一瞬の、めまいのなかで、、、
全身がばらばらに解体される。
ダンスによって、そんな感覚に落ちることがある。
はげしく集中しているときだ。
ゆるい身体の状態で特別な体験や想像力の飛躍が起こったことは、ない。
哲学の人は純粋経験とかいうのだろうか。
意味がわかる直前の一瞬の、めまいのなかで、落ちる、ということがあるのだと思う。
それは自分の中身の一部が壊れる瞬間なのかもしれない。
同時に、何かを生むチカラにも関係があるのかもしれない。
なにかが壊れるチカラ、なにかを生もうとするチカラ。
そういうチカラの相乗作用が、解体されるような感覚を呼ぶのかもしれない。
踊る体、というのは、自分というものを破って、外部にかぎりなく近づこうとするのかもしれない。
ばらばらに解体されそうな、としか僕には言い表し方がみつからないのだが、ある種の状態のなかで、
「踊り」というものが、身体を、その持ち主とは異なる何かにコネクトしようとするのだろうか。
あるものがなくなり、ないものが、あらわれる。
そのような、自然界の物理が、神経や血液や骨にあらためて感覚されるのかもしれない。
踊りには自己表現の要素もあるけれど、
ナニカとひとつになってゆく、結びついてゆこうとする、
ということのほうが踊りならではの出来事なのではないか。
と最近は思う。どうだろうか、、、。
(稽古日誌、10/25より:櫻井郁也)
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