わたしと向き合う

2020年初頭、自分本位に生きる事の虚しさに気づき心機一転。

生きる事は楽しいですか?それとも苦しいですか?

2019-11-04 23:14:14 | 日記
こんばんは。
今夜はブログ登録と同時に何件も記事を書いているよ。

生きる事は楽しいですか?
それとも、苦しいですか?

僕はね、正直生きる事が苦しい。とはいえ、意外と楽しい事もある。
いやいや、しかし生きる事は苦しい。例えて言うと、苦の地面に立っていて、
歩くたびに生きる気力が吸い込まれていくのに、それでも生きる事を課されているような、そんな具合に。
昔は、生きる事が苦しいのは、自分の努力が足りないからだ、と自分を否定していた。
その当時一緒にいた友人は盛んに、自分達と異なる世代の批判をしていたような記憶がある。老人を老害と言い、自分より若干若い特定の世代をゆとりと言っていた。要するに、自分が苦労しているのはそいつらのせいというわけだ。
ま、それが真実かどうかはさておき、他人のせいにしていられるうちは良いさ。

表面的には、社会が国が、老人が、後輩が、自分の経済状況が、家族が・・・そんな事柄が自身の苦しみに対する理由として浮かんでくるかもしれない。
けれども、それは本質的な苦の原因ではないと思う。なんというか、自分が気づいた事は、苦が人生の根底にあって、普段その事を直視する事が難しいけれど、なんらかの外的な要因によって、その根底にある苦が顔を表していると言う事だ。だから、そういった出来事をきっかけになった出来事を苦の原因と取り違えているに過ぎないのだと思う。

苦というのは常に自分の生の根底に流れていて、自分はその上にもがいている。
楽になりたい。けれど、自分には死ぬ気力はないだろうし、かといってそういった苦から目をそらすしてくれるようなファンタスティックに依存できるエンターテイメントはないように思う。

生きる事は苦しい。生きていたからといって自分には何もできる事がない。
ただただ、その日をやり過ごす事しかできない。
それでも、生きていかなければいけない。
自分の思いや願望とは無関係にひたすら生きていかなければいけない。
人生とはままならない。



仕事のこと

2019-11-04 22:35:26 | 日記
なんというか、自分には出世欲がない(完)。

という冗談はさておき、大分前から自分の今の職種における将来を悲観している。
自分はこの分野のスペシャリストにはなる事は難しそうだと思っている。
それならば、プレイヤーではなく、マネージャーになるのはどうかと考えると、それはスペシャリストになる事以上に自分の適正から外れている。と言う事で、今後も自分が今の職種でやっていこうとした場合、収入の事はあまり考えない方が良く(考えれば考えるほどため息が止まらない)、また綺麗で都合の良い仕事を期待しない事、と諦めている。技術的には幼稚な、でも非常に泥臭く有能な人間なら手を出したくないようなかったるい仕事なら、まぁかろうじてまだやっていけるだろうとは思う。仕事を選ぶ余地はなさそうだ。

コンテンツとして消費される、SNS上の発言。

2019-11-04 22:05:45 | 日記
自分は多分10年近くはtwitterをやっているけれど、最近は以前ほどの頻度では呟いていない。何度か他のユーザーとトラブルがあってつぶやく事自体に慎重になった結果、段々とtwitterから遠のいていったのである。
SNSを利用するに際しては、触れられたくない事はそっとしておく。もしくは自分がそういったデリケートな話題を投稿する場合は、無神経に突っついてこられる事を覚悟する事も両方とも常に考慮する必要がある。

さて、ここからが本題。
自分自身のSNSの利用の仕方の変化に伴って、個々のSNSの発言がコンテンツとして消費されているように感じるようになった。
なんというか、相手の発言そのものをコンテンツとして消費しているという風に感じている。フォロワーの人には片っ端からいいねやリツイートをしている人が多々いて、そういった人のタイムラインを見て面白いコンテンツに出会うと言う事は良い面だと思うのだけど、そもそもいいねやリツイートしたり、あることについて呟いている時、果たして何に意識が向いているのだろう?
自分もなんとなくやっていたけど、いいねやリツイートでの拡散にはなんの意味があるのだろう?
音楽を聴く、映画を見る、ゲームをやる、食事をする・・・
そういった物事が全てSNSで投稿するためのネタとして消費されているように感じる。

自分が何を言いたいのか、自分が何にモヤモヤしているのかうまく頭の中でイメージが明確になっていないので言葉にすることが難しい。現時点で分かっている事は、SNSの何かに違和感を感じていて、その違和感ゆえにSNSをあまり利用しなくなったという事くらい。