櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

その眼差しを通じて:長崎公演ドキュメントを見ながら

2016-03-25 | ダンスノート(からだ、くらし)

昨夏の長崎公演のドキュメント映像が出来たということで、観る機会を得た。

被爆70年忌のセレモニー公演として、長崎大村を拠点とする「救護列車を伝える会」が主催し、現代美術の瀧澤潔と組んだ作業である。美術家と地元の子どもたちが共同制作した美術=祈りのランプシェードに灯をともし、大人たちが被爆体験伝承の朗読を行い、ソロダンスの上演〜黙祷儀へ。という、8月9日の夜に捧げた一連の行い。そして武蔵野美大生たちが冬までかけて祈念碑を会場となった松原小学校校庭に定礎した。
その校庭は被爆当日の救護所であり多数の命が眠る。



淡々と、そして正確にモンタージュされたドキュメント映像に、思いのほか見入ってしまった。
こんなところまで撮影していたのかと思うほど細部まで森内監督のカメラは見つめている。
その眼差しを通じて、大人も子どもも一緒になって一つの時を紡ぎ上げてゆく様子が、デリケートに伝わってくる。
映像を観ながら、人と人が力を合わせるという尊さについて、あらためて考えざるをえない。

人と人・・・、
きれいごとでなく、切実なことだと思う。そして、それは楽なことであるはずもない。
そこに至る前に、たくさんの壁や距離や裂け目が見えるのでは、とも思う。
現代の僕たちには「互いに理解しあう努力」が、あるいは、そこに至るさまざまな対話やアクションが芸術以上の芸術性をもつことになってゆくのかもしれないとも思う。
もちろん、それは潜在的に、徐々に、必然的に、起きてゆくのだろうけれど、
もしそうなってゆくのだとしたら、ダンスも美術も音楽も、その対話やアクションの原因力としての役割を持てたらいいな、とも思う。

そのうえで、劇場という場についても改めて思う。
何かを見つめ、何かを聴く場所。
その客席にある人の内面にイメージや物語や心の動きや来るべきものへの予兆が生まれてゆく場所。
それが劇場だと思う。
ダンスはその起動力を担うべきものなのかもしれないし、あるいは心の動きのための静寂を生む役割なのかもしれない。
「魂ふり、魂しづめ」という古い言葉がふと浮かぶ。
来週の土日に新作を踊るその舞台にも影響が出るかと思う。
長崎のみなさま、力をもらいました。
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【新作公演 Coming performance】

櫻井郁也ダンスソロ・公演webサイト
SAKURAI IKUYA DANCE SOLO Official web

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【これまでの公演 Past Performance】
公演記録(国内)
※長崎公演の記録もあり。
公演記録(海外)
櫻井郁也/十字舎房FACEBOOK
※過去作の動画あり。
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