8月10日、「ダンス白州2007」での作品発表を無事終了いたしました。
遠方、多くのご来場、とても感謝しております。ありがとうございました!
さて、今日は発表した作品の内容やプロセスなどのご報告。
今回は、美術の櫻井恵美子との共同作品。パートナーシップを再考する意味で、最初の発想や練習方法まで含め、「二人で」すべてを考え、実行してゆくことにしました。ソロであっても、独白ではない。交感の中から生まれたダンスでありたい、との思いです。
たっぷりと時間をかけることになりました。
即興的なダンスと淡いドローイングのイメージ交換を重ねつつ、夏空の到来を待ち、二人の間でゆらぐように重なる直感が、ひとつの構想に。
「大地へ、らせんのドローイング。人と人、人と土の接触、交感。リチュアルから、ダンスへ。開かれた場所に、露出した土肌。そこに鮮やかな赤と白の対話を刻む。」
___________________________
ドローイングは、籾を燃やした白灰で行うことに。
灰は、生命の痕跡・死者の存在感として、僕らが大事にしている素材の一つ。
僕らと踊り、風雨の中で再び自然に還ってゆく、真っ白な灰。
この白を受け、踊り手の身体も、白化粧で。
そして、風・土・身体を結ぶイメージラインとして、赤く染め上げた織物を。
身体の追い込み作業から、赤い色が見えた。
その染色作業を経て、白州へ・・・。
現地スタッフとミーティングのあと、上演場所のハンティング。暑中の迷いにつきあっていただくうち、作物を植える準備をしている畑を貸していただけることに!
すぐ隣では可愛いキャベツの芽吹き。周辺に広がる、お米や野菜の緑。樹木・草たちの緑。晴天が約束された碧空。最高の場所を確保です。最後の振付け稽古を経て一夜明け、いよいよ舞台作り・・・。
大地への、籾を燃やした白灰による「らせん模様」のドローイング。
耕耘機で整地された空畑。
この土に表情を与えるため、足で畑全面を踏みしだくことに。
裸足になって、走り歩き、とにかく足で土をほぐしてゆく。
しばしば身体を刺す石片。踏むほどに、語りかけてくる土。踏み外す足。
土踏みの作業が、振付の再考に重なる中、美術家の手から、真っ白な灰が。
大きな渦を描く腰つき足取りは、種まきのようでもあり、それ自体ひとつの美景。
見つめつつ・・・。
ダンスは、土に転げ、空に笑う感じが良い。死者か赤ん坊か旅人か。そんなことを思う。
描き、踏み、また、描いて半日、足裏はひりひりと。雨降らぬ中、土が熱をたくわえていた故の火傷。(きつくなってきた頃合いに、がんばってくださ~い!と明るい声。俳優の柄本明氏。さすが名優、声が胸の奥にズンと響き、がんばれました。ありがとうございます!)
_________________________________
本番・・・。
焼けたアスファルトから地上絵の場所に、ダンサー。
訪れた身体を抱くように、真っ赤な布で包み込む美術家。
身体は、踊り始めて、じっとしていない。
美術家は、自ら描いた線上を歩き、数を呼ぶ。
記憶を辿るのか、あたらしい歩みか。
数え続け、歩き続けながら、大気に大地に、「灰」を散りばめる美術家。
いつしか鈴を鳴らして、風に、散り消えた灰に、語る。
ダンサーは、何も知らない、知ろうとしない。踏み・舞い・転び・ただ遊ぶ。
風に刻まれる声と音、土に刻まれる身体の痕跡。
らせんのイメージをたどり、さまよいながら、たわむれのダンスは尽きる。
白昼の迷宮、遊び、弔い、祈り・・・。
観客の皆さん、灼熱の中を温かい拍手、ありがとうございます。感想など、お声がけいただいた方々も多く、嬉しかったです。
参加3度目。いま確信するのですが、ここ白州では、運営者やスタッフの方々の熱意・働きざまこそ、最高のダンスなのではないかと思います。実際のダンサーは、少なくとも僕自身は、彼らの熱量との出会いによって、育てられ直し、あらゆる未完成への肯定を反射する触媒であることを担う役割だと思います。
フェスティバルは、19日まで続きます。ぜひ・・・!!
「ダンス白州2007」
次の舞台は、いよいよ秋の新作公演。11月16~17日、東京・planBにて。詳細、近日発表。
※ここに書いた素材・根拠などは全部、いま初めての公表。上演時は、すべて観客の想像にゆだねました。どのように感じていただけたのでしょうか・・・。
追伸_________________________________________
帰京の直前、あるダンサーの方から、僕らのドローイングを通って上演を始めてみたい、との申し出・・・。作品の完結性がある「劇場」では、あり得ないことですが、僕らの作品の痕跡から「つなげて」自身の美術やパフォーマンスを展開したい、とのご説明をいただき、これも白州フェスティバルならではの感受かと、面白く、承諾させていただきました。作品と作品の引き継ぎ。どのような連鎖、変化が、行われたのでしょうか。見届けたかった。
遠方、多くのご来場、とても感謝しております。ありがとうございました!
