アーサー・C・クラーク氏が逝去されたことを知ったのは数日前のことだ。3/19スリランカで。
宇宙もやはり生きた存在である、と感じることが出来るのは、もしかすると氏とキューブリックによる映画「2001年宇宙の旅」があったからかもしれない。
亡父に連れられて観た。初めての巨大スクリーン。初めてのインナートリップでもあった。宇宙飛行士が、世の果てで自らの胎動を見る。遠い宇宙の話に出会い、内側への旅もまた始まった。僕も子どもに見せるならこれだ。
「宇」は時の流れ、「宙」は方位のひろがり。その中心たる「私」もまた、果てなく広がる時軸/場所だ。堂々たるを意志すべし。
氏が見つめようとした「未来」に、すでに生きている私。実社会は揺らいでいる。幼年期を一歩出ようとしている揺らぎか。2001当事者。ここに、どう立つか・・・。
宇宙もやはり生きた存在である、と感じることが出来るのは、もしかすると氏とキューブリックによる映画「2001年宇宙の旅」があったからかもしれない。
亡父に連れられて観た。初めての巨大スクリーン。初めてのインナートリップでもあった。宇宙飛行士が、世の果てで自らの胎動を見る。遠い宇宙の話に出会い、内側への旅もまた始まった。僕も子どもに見せるならこれだ。
「宇」は時の流れ、「宙」は方位のひろがり。その中心たる「私」もまた、果てなく広がる時軸/場所だ。堂々たるを意志すべし。
氏が見つめようとした「未来」に、すでに生きている私。実社会は揺らいでいる。幼年期を一歩出ようとしている揺らぎか。2001当事者。ここに、どう立つか・・・。