おとといだったか、テレビをつけたらコンゴのサプールたちをドキュメントしていて、うれしく観た。この人たち、ホントに素敵だ、カッコいい。そう思えた。
サプールはコンゴ独特の文化とも言われている、いわば着道楽の伊達男たち。普段様々な仕事をしながら週末になると、とっておきのスーツに身を包みセンスの良さを競って夕暮れの街を悠然と闊歩する。多くは貧しく、厳しい生活費を切りつめて揃えた服や装身具は驚くほど高級でエレガント。そしてメチャメチャ着こなしが良く、一流のファッションモデル顔負けの身のこなしだ。
体温を軽く超える家の中で、まる一日かけてコーディネートを考える。
普段から歩き方や佇まいを稽古し紳士的な人格を磨いて、お洒落の道を極めてゆく。
コンゴは内戦の傷も生々しく暮らしも厳しい。だからこそ、お洒落をするんだ、と彼らは言う。最高のファッションは戦いに似合わない、俺たちは不戦の証としてエレガントなスーツを着る、とも言う。廃墟があちこちにあり、まだ道路も舗装されていない街角に、ピカピカの靴とスーツとネクタイとサングラスでビシッと決めた男たちは、なぜか、小気味良いほどに似合う。(参照)
ファッションとダンスはとても近いんじゃないか、起源はもしかすると同じなんじゃないかしら、心のどこかでそう思っていた部分に、このドキュメントは触れた。
見事にお洒落したサプールたちを見つめて街の人々は手を叩いて喜び祝福する。人々の視線と声を浴びながらサプールたちは空を見上げてステップを踏み、ゆっくりゆっくりと道を歩く。
ネパールでも、選ばれた幼い少女が華やかな衣装や化粧で生き神として降臨する。日本のお稚児さまも、思えば近い。
ヌバ族の華麗なレスリングの写真を見たときにも思った。そう、レニ・リーフェンシュタールの名作だ。
プリアタンでバリ舞踊の稽古を受けたときにも思っていた。訓練しつくした身体に、豪奢な衣装をまとい、化粧を施すなかで現れる、神的なるものへの変身、独特の知覚の冴え。能役者も装束をつけ鏡の間に立つとき何かが降りるという。
衣装を纏うことは、そこに込められた思いの全てを担うことだ。宇宙を纏うことにも近い。
ありのままの自分も結構だが、ありえない自分に変身を試みることでこそ希求できる何かがあることも、忘れたくない。
人は何かに変わる。無心になり、色彩をまとい、リズムを身に受けるとき、何か別なるものが身体に降り注ぐのだ。
その光景を、コンゴの伊達男たちは具現する。働きながらセンスを磨きぬいて自らが選んだ最高のファッションに、彼らは胸を張り、不戦を誓う。
日本、いま。僕らは内側の砂漠地帯にいるように思う。かろうじて戦はないが、心の内はどうか。
さて、いかにして僕らは胸を張ることが出来るか。
サプールはコンゴ独特の文化とも言われている、いわば着道楽の伊達男たち。普段様々な仕事をしながら週末になると、とっておきのスーツに身を包みセンスの良さを競って夕暮れの街を悠然と闊歩する。多くは貧しく、厳しい生活費を切りつめて揃えた服や装身具は驚くほど高級でエレガント。そしてメチャメチャ着こなしが良く、一流のファッションモデル顔負けの身のこなしだ。
体温を軽く超える家の中で、まる一日かけてコーディネートを考える。
普段から歩き方や佇まいを稽古し紳士的な人格を磨いて、お洒落の道を極めてゆく。
コンゴは内戦の傷も生々しく暮らしも厳しい。だからこそ、お洒落をするんだ、と彼らは言う。最高のファッションは戦いに似合わない、俺たちは不戦の証としてエレガントなスーツを着る、とも言う。廃墟があちこちにあり、まだ道路も舗装されていない街角に、ピカピカの靴とスーツとネクタイとサングラスでビシッと決めた男たちは、なぜか、小気味良いほどに似合う。(参照)
ファッションとダンスはとても近いんじゃないか、起源はもしかすると同じなんじゃないかしら、心のどこかでそう思っていた部分に、このドキュメントは触れた。
見事にお洒落したサプールたちを見つめて街の人々は手を叩いて喜び祝福する。人々の視線と声を浴びながらサプールたちは空を見上げてステップを踏み、ゆっくりゆっくりと道を歩く。
ネパールでも、選ばれた幼い少女が華やかな衣装や化粧で生き神として降臨する。日本のお稚児さまも、思えば近い。
ヌバ族の華麗なレスリングの写真を見たときにも思った。そう、レニ・リーフェンシュタールの名作だ。
プリアタンでバリ舞踊の稽古を受けたときにも思っていた。訓練しつくした身体に、豪奢な衣装をまとい、化粧を施すなかで現れる、神的なるものへの変身、独特の知覚の冴え。能役者も装束をつけ鏡の間に立つとき何かが降りるという。
衣装を纏うことは、そこに込められた思いの全てを担うことだ。宇宙を纏うことにも近い。
ありのままの自分も結構だが、ありえない自分に変身を試みることでこそ希求できる何かがあることも、忘れたくない。
人は何かに変わる。無心になり、色彩をまとい、リズムを身に受けるとき、何か別なるものが身体に降り注ぐのだ。
その光景を、コンゴの伊達男たちは具現する。働きながらセンスを磨きぬいて自らが選んだ最高のファッションに、彼らは胸を張り、不戦を誓う。
日本、いま。僕らは内側の砂漠地帯にいるように思う。かろうじて戦はないが、心の内はどうか。
さて、いかにして僕らは胸を張ることが出来るか。