巨大台風のせいで都内はニュースなどでご存知の状況。レッスンもリハーサルも全て休みとなり、家から一歩も出れない。雨風ききつつ、えらく古い漫画を読んだ。
永井豪の「デビルマン」。(上は最終巻表紙)
子どものころ流行っていたが、まともに読まぬままだった。いまふと読み、古さを感じなかった。私たちの現在に重なる状況が散りばめられている、とも感じた。読みながら、予言かと思った。
悪魔と人間の出会いが格闘となり全面戦争となり、やがて戦争から生み出される不安が人間の心を疑心暗鬼に陥れて、人間と人間が限りない暴力の連鎖を生み出して自滅してゆく。
私たちの日常に溶け込んでさえいる非対称の戦争状態を思わせられて、ぞっとした。
敵がハッキリとしない、それゆえに収束するところも曖昧な、いま現在あちこちで進行しつつある新しい戦争。対テロ戦争というような言葉が示す日常的な戦争。いや、戦争状態の日常化だ。
テロリズムや日常に潜伏する凶悪犯罪が絶え間ない緊張と危機感の連続を生み出して長い。国家と国家の戦争というビジョンはぼやけて、力の対立が単純に捉えがたい。より複雑かつ細かくなった。イデオロギーの輪郭が拡散してぼやける一方だが、集団エゴはむしろむき出しとなって競争を加速し、暴力性をともなってゆく。
戦争は日常にも侵入して、いじめ、ブラック、忖度、空気、などなどといったものに姿を変えた。
関係性が生み出す圧力は、集団意思への共感を煽りつつ、生活に緊張を生み出して個を萎縮させ、社会全体に緊張状態を蔓延させる。
いつしか戦争と平和の境目が無くなった。
慢性的な戦争前夜、とでも言いたくなるような社会状態に陥っている。僕には、そう感じられる。
原発事故による放射能問題が解決しないまま通奏低音を奏でつづけている。未来の彼方まで解決しないことを、すでに私たちは知らされている。存在にかかわる問題でもある。
慢性的な不安と、潜在的な反感に囲まれている。
反感の蔓延する世界では、同時に自分も誰かにとっての潜在的な敵になりかねない。いつしか社会は互いの監視体制を拡大し、監視者自身が監視されているような、広大な檻を構築してしまっている。その中に居る。
いま僕らは、まるで中世のペスト禍のような、神経質な、疫病のなかに呑み込まれているのではないか。妄想なら良いが、、、。
そんなふうに思うイマ現在を、昭和に描かれた悪魔と官能と活劇の漫画は、強烈に予感させ輪郭づけていたと思った。全4巻いっきに読めるが、かなりの密度だった。
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公演情報
SAKURAI IKUYA DANCE SOLO 2019 :9th-10th Nov.
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