櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

フィールドメディテーション

2014-04-11 | ダンスノート(からだ、くらし)
家でもない、仕事場でもない、
まあ、中間地点と言うか。
そんな場所が、
何か発想やら思索やら思いやらといったものを広げてくれることは、
多い。

周りにある色んなことから、いったん離れていさせてくれる場所、
ひとりになれて、それでいて開かれてゆくような、場所。
そんな場所。

温泉とか富士山のきれいなところとか、でなくとも、
僕の場合は安上がりでして、夜の公園とか空き地とか、あるいは人の通りが少ない一本道の路上とか、
なんでかしら、ふつうは通過点のような場所が多い。

「あわい」とうのかしら。
どこにでも行ける、どこからでも来れる、
ココとアソコの境目のような地点に、ふと立ち止まり腰を下ろして、
小一時間ときにもう少しばかり、ぼんやりとしている。

誰かと話すことなく、明日の都合を考えるわけでもなく、
何か食べたりもしないし、もちろんネットもつながない、本も読まない、音楽も、きかない。

ただ、聴こえてくるものを聴き、見えてくるものをボッと見ている、それだけ、
なのだけれど、

そんな「空白の時間と空白の場所」、

というのが、どうも欠かせない。のは、不思議である。

忙しくとも、地方に行っていても、外国にあっても、
なんだか、そんな場所と時間を、気がつけば確保している、本能のように。

メディテーションなるコトバがあるが僕はそういうのがどうも苦手で、ヨガを学んでいたときも大の苦手が死体のアサナなる、あの単に寝転がって心穏やかにというやつであったし、心機一転との思いで寺に座禅しても、パシリと肩叩かれるまでもなく、すまして鎮座する己の姿にプフィィと笑いがこらえられなくなる性分。

たぶんそのかわりなのだろうか。

帰路の途中、仕事場への途中、本番と本番の途中、なにかとなにかの、とにかく途中道すがら。

中途半端な境目の時間に、
中途半端な空き地をさがして、
単に無為に
ぼんやり、する。

そこで大抵なにかふと湧きなにか困り事もなぜか受け入れてしまえる心地が湧く。
のである。

花の季節だが、花でなくとも目の前にあるものなぜか風情と感じていられたり、ブンと走る車の音さえ風の梵と区別なく耳を浄めてくれるのがこれまた不思議。

そんな時間をきょうも過ごしてただ今がある。

さて、まだこれから
夜は深まる。
何か
しようか、
それとも夢に
迷い込んで
ゆこうか。

(話題というまでもない記事、思いつくままにて、失礼・・・)
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