永久に音にならないほど低い重低音が、その絵の内部に、どよめいている、、、。
グリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画のことだ。
9月末に「白鳥」を踊ったあとなぜか、この絵を初めて目の当たりにした時の体験を思い出した。
そのまま、今に至る。
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京都でのポストパフォーマンストーク(11/4)でも、グリューネヴァルトの名がちらりと出た。
かつて、藤井健仁が僕の舞台のために彫刻化してくれたという話題だった。
当日上演したばかりのダンスに直接結びつけることは出来なかったから、その場で深く話すことはなかった。
しかし、なんとなく気になって東京に帰ってきてから古い写真を取り出して眺めている。
グリューネヴァルトといえばユイスマンスの小説『彼方』の冒頭で書かれる磔刑図のことを思い出す方が多いかもしれない。
「あらゆるキリストのなかでもっとも人間的なキリストだ」と書かれたそれは、
カールスルーエ美術館の《タウバービショフスハイム祭壇画》のことかと思う。
ユイスマンスはエッセイ『三つの教会と三人のプリミティフ画家』において
「カールスルーエより、おそろしさは少ない。だが、人間的にはもっと卑しめられ、もっと死んでいる」と書いたものがある。
それが同じグリューネヴァルト磔刑図でも、この《イーゼンハイム祭壇画》である。
僕が旅先で観たのはコルマールのウンターリンデン美術館でだった。
美術館と言っても、ほとんどこの絵のためにあるような場所で、町の古い教会をそのまま使用している。
祭壇画は何枚かの構成になっているが、最初に目に入ってくるのが表中央の巨大な「磔刑図」だ。
それは傷つき絶命寸前のキリストが悪趣味なくらい緻密に描写されており、青黒い色彩がまた特別な生々しさを感じさせる。
対してそのワキの人物は奇妙に静物的で感情も時間も停止しているようにさえ見える。
奇妙なバランス感覚だと思う。
観る人間の内臓に食い込むような異様な絵で、描くことの狂おしさ、というか、
画家に宿るのであろう鬼力が画面をはみ出して眼に刺さる。
そのうえ非常に大きい。
永久に音にならないほど低い重低音が、その絵の内部に、どよめいている。そう感じた。
恐ろしさと美しさの渾然一体に圧倒されて足がもつれた。
この絵から、僕は何かしら価値観が変わった気がしている。
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