8/28。今日の舞踏クラスは、身体の実験室みたいで印象的。迫力がありました。
静けさの中に、強い衝動がぶつかりあっています。
ツンと体を突っ張っている人、フルフルとするまで足でカラダを支えている人、眠りのような安らかさで姿勢を運んでゆく人・・・、ひとつのヒント、同じ導入、同じイメージ・モチーフを踊りにしてゆくのに、多様さが際立ち始めています。セッションを重ねるうち、はじけた動きも見え始めてきた。雲のむこうの皆既月食から、あるいは突然の雷鳴からエネルギー・・・?いいえ、すべて自己決定の動きです。参加された一人一人の気持ちと熱が、そうさせたのです。回を重ねた方からは蓄積されつつある底力が、初めての方からは、すがすがしい勇気が、発散されて「磁場」が生まれていました。初心から経験まで、稽古量をこえて作用し合っていることが、何よりうれしい!
先日このブログで報告しました白州フェス・野外公演の創作体験を交えつつ、イメージの置き所について、踊る根拠について、僕なりの思いを話したあと、本稽古へ入り、上記の様相。
今日は、エクササイズというよりも同じコンセプトでセッションを繰り返すイメージ訓練の日となりました。
モチーフは「重力の受容」。
僕が少しの動きを見せながら、向かい合ってみたいイメージやハコビを提示。それを各自が自分なりの動きを実現してゆく。
2時間の中で、注意や感想タイムをはさみつつ、3回のセッションでタイムアウト。
稽古中に声がけしたポイントは、1=「見つめられている」という認識をきちんともつこと、2=コンセプトを見失わぬこと、3=流されず自分なりのメリハリをもつこと、4=きちんとやるのだが、神経質にならない~情緒のふくらみとカラダがゆるむ「すきま」を持たねば!
舞踏は、深く感じつつ意志を持ち続け思考を展開する、全器官のバランス感覚を探してゆく作業だと思います。
体を飼いならしてゆくような稽古でなく、いつも新鮮に体と出会い続けるような稽古としたいもの。
だから、ハプニングや思い通りにならぬことを失敗ではなく出会いとして受け止めて、どんどん動いていきましょうとお願いしました。失敗はアタマの問題。本当の失敗は、カラダに対する支配的・命令的な向かい合い方なのです。
大事な時間だから、どんどん試行錯誤が生まれる方向に、育ててゆきましょう。
この時間・この場所では、誰もが自由な踊り子として出会ってゆきましょう!
静けさの中に、強い衝動がぶつかりあっています。
ツンと体を突っ張っている人、フルフルとするまで足でカラダを支えている人、眠りのような安らかさで姿勢を運んでゆく人・・・、ひとつのヒント、同じ導入、同じイメージ・モチーフを踊りにしてゆくのに、多様さが際立ち始めています。セッションを重ねるうち、はじけた動きも見え始めてきた。雲のむこうの皆既月食から、あるいは突然の雷鳴からエネルギー・・・?いいえ、すべて自己決定の動きです。参加された一人一人の気持ちと熱が、そうさせたのです。回を重ねた方からは蓄積されつつある底力が、初めての方からは、すがすがしい勇気が、発散されて「磁場」が生まれていました。初心から経験まで、稽古量をこえて作用し合っていることが、何よりうれしい!
先日このブログで報告しました白州フェス・野外公演の創作体験を交えつつ、イメージの置き所について、踊る根拠について、僕なりの思いを話したあと、本稽古へ入り、上記の様相。
今日は、エクササイズというよりも同じコンセプトでセッションを繰り返すイメージ訓練の日となりました。
モチーフは「重力の受容」。
僕が少しの動きを見せながら、向かい合ってみたいイメージやハコビを提示。それを各自が自分なりの動きを実現してゆく。
2時間の中で、注意や感想タイムをはさみつつ、3回のセッションでタイムアウト。
稽古中に声がけしたポイントは、1=「見つめられている」という認識をきちんともつこと、2=コンセプトを見失わぬこと、3=流されず自分なりのメリハリをもつこと、4=きちんとやるのだが、神経質にならない~情緒のふくらみとカラダがゆるむ「すきま」を持たねば!
舞踏は、深く感じつつ意志を持ち続け思考を展開する、全器官のバランス感覚を探してゆく作業だと思います。
体を飼いならしてゆくような稽古でなく、いつも新鮮に体と出会い続けるような稽古としたいもの。
だから、ハプニングや思い通りにならぬことを失敗ではなく出会いとして受け止めて、どんどん動いていきましょうとお願いしました。失敗はアタマの問題。本当の失敗は、カラダに対する支配的・命令的な向かい合い方なのです。
大事な時間だから、どんどん試行錯誤が生まれる方向に、育ててゆきましょう。
この時間・この場所では、誰もが自由な踊り子として出会ってゆきましょう!