あの日から5年たった。
あの時間を告げる黙祷の鐘が聞こえた。
あの日を境に、敏感になってしまったことが多い。
痛みとともに、眼にも耳にも嗅覚にも感じられない何か、放射能は当然ながら、それだけではない、何かとても抗いきれない怖れが、そこはかとなく轟き続けている。
答えの出ない答えを、無性にまさぐっている。
生きることに対して、生かされていることに対して、なのか。
人が人である以上、担がざるを得ない十字架、なのか。
いくつかの踊りを踊り重ねながら、存在の根っこにある何かを、じっと見つめてしまう、また、それに、じっと見つめられている感覚もある。身じろぎさえ出来ない硬直に襲われつつも、何とかして溶け出したいマグマのような熱が内側に震えていることも、感覚されてならない。どうして良いか、わからないままに、何かを生まねば、産まねば、と、からだの奥で疼くものがある。そして、踊りという何かに寄り添っていたい、という恋愛のような感覚に、いたたまれなくなってゆく。踊っても踊っても衝動が消えない。
震災後に東京で踊った『3.11サイレント』、翌年に欧州で発表した『方舟』という踊りがあり、この4月に発表する『ホーリーバード』は、その連なりとして出てきた感がある。それらは、あの日の心象がもろに反映した作品だったが、今回の新作は、より広く拡がっている荒涼に根ざしているかもしれない。震災がきっかけになって、深い怒りや哀しみや戸惑いや、あらゆる情が露わになってきたのか。現実と絡みながら過ごしているカラダの奥深くにある怒りや痛みが声を出し始めている。何かこのままでは済まされない、もがきでもある。翼への渇仰かもしれない。
癒えぬもの、断腸、いまだ言葉にならぬ混沌、それは震災のみならず僕らの状況すべてに網を広げているのかもしれない。
言葉が生まれる前に踊りは生まれる。わからぬままに、何かわからない熱そのものとして踊る。ただ踊り踊る踊り。それが今回、からだの底で始まり始めている。
いまここに生きながらそこはかとなく湧きあがる、規定され得ない何か。意味以前の何か。
そんな何かに、正直に、丁寧に、耳を澄ましたい。
決めこまず、記憶によらず、予測せず、起こるがママに、肌を神経を澄ますことから、立ち、揺すられるがままに、との思いがある。
始まる「場」を、共にしていただければ幸い。
何が、散るか。
何が、降りるか。
僕にはわからない、わかってはならない。
その日、その時、その場所で、初めて何かが始まってゆくためには、、、。
_________________________________________________________
【これからの公演】
Next Performance
あの時間を告げる黙祷の鐘が聞こえた。
あの日を境に、敏感になってしまったことが多い。
痛みとともに、眼にも耳にも嗅覚にも感じられない何か、放射能は当然ながら、それだけではない、何かとても抗いきれない怖れが、そこはかとなく轟き続けている。
答えの出ない答えを、無性にまさぐっている。
生きることに対して、生かされていることに対して、なのか。
人が人である以上、担がざるを得ない十字架、なのか。
いくつかの踊りを踊り重ねながら、存在の根っこにある何かを、じっと見つめてしまう、また、それに、じっと見つめられている感覚もある。身じろぎさえ出来ない硬直に襲われつつも、何とかして溶け出したいマグマのような熱が内側に震えていることも、感覚されてならない。どうして良いか、わからないままに、何かを生まねば、産まねば、と、からだの奥で疼くものがある。そして、踊りという何かに寄り添っていたい、という恋愛のような感覚に、いたたまれなくなってゆく。踊っても踊っても衝動が消えない。
震災後に東京で踊った『3.11サイレント』、翌年に欧州で発表した『方舟』という踊りがあり、この4月に発表する『ホーリーバード』は、その連なりとして出てきた感がある。それらは、あの日の心象がもろに反映した作品だったが、今回の新作は、より広く拡がっている荒涼に根ざしているかもしれない。震災がきっかけになって、深い怒りや哀しみや戸惑いや、あらゆる情が露わになってきたのか。現実と絡みながら過ごしているカラダの奥深くにある怒りや痛みが声を出し始めている。何かこのままでは済まされない、もがきでもある。翼への渇仰かもしれない。
癒えぬもの、断腸、いまだ言葉にならぬ混沌、それは震災のみならず僕らの状況すべてに網を広げているのかもしれない。
言葉が生まれる前に踊りは生まれる。わからぬままに、何かわからない熱そのものとして踊る。ただ踊り踊る踊り。それが今回、からだの底で始まり始めている。
いまここに生きながらそこはかとなく湧きあがる、規定され得ない何か。意味以前の何か。
そんな何かに、正直に、丁寧に、耳を澄ましたい。
決めこまず、記憶によらず、予測せず、起こるがママに、肌を神経を澄ますことから、立ち、揺すられるがままに、との思いがある。
始まる「場」を、共にしていただければ幸い。
何が、散るか。
何が、降りるか。
僕にはわからない、わかってはならない。
その日、その時、その場所で、初めて何かが始まってゆくためには、、、。
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