聴く、ということについてあれこれと思いめぐらせることが多い。
聴くこととオドルことには分ちがたく深い関係がある。
聴くことも、踊ることも、ともに自他をひとつに結びつけようとするチカラが働くことだ。
聴くことを通じて私は他者を引き受け、身を委ねる。
聴くことを通じて私は解体され、組み替えられてゆく。
踊る姿は聴く姿でもある。
聴く。音や言葉を通じて、何者かを、何か別の世界を、体内に受け容れる。
聴くことによって、イメージの受胎がはじまる。
この秋の新作に関わりが深いのは、沈黙への傾聴である。
いま聴くべきものは、聴こえない声なのではないか、聴こえない音なのではないか、
という思いが、いつしかふくらんでいる。
聴こえない、声、音、それは、、、
街にでると、けたたましい音が耳を障る反面、人の話し声はあまり聴こえてこない。
気がつけば、話さない時間が、どこまでも増えつづけている。
僕らは、かつてなかったほど無口になって暮しているのではないかと思う。
なぜ黙る。
そう思いつつも、黙ることによってしか語り得ないことばが、あるのでは、
とも思う。
黙らざるを得ないところに追い込まれ、
断たれ、そして絶たれた言葉も、、、。
あふれる騒音のなかで、しだいに沈黙が拡大している。
ひろがりゆく沈黙に、声にできない声が、言葉を超える言葉が、無音の轟きをたてているのではないか、という気が、してならない。
世界を浸してゆく沈黙の底から、
どどどど、と、
押し寄せてくる何かがある気がしてならない。
(写真=前回公演、文=稽古日誌10/18より)
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秋の本公演 Next performance
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