風が吹いている。
大気が強く流れて、さまざまなものを入れ替えてゆく。
風とともに、あらゆるものは必ず新しくなる。
この流れゆく空気のありさまを、
日本語では「かぜ」と呼び、英語では「wind」と呼ぶ。
ふと思う。
なぜ、言葉がちがうのだろう。
言葉のちがいは心のちがいなのだろうか。
少しずつ異なる土地で、少しずつ異なる人が、
少しずつ異なる言葉で、少しずつ異なる響きを放ち、
少しずつ異なる生を過ごしている。
おびただしい「すこし」が網の目のように、この地上を覆っている。
似ているのにどこかちがう、違うのにどこか似ている。
他者にあこがれ他者をおそれる。
おそるおそる距離を埋めようとする。
言葉を、コトバを、ことばを、きく、きこうとする。
かぜ、という言葉にはその素朴な音素ならではの素早さを感じるし、
windには、たくさん唇や舌を動かす独特の運動感がある。
とおい彼の地にwindが吹くとき、
彼の地の大気は波打つように、どどお、と唸るのではないか。
とおくを思いつつ、う・うぃ・ん・どっ、と言ってみる。
つうじそうでつうじない、
ひびきかた、ひびかせかた、
響きにのせる何かが、たぶん少しちがうのだろう。
僕の心に風はあるがwindはないのかも。ないから想像したくなるのかも。
想像とはディスタンスではないか。
ういんどっ、ういんどっ、と繰り返しながらwindに近づこうとする。
言葉をわかろうとするのは人をわかろうとすることか。
言葉に近づいてゆくことは人に近づくことに、ちかいのか。
言葉には人の心が宿っているにちがいない、という希望があるか。
言葉を交わしているのに心がわからない、という絶望があるか。
言葉の音ひとつひとつが、心を運ぶ種なのだろうか。
言葉の音ひとつひとつが、心を遮る雲なのだろうか。
言葉を、コトバを、ことばを、きく。
きこうとする。
(ぼくにとって言葉をきくことはダンスの体の振動におそろしく深い関係があるように思えてならないのです)
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