きのう2/17火曜「舞踏・追加クラス」ではステップの稽古を、きょう2/18水曜の「オイリュトミークラス」では腕のムーブメンツを主に練習した。
火。まったく自由に踊ろうとなる日もあり、なにか決めごとをして踊ろうとなる日もある。この日は後者になった。毎回あつまる顔ぶれをみて稽古の進め方を決める。踏む、という単純なモチーフで踊ることにした。
「踏む」、、、何度目だろうか。たぶん折にふれ繰り返してゆくのだろう、ダンスにおける永遠のテーマのひとつ。大地を踏む。歩みを踏む。たった二本の足で僕らはあらゆる場所と出会う、あらゆる時間を駆け抜け、あらゆる停滞に佇み、跳躍し、這いずり、スキップをする。足は、重さや軽さや強さ弱さ器用さ不器用さや、恥ずかしさやエレガンスやエロスや悲しみや、いろんなものを宿して変化しながら、人間を支えてゆく。
参加者半々に分かれて、半分の人は動く、半分の人は観ることにした。かわりばんこ。動いて感じること、観て感じること。交互に繰り返しながら、さまざま想い広げ体験を深めてゆく。
視線のなかで、数を数えながら足を踏む。淡々とそれを続けながら各自が各自の身体を感じ取ってゆく。ステップというより「踏む」作業というほうが良いかしら。単純な稽古だが、やることが複雑でないぶん気付きは多いように思えた。僕自身、稽古を進めながら興味わくこと多く、時間はあっというまに過ぎた。
踏みながら、全身さまざまなところに「あらわれる/こぼれでる/連鎖する・・・」さまざまな動きや表情を、メンバーひとりひとりが可能な限り解放していた。踏みながら心の中には、いつしか握りしめている手があったり、宙を舞う腕や、ひるがえる背中がみえてくるかもしれない、それを抑えるのでなく、思い切って出してみよう、そうしないと気持わるいでしょ。
自ずからあらわれてくるものを抑えたくない、そんな気持が、単純な稽古課題を「オドリ」に変化させてゆく、その感じが場をつくってゆく。
どんな動きがでてきても、どんな感情があらわれても、足は地を踏み続ける。決めたことは、やる。
踏むことで、リズムが出てくる、揺れがうまれる、踏みつづけることでカラダはカラダを感じ取ってゆく、熱が生まれ感情が変化してゆく。まあ、こんなふうにコトバにするのは易し、しかし、わずか2時間の間に随分色んな試行錯誤があり色んな対話があり、結果的に、シンプルなしかし力の感じられる踊り場があらわれた。
舞踏クラス、このクラスの度に思う、ああ、こんなふうにオドリが発生してゆくんだな、と。このクラスでは僕が提示する課題やモチーフや挑発や音は「きっかけ」にすぎない。おなじみの人も初対面の人も、日ごとに変化する顔合わせのなかで、その場に集まった人と人のなかで、動きあううち、緊張感や対話や空気感や共有感や違和感の変化が表現空間を生み、時間を生きたものにする。一回一回のレッスン=ダンスが生まれてゆく。毎回新鮮なまま、もう何年もやっている。感謝。
水。オイリュトミーは踊りの一種ではあるが、その根幹には「カラダで語る、カラダで歌う」という意識がある。オイリュトミーが希求するなかには、表情豊かな体とか思い溢れる体とも言えるような身体観がある。
フィジカルな肉体だけでなく、気力や感受性もふくめて一つの体と考える。そんなオイリュトミーにとって、腕は大事な役割を担っている。腕、といっても、それは胸の延長として捉えられる。鳥の翼のように。
心臓の鼓動や気持の具合が、胸板を通過して肩に背中に伝わり、その力が樹木の枝のように外気にのびて腕となり手のひらになり指一本一本になる。そして何かを解き放ったり抱きしめたりする。
オイリュトミーでは、この胸から腕の流動を絶えず練習するため、さまざまな型が用意されている。いい感じに動けたら、それは型には見えないほどさりげなくなるし、何かが足りないあいだは、それはお遊戯ともヘタな手旗信号みたいともなって形式主義のようになる。腕は、胸の奥の気持の現れ。バレエでも、そうかも知れない。ポル・ド・ブラとは何だか愛のある言い方だと思う。
この日は、あえて足はしっかり立ったまま。いま取り組んでいる作品の振付にそって、ゆっくりたっぷり胸や腕を動かすことに集中してみた。踊っているメンバーの雰囲気が変わっていって、部屋が明るくなったような気がした。とにかく動きに心を込めて、何度も踊るうちに、カタチがカラダに溶けてエネルギーに換わってゆく。だんだん変化して喜怒哀楽を反映し始める胸や腕の表情は、その証しだ。ダンスだけでなく日常の関係づくりにも役立つと思う。上半身全体に、動きはつながり、表情の変化も大きくなっていきそうな予感。心の中がしっかり動き出した感じがする。
さて、この感じをのせて、下半身や足は、どのように大地に関わるか。おヘソは、腰は、おしりは、腿や股や脹脛や足首爪先、それらは内面の働きとどう関わるのだろうか。いっしょに踊りさがしながら、オドリを広げ、気持を大きくする稽古につなげてみたい。
___________________________
参加募集
櫻井郁也・ダンス定期クラス、舞踏クラス
カラダづくり&美しい姿勢から、表現へ、踊るよろこびへ・・・(初歩~一般)
クラス要項
火・水・金・土。杉並・荻窪地区。定期=週1ペースから。舞踏=チケット制。
