最近、おえらい有名人さんたちがこぞって、英語の早期教育について批判的なご意見を述べられています。
ネットの記事でも毎日のように見かけるし(一回読んだら履歴で同じような記事が出てくるだけなのかも…)。
将来優れた翻訳機が作られれば、英語教育は無意味、とか。
必ずしも英語が必要な人生を歩むとは限らない、とか。
ナルホド確かに、なんで高いお金かけて習わせてるんだろ私、と、うっかり翻意しそうになります。
そうなんです、我が家のお兄ちゃんも年長さんから英会話に通っており、今年で3年目。
そんなわけなので、教育者が束になって「バーカバーカ意味ないぞ~!」
と言うことを、まさに今継続している者としては、耳を貸さないわけにはいかないので、そういう記事にも一応目を通すんですね。
でも、読むといつもモヤッとするので、この「モヤッ」について、今日はゆっくり考えて答えを出しました。
また、同じような意見にぶつかったときに、今度は堂々と立ち向かえるように、忘れないように記しておきます。
結論としては、今日のタイトルの通りです。
なぜ、英語の早期教育「だけ」が、昨今やたらと目の敵にされているのでしょうかね。
批判的な人たちの意見は、総じて二本立てで、
「日本で英語を習ったって、それだけじゃバイリンガルにはなれない」
「早くから英語教育に偏ると日本語の能力が育たない」
というのが柱になっています。
いやいやいや、ちょっとお待ち下さい。
早くから習わせている理由、
イコール
「我が子をバイリンガルにしたいんだろ?」ってあなた、ちょっと極論と言うか、乱暴というか、決めつけ過ぎなのではないですか?
それじゃ、おえらい有名人さんたちは、こう言うのかしら。
ベビースイミング習わせてる親に、
「早くから習わせたって、それだけじゃオリンピック選手になんかなれねーよ!」
ピアノを習わせてる親に、
「早くから習わせたって、それだけじゃピアニストになんかなれねーよ!」
バレエを習わせてる親に、
「早くから習わせたって、それだけじゃプリンシパルになんかなれねーよ!」
なんで英語だけ、
「バイリンガルになんかなれねーよ!」と批判されるのか。
知ってるよそんなこと(笑)
そういうご意見を持つ方たちこそ、子供の習い事に過剰な期待をし過ぎなのではないかしら。
頂点極めるつもりで習い事に臨まなくてはダメですか。
私はエレクトーンを小1から12年間習っていましたが、エレクトーンの先生になったわけでも音楽関係の仕事に就いたわけでもありません。
正直、エレクトーンはピアノと違って、その後の人生に役に立つことは何一つありませんでした。(※個人の感想です)
でも、音楽をやっていたというだけで、折々で強みになったし、全くやっていないより心の引き出しが幾つかは増えているはずで、つまりは子供の習い事なんて皆そんなものではないの?
時間のある子供時代にいろんなことを経験させたい。
海に行って、山に行って、遊園地に行って、その延長での習い事。
世界を広げて、時には「めんどくさい」「ツラい」「悔しい」を経て、好きなことを見つけられたらいいね。くらいのものです。
オリンピック選手もピアニストも、頂点極めるつもりなら、あとはその子の能力と努力次第であることはどんなことでも同じです。
私は、日本語も含め『言語』自体が好きで、日本語とは違う言葉を使って、異文化コミュニケーションを取ることが好きでした。
私がお兄ちゃんの習い事に英語を選んだのは、本人が年長さんになった頃に
「話せるようになりたい」
と、少なからず興味を持ったこともありますが、何より自分自身の経験上、
「つたない英語を使ってのコミュニケーションでさえ楽しいんだよ~!」
ってことを早くに教えてあげたかったからです。
早くにその楽しさを知ることができればその先の人生において、いかようにも道を広げられます。
英語はもういい、と、その道を断つのであれば、それも道です。
早いうちならば道の拓け方が、その分多様になるということ。ただそれだけ。
早くから習わせる理由は、ただそれだけです。
そんなわけなので、もう一方の「大事な国語の能力が疎かに云々」というのは、そもそもバイリンガル育成前提の「早期英語教育」ではないので、反論も割愛します。
もっとそもそもの話、日本語能力の崩壊を英語早期教育のせいにしないでほしい。
というわけなので、早くから英語を習わせることに対して、
「教育者の皆さんも、十把一絡げにしてそんなに目くじらたてて批判しなくていいんですよ ~!」
…と、声を大にして言いたいけれど、伝える術はないので、また翻意しそうになってる未来の自分にわかるようにだけ、ここに記しておければいいです。
偏っているのは教育じゃなくて情報な気がするよ。やれやれ。
