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クリスチャン・ボルタンスキーの大規模な展覧会が目黒の庭園美術館で実現されるそうだ。
「アニミタス-さざめく亡霊たち」
数年前に踊った越後妻有トリエンナーレという芸術祭で、やはり参加していたボルタンスキーの二つの作品に触れたときの興奮が未だ消えていない。
廃校の校舎全体が死者の記憶に満たされたインスタレーションと、より衝撃波が強かったもう一つは、新築された美術館の真新しい庭全体に大変な量の着古された洋服が積み重ねられて巨大な山になっているその山を建築解体に使う重機がバサバサと切り崩し続けている、という風景を出現した作品だった。
その作品にメメントモリという言葉や解釈を重ねるのは安く易いが、そんな意味付けを一笑してしまうような現在進行形の破壊と生成が、バクバクとした心臓音の大音量の轟きと一緒に、そこに場としてあった。(写真)
大変な共感と畏怖を感じた。それは視覚の経験というより、全身の知覚が揺さぶられるような臨場感の経験そのものだった。
まこと勝手な思い込みかもしれないが、ボルタンスキーの美術は、身体なしに身体以上の生々しさを出現させているように僕は感じる。物質の沈黙によって、あるいは沈黙の堆積によって、空間の沈黙に漂う無数の目に見えない存在が声を発し始めるようでもある。不在という実存の凄み。喪失に内在する生起。
文学で言えばドストエフスキーにも近い深い淵を、あるいは、存在そのものについての黙示録とでも言い得るような大きなものを、僕はボルタンスキーの作品を目の当たりにして感じてならなかった。
今回の大規模な個展で、ボルタンスキーはいかなる振動を僕らにもたらすのだろうか。
始まる前から、胸がざわざわする。
「クリスチャン・ボルタンスキー
アニミタス-さざめく亡霊たち」
2016年9月22日(木・祝)–12月25日(日)東京都庭園美術館
http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/160922-1225_boltanski.html
「アニミタス-さざめく亡霊たち」
数年前に踊った越後妻有トリエンナーレという芸術祭で、やはり参加していたボルタンスキーの二つの作品に触れたときの興奮が未だ消えていない。
廃校の校舎全体が死者の記憶に満たされたインスタレーションと、より衝撃波が強かったもう一つは、新築された美術館の真新しい庭全体に大変な量の着古された洋服が積み重ねられて巨大な山になっているその山を建築解体に使う重機がバサバサと切り崩し続けている、という風景を出現した作品だった。
その作品にメメントモリという言葉や解釈を重ねるのは安く易いが、そんな意味付けを一笑してしまうような現在進行形の破壊と生成が、バクバクとした心臓音の大音量の轟きと一緒に、そこに場としてあった。(写真)
大変な共感と畏怖を感じた。それは視覚の経験というより、全身の知覚が揺さぶられるような臨場感の経験そのものだった。
まこと勝手な思い込みかもしれないが、ボルタンスキーの美術は、身体なしに身体以上の生々しさを出現させているように僕は感じる。物質の沈黙によって、あるいは沈黙の堆積によって、空間の沈黙に漂う無数の目に見えない存在が声を発し始めるようでもある。不在という実存の凄み。喪失に内在する生起。
文学で言えばドストエフスキーにも近い深い淵を、あるいは、存在そのものについての黙示録とでも言い得るような大きなものを、僕はボルタンスキーの作品を目の当たりにして感じてならなかった。
今回の大規模な個展で、ボルタンスキーはいかなる振動を僕らにもたらすのだろうか。
始まる前から、胸がざわざわする。
「クリスチャン・ボルタンスキー
アニミタス-さざめく亡霊たち」
2016年9月22日(木・祝)–12月25日(日)東京都庭園美術館
http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/160922-1225_boltanski.html