さて、今日は発表した作品の内容やプロセスなどのご報告。
今回は、美術の櫻井恵美子との共同作品。パートナーシップを再考する意味で、最初の発想や練習方法まで含め、「二人で」すべてを考え、実行してゆくことにしました。ソロであっても、独白ではない。交感の中から生まれたダンスでありたい、との思いです。
たっぷりと時間をかけることになりました。
即興的なダンスと淡いドローイングのイメージ交換を重ねつつ、夏空の到来を待ち、二人の間でゆらぐように重なる直感が、ひとつの構想に。
「大地へ、らせんのドローイング。人と人、人と土の接触、交感。リチュアルから、ダンスへ。開かれた場所に、露出した土肌。そこに鮮やかな赤と白の対話を刻む。」
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ドローイングは、籾を燃やした白灰で行うことに。
灰は、生命の痕跡・死者の存在感として、僕らが大事にしている素材の一つ。
僕らと踊り、風雨の中で再び自然に還ってゆく、真っ白な灰。
この白を受け、踊り手の身体も、白化粧で。
そして、風・土・身体を結ぶイメージラインとして、赤く染め上げた織物を。
身体の追い込み作業から、赤い色が見えた。
その染色作業を経て、白州へ・・・。
現地スタッフとミーティングのあと、上演場所のハンティング。暑中の迷いにつきあっていただくうち、作物を植える準備をしている畑を貸していただけることに!
すぐ隣では可愛いキャベツの芽吹き。周辺に広がる、お米や野菜の緑。樹木・草たちの緑。晴天が約束された碧空。最高の場所を確保です。最後の振付け稽古を経て一夜明け、いよいよ舞台作り・・・。
大地への、籾を燃やした白灰による「らせん模様」のドローイング。
耕耘機で整地された空畑。
この土に表情を与えるため、足で畑全面を踏みしだくことに。
裸足になって、走り歩き、とにかく足で土をほぐしてゆく。
しばしば身体を刺す石片。踏むほどに、語りかけてくる土。踏み外す足。
土踏みの作業が、振付の再考に重なる中、美術家の手から、真っ白な灰が。
大きな渦を描く腰つき足取りは、種まきのようでもあり、それ自体ひとつの美景。
見つめつつ・・・。
ダンスは、土に転げ、空に笑う感じが良い。死者か赤ん坊か旅人か。そんなことを思う。
描き、踏み、また、描いて半日、足裏はひりひりと。雨降らぬ中、土が熱をたくわえていた故の火傷。(きつくなってきた頃合いに、がんばってくださ~い!と明るい声。俳優の柄本明氏。さすが名優、声が胸の奥にズンと響き、がんばれました。ありがとうございます!)
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本番・・・。
焼けたアスファルトから地上絵の場所に、ダンサー。
訪れた身体を抱くように、真っ赤な布で包み込む美術家。
身体は、踊り始めて、じっとしていない。
美術家は、自ら描いた線上を歩き、数を呼ぶ。
記憶を辿るのか、あたらしい歩みか。
数え続け、歩き続けながら、大気に大地に、「灰」を散りばめる美術家。
いつしか鈴を鳴らして、風に、散り消えた灰に、語る。
ダンサーは、何も知らない、知ろうとしない。踏み・舞い・転び・ただ遊ぶ。
風に刻まれる声と音、土に刻まれる身体の痕跡。
らせんのイメージをたどり、さまよいながら、たわむれのダンスは尽きる。
白昼の迷宮、遊び、弔い、祈り・・・。
観客の皆さん、灼熱の中を温かい拍手、ありがとうございます。感想など、お声がけいただいた方々も多く、嬉しかったです。
参加3度目。いま確信するのですが、ここ白州では、運営者やスタッフの方々の熱意・働きざまこそ、最高のダンスなのではないかと思います。実際のダンサーは、少なくとも僕自身は、彼らの熱量との出会いによって、育てられ直し、あらゆる未完成への肯定を反射する触媒であることを担う役割だと思います。
フェスティバルは、19日まで続きます。ぜひ・・・!!
「ダンス白州2007」
次の舞台は、いよいよ秋の新作公演。11月16~17日、東京・planBにて。詳細、近日発表。
※ここに書いた素材・根拠などは全部、いま初めての公表。上演時は、すべて観客の想像にゆだねました。どのように感じていただけたのでしょうか・・・。
追伸_________________________________________
帰京の直前、あるダンサーの方から、僕らのドローイングを通って上演を始めてみたい、との申し出・・・。作品の完結性がある「劇場」では、あり得ないことですが、僕らの作品の痕跡から「つなげて」自身の美術やパフォーマンスを展開したい、とのご説明をいただき、これも白州フェスティバルならではの感受かと、面白く、承諾させていただきました。作品と作品の引き継ぎ。どのような連鎖、変化が、行われたのでしょうか。見届けたかった。