ご案内が始まっていますが、この夏、7月17と18の土日に、久々の公演を計画しています。その題名のことを少し、、、。
新作の題は『血ノ言葉』といいます。英題は『UR-SPEAK』です。
実は、この”UR-SPEAK”という英題が、今回の作品には先にありました。動きやイメージから出てきた最初の言葉です。
奇妙と思うのだけど、これが、稽古中に起きた経験や考えの堆積とともに変化して、母語の題名「血ノ言葉」というのが出てきました。だから、翻訳というより変化です。この”UR-SPEAK”というのは、英題というより原題というべきかもしれません。
UR、というのは、いくつかの意味が重なってあります。例えばそれはurban(都市の街の)ということですし、例えばそれはyour(アナタノ)の略語であり、例えばそれは接頭辞としてのUr つまり根源とか原型とか元々の、ということでもあります。
街の言葉、アナタの言葉、根源の言葉、、、。
そういった、聞こえているようで聞こえない、確かにあるはずの、スピーク。発話衝動。そういうものを、そういうことを、踊りの通奏低音としたい。
この情勢と状況の中で先の見えない稽古を重ねながら、いつしか、そう思うようになりました。
(この英題は、もちろん、オーウェルのNewSpeakとも関係しています。)
それを日本語で言うならば、血、ということがどうしても出てくるのではないか。と思うようになったのは、稽古中の経験を反芻していた時でした。
血は、僕ら生きるもの皆が宿しているものです。個は血によって祖先と繋がっていて、血によって子孫に何かしらを遺伝し未来に影響を与えます。
血には、過去から現在の悲喜劇が無限大に溶け込んでいて言葉を産み、それは、非常に強く未来の形成力になってゆくのではないか、と僕は考えます。
血は、自分自身の中にあるのに何か個人を超えてしまうようなものではないか、とも、、、。
本作の稽古の初期、まだ題名も何もない頃に、踊っている途中で血液から発される何かを聴いているのではないかという内的体験を何度か持ちました。それは単にカラダという存在に向きあっている経験とは異なり、より個的でありながら一般的でもあるような、そして極めて物質的な音響が魂的な広がりと重なってゆくような音楽的体験だったとも言えます。
それで、そのとき聴こえていたものを「血の言葉」と呼ぶことにしました。
それは体音でありながら魂音でもあるのではないか、と思いました。そして「血の言葉」を聴くというのは、時の流れに耳を澄ましてゆくことでもあり、未来にとって少なからず重大なことなのではないか、という考えを僕は抱くようになりました。
同時に、この内的体験が、いま作りつつある作品の通奏低音であるUR-SPEAKという呼び名と重なることで、その重なりとズレによって、新しい試行錯誤を生み出してゆくバネになるのではないかとも思えてきました。
それで、先述の音響体験に充てた呼び名を母国語の題名にも充て、『血ノ言葉』と決めたのでした。
本番まで、あと1ヶ月半。コロナ禍、オリンピック、世相の揺れはもちろん、芸での生活基盤も危うい中での作業。キツいけれど、意義を感じる未経験作業でもあります。どのようなプロセスを重ねることができるか。とことん迷い、現場に挑みたく思っています。
NEWS!
2021年7月17〜18上演
櫻井郁也ダンスソロ 『血ノ言葉』 公演webサイトOpen
Sakurai Ikuya Dance solo "Ur-Speak"
※予約受付開始しました。コロナ対策もあり、席数を非常に少なくした公演になります。お早めのご予約をお願いします。
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