活を送り、心の中がとても平和で喜びを感じています。私の精神は全く新しい姿になりました。私を知っている人は皆、私が若く見えると言いますが、これは神の祝福によるものです。神の救いのおかげで、サタンの束縛と害から真に脱却し、幸せな人生を送れるようになったことに感謝いたします。
ジンチュ(韓国)
朗読 神の言葉 「 神の働き、神の性質、そして神自身 2」 その7 パート2
このビデオにおける神の御言葉は『言葉は肉において現れる』から引用しています。
ビデオの内容:
ヨブは再び神に祝福され、二度とサタンに責められることがなくなった
ヨブは人生の後半を神の祝福の中で過ごす
ヨブがその生き方で生み出した価値
律法の時代の規則は神が人間を導いている確かな証拠である
人間は永遠に神の教えと施しから離れることはできない
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