気軽にご参加下さい。
火。まったく自由に踊ろうとなる日もあり、なにか決めごとをして踊ろうとなる日もある。この日は後者になった。毎回あつまる顔ぶれをみて稽古の進め方を決める。踏む、という単純なモチーフで踊ることにした。
「踏む」、、、何度目だろうか。たぶん折にふれ繰り返してゆくのだろう、ダンスにおける永遠のテーマのひとつ。大地を踏む。歩みを踏む。たった二本の足で僕らはあらゆる場所と出会う、あらゆる時間を駆け抜け、あらゆる停滞に佇み、跳躍し、這いずり、スキップをする。足は、重さや軽さや強さ弱さ器用さ不器用さや、恥ずかしさやエレガンスやエロスや悲しみや、いろんなものを宿して変化しながら、人間を支えてゆく。
参加者半々に分かれて、半分の人は動く、半分の人は観ることにした。かわりばんこ。動いて感じること、観て感じること。交互に繰り返しながら、さまざま想い広げ体験を深めてゆく。
視線のなかで、数を数えながら足を踏む。淡々とそれを続けながら各自が各自の身体を感じ取ってゆく。ステップというより「踏む」作業というほうが良いかしら。単純な稽古だが、やることが複雑でないぶん気付きは多いように思えた。僕自身、稽古を進めながら興味わくこと多く、時間はあっというまに過ぎた。
踏みながら、全身さまざまなところに「あらわれる/こぼれでる/連鎖する・・・」さまざまな動きや表情を、メンバーひとりひとりが可能な限り解放していた。踏みながら心の中には、いつしか握りしめている手があったり、宙を舞う腕や、ひるがえる背中がみえてくるかもしれない、それを抑えるのでなく、思い切って出してみよう、そうしないと気持わるいでしょ。
自ずからあらわれてくるものを抑えたくない、そんな気持が、単純な稽古課題を「オドリ」に変化させてゆく、その感じが場をつくってゆく。
どんな動きがでてきても、どんな感情があらわれても、足は地を踏み続ける。決めたことは、やる。
踏むことで、リズムが出てくる、揺れがうまれる、踏みつづけることでカラダはカラダを感じ取ってゆく、熱が生まれ感情が変化してゆく。まあ、こんなふうにコトバにするのは易し、しかし、わずか2時間の間に随分色んな試行錯誤があり色んな対話があり、結果的に、シンプルなしかし力の感じられる踊り場があらわれた。
舞踏クラス、このクラスの度に思う、ああ、こんなふうにオドリが発生してゆくんだな、と。このクラスでは僕が提示する課題やモチーフや挑発や音は「きっかけ」にすぎない。おなじみの人も初対面の人も、日ごとに変化する顔合わせのなかで、その場に集まった人と人のなかで、動きあううち、緊張感や対話や空気感や共有感や違和感の変化が表現空間を生み、時間を生きたものにする。一回一回のレッスン=ダンスが生まれてゆく。毎回新鮮なまま、もう何年もやっている。感謝。
水。オイリュトミーは踊りの一種ではあるが、その根幹には「カラダで語る、カラダで歌う」という意識がある。オイリュトミーが希求するなかには、表情豊かな体とか思い溢れる体とも言えるような身体観がある。
フィジカルな肉体だけでなく、気力や感受性もふくめて一つの体と考える。そんなオイリュトミーにとって、腕は大事な役割を担っている。腕、といっても、それは胸の延長として捉えられる。鳥の翼のように。
心臓の鼓動や気持の具合が、胸板を通過して肩に背中に伝わり、その力が樹木の枝のように外気にのびて腕となり手のひらになり指一本一本になる。そして何かを解き放ったり抱きしめたりする。
オイリュトミーでは、この胸から腕の流動を絶えず練習するため、さまざまな型が用意されている。いい感じに動けたら、それは型には見えないほどさりげなくなるし、何かが足りないあいだは、それはお遊戯ともヘタな手旗信号みたいともなって形式主義のようになる。腕は、胸の奥の気持の現れ。バレエでも、そうかも知れない。ポル・ド・ブラとは何だか愛のある言い方だと思う。
この日は、あえて足はしっかり立ったまま。いま取り組んでいる作品の振付にそって、ゆっくりたっぷり胸や腕を動かすことに集中してみた。踊っているメンバーの雰囲気が変わっていって、部屋が明るくなったような気がした。とにかく動きに心を込めて、何度も踊るうちに、カタチがカラダに溶けてエネルギーに換わってゆく。だんだん変化して喜怒哀楽を反映し始める胸や腕の表情は、その証しだ。ダンスだけでなく日常の関係づくりにも役立つと思う。上半身全体に、動きはつながり、表情の変化も大きくなっていきそうな予感。心の中がしっかり動き出した感じがする。
さて、この感じをのせて、下半身や足は、どのように大地に関わるか。おヘソは、腰は、おしりは、腿や股や脹脛や足首爪先、それらは内面の働きとどう関わるのだろうか。いっしょに踊りさがしながら、オドリを広げ、気持を大きくする稽古につなげてみたい。
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参加募集
櫻井郁也・ダンス定期クラス、舞踏クラス
カラダづくり&美しい姿勢から、表現へ、踊るよろこびへ・・・(初歩~一般)
クラス要項
火・水・金・土。杉並・荻窪地区。定期=週1ペースから。舞踏=チケット制。
気軽にご参加下さい。