ネットの記事でも毎日のように見かけるし(一回読んだら履歴で同じような記事が出てくるだけなのかも…)。
将来優れた翻訳機が作られれば、英語教育は無意味、とか。
必ずしも英語が必要な人生を歩むとは限らない、とか。
ナルホド確かに、なんで高いお金かけて習わせてるんだろ私、と、うっかり翻意しそうになります。
そうなんです、我が家のお兄ちゃんも年長さんから英会話に通っており、今年で3年目。
そんなわけなので、教育者が束になって「バーカバーカ意味ないぞ~!」
と言うことを、まさに今継続している者としては、耳を貸さないわけにはいかないので、そういう記事にも一応目を通すんですね。
でも、読むといつもモヤッとするので、この「モヤッ」について、今日はゆっくり考えて答えを出しました。
また、同じような意見にぶつかったときに、今度は堂々と立ち向かえるように、忘れないように記しておきます。
結論としては、今日のタイトルの通りです。
なぜ、英語の早期教育「だけ」が、昨今やたらと目の敵にされているのでしょうかね。
批判的な人たちの意見は、総じて二本立てで、
「日本で英語を習ったって、それだけじゃバイリンガルにはなれない」
「早くから英語教育に偏ると日本語の能力が育たない」
というのが柱になっています。
いやいやいや、ちょっとお待ち下さい。
早くから習わせている理由、
イコール
「我が子をバイリンガルにしたいんだろ?」ってあなた、ちょっと極論と言うか、乱暴というか、決めつけ過ぎなのではないですか?
それじゃ、おえらい有名人さんたちは、こう言うのかしら。
ベビースイミング習わせてる親に、
「早くから習わせたって、それだけじゃオリンピック選手になんかなれねーよ!」
ピアノを習わせてる親に、
「早くから習わせたって、それだけじゃピアニストになんかなれねーよ!」
バレエを習わせてる親に、
「早くから習わせたって、それだけじゃプリンシパルになんかなれねーよ!」
なんで英語だけ、
「バイリンガルになんかなれねーよ!」と批判されるのか。
知ってるよそんなこと(笑)
そういうご意見を持つ方たちこそ、子供の習い事に過剰な期待をし過ぎなのではないかしら。
頂点極めるつもりで習い事に臨まなくてはダメですか。
私はエレクトーンを小1から12年間習っていましたが、エレクトーンの先生になったわけでも音楽関係の仕事に就いたわけでもありません。
正直、エレクトーンはピアノと違って、その後の人生に役に立つことは何一つありませんでした。(※個人の感想です)
でも、音楽をやっていたというだけで、折々で強みになったし、全くやっていないより心の引き出しが幾つかは増えているはずで、つまりは子供の習い事なんて皆そんなものではないの?
時間のある子供時代にいろんなことを経験させたい。
海に行って、山に行って、遊園地に行って、その延長での習い事。
世界を広げて、時には「めんどくさい」「ツラい」「悔しい」を経て、好きなことを見つけられたらいいね。くらいのものです。
オリンピック選手もピアニストも、頂点極めるつもりなら、あとはその子の能力と努力次第であることはどんなことでも同じです。
私は、日本語も含め『言語』自体が好きで、日本語とは違う言葉を使って、異文化コミュニケーションを取ることが好きでした。
私がお兄ちゃんの習い事に英語を選んだのは、本人が年長さんになった頃に
「話せるようになりたい」
と、少なからず興味を持ったこともありますが、何より自分自身の経験上、
「つたない英語を使ってのコミュニケーションでさえ楽しいんだよ~!」
ってことを早くに教えてあげたかったからです。
早くにその楽しさを知ることができればその先の人生において、いかようにも道を広げられます。
英語はもういい、と、その道を断つのであれば、それも道です。
早いうちならば道の拓け方が、その分多様になるということ。ただそれだけ。
早くから習わせる理由は、ただそれだけです。
そんなわけなので、もう一方の「大事な国語の能力が疎かに云々」というのは、そもそもバイリンガル育成前提の「早期英語教育」ではないので、反論も割愛します。
もっとそもそもの話、日本語能力の崩壊を英語早期教育のせいにしないでほしい。
というわけなので、早くから英語を習わせることに対して、
「教育者の皆さんも、十把一絡げにしてそんなに目くじらたてて批判しなくていいんですよ ~!」
…と、声を大にして言いたいけれど、伝える術はないので、また翻意しそうになってる未来の自分にわかるようにだけ、ここに記しておければいいです。
偏っているのは教育じゃなくて情報な気がするよ。やれやれ。
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