何かを差し出されることによって、スッと世界が透明になって、辺りが明るく開けてゆく。
何も無いほどに、明るく透明になってゆく。
すべてここにあるのに、、、。
この人の作品を前にすると、無、を思う。
いや、無さえ存在する、その神秘を思う。
内藤礼さんの美術。
初めて観たのは、たしか銀座のギャラリー小柳での個展だった。
namenloss、というようなタイトルだったかしら、並べられた小さな紙に淡い淡いピンクの色彩が滲んでいた。
記憶が強い。思い出すことが、何年経っても、あった。
今回観たのは、目黒の庭園美術館。
光と影の陰影がふかい旧館、開放感と明るさに満ちた新館、
それぞれの場所が持っている雰囲気と作品が特別な関係を結んでいるみたいだ。
『信の感情』。
僕は何を見ているんだろう、
たしかにタブローがあり、たしかにオブジェがある、
しかしこれは何も無いようにも思える。
眼が視ている何かが、内部の淡い感情にさわって、さざ波をたてる。
知覚ギリギリの淡い色彩、
気づかないほどさりげない小ささのオブジェ(それは人形)。
それらは、それら自身よりも、
それらが浴びている光の陰影をこそ、
私たちに感じさせる。
それらが存在することによって、
それらと一緒に、
私たち一人一人が光に囲まれ明暗を呼吸している、
そのことを深く感じるのだった。
たしかにある。
あるから無い。
何も無いことから胸騒ぎが起きてくる。
視えているものを通じて見えないものを感じる。
音は提示されていない、だからこそ無数の音が聞こえてくる。
誰も喋っていない、なのに無数の言葉が胸に突き刺さる。
在るものを見つめれば見つめるほどに、
限りなく何もない場所が広がってゆく。
何も無いほどに、明るく透明になってゆく。
すべてここにあるのに、、、。
この人の作品を前にすると、無、を思う。
いや、無さえ存在する、その神秘を思う。
内藤礼さんの美術。
初めて観たのは、たしか銀座のギャラリー小柳での個展だった。
namenloss、というようなタイトルだったかしら、並べられた小さな紙に淡い淡いピンクの色彩が滲んでいた。
記憶が強い。思い出すことが、何年経っても、あった。
今回観たのは、目黒の庭園美術館。
光と影の陰影がふかい旧館、開放感と明るさに満ちた新館、
それぞれの場所が持っている雰囲気と作品が特別な関係を結んでいるみたいだ。
『信の感情』。
僕は何を見ているんだろう、
たしかにタブローがあり、たしかにオブジェがある、
しかしこれは何も無いようにも思える。
眼が視ている何かが、内部の淡い感情にさわって、さざ波をたてる。
知覚ギリギリの淡い色彩、
気づかないほどさりげない小ささのオブジェ(それは人形)。
それらは、それら自身よりも、
それらが浴びている光の陰影をこそ、
私たちに感じさせる。
それらが存在することによって、
それらと一緒に、
私たち一人一人が光に囲まれ明暗を呼吸している、
そのことを深く感じるのだった。
たしかにある。
あるから無い。
何も無いことから胸騒ぎが起きてくる。
視えているものを通じて見えないものを感じる。
音は提示されていない、だからこそ無数の音が聞こえてくる。
誰も喋っていない、なのに無数の言葉が胸に突き刺さる。
在るものを見つめれば見つめるほどに、
限りなく何もない場所が広がってゆく。