わたしと向き合う

2020年初頭、自分本位に生きる事の虚しさに気づき心機一転。

何事にもありがとう、と言ってみる生活を続けて一ヶ月。

2020-02-29 23:34:44 | 日記
2月になってから意識して、ありがとうを言うようにしている。
人に対しては、以前からありがとうを言うようにしていたけれど、今回は人以外の物に対してもありがとう、と言うようにしてみた。
例えば、乗っていた電車に「今日も遠くまで運んでくれてありがとう」みたいな感じ。

で、しばらく続けてどうかって?

自分が普段使っている物に対するありがたみのようなものを実感するようになった。
あとは、対象に対して意識的に触れるようになった、ように思う。形容すると、相手の顔を全く見ずに相手と話していた状態から、相手の目を見て話すようになったという感じ。

で、それだけでなく、続けていると色々なネガティブな反応も起きるようになってきた。

一つ目には、単純にめんどくさくなってきた事。一ヶ月も続けていると、最初の決意が薄れてくるね。ここはひとまず、そうなりかけてはいるけれど、ひとまずもう少し頑張って継続していこうと思う。

二つ目は、ありがとうと言う事自体に苦しさのような物を感じてしまう事。さて、これがどういう事なのか。それをこれから自分の内面を見つめて確かめていきたいと思っているよ。

目まぐるしく変化する内面

2020-02-29 20:44:27 | 日記
なんだかここ数日とても疲れている。1日の間に目まぐるしく、自分の心の中が変化していて、その振れ幅に疲れている。

色々な事に対して感謝の気持ちが湧いてきて、楽しい気持ちでいたかと思えば、表に出さないまでも、些細な出来事に必要以上に感情的になって、その気持ちがしばらく続いて憂鬱な気分になったり、物事を悲観的に考えてしまうような状態に陥ったりもする。かと思えば、唐突に馬鹿馬鹿しい事をやってみたい気分になったり。

そのような変化を苦しく感じているのだけど、その原因は理想とかけ離れた現実の自分自身の姿を拒絶しているからなのだと思う。自分の内面を見る取り組みを続けていると、自分に対するジャッジに対しては無防備になっている事が多々ある。
基本的な自分の考えや行動を自覚できるようになったら、物事をジャッジしている部分をしっかり見ていく事が必要だなと思う。

さておき

気分がコロコロ変わったっていいんだよ。
だから、その事に恥ずかしさを感じる必要もないんだよ。
大丈夫大丈夫。

自分の弱さにくじけそうなあなたに

2020-02-27 22:21:51 | 日記
今日お昼休憩の時に、散歩がてら公園でぼーっと休憩したらメッセージのようなものがパッと頭に浮かんできた。

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自分の弱さや、情けなさを直視させられるような出来事が、あなたの身の回りに起こっている時があると思います。そのことによって、生きる事や人と触れ合う事に恐怖を感じてしまうかもしれません。そして、なるべくなら、そんな(弱い)自分を拒絶したい、とさえ思っている事でしょう。

でも、大丈夫。

今、そのような体験をしているのは、あなた自身が拒絶していた、自身のマイナスに見える側面を暖かく受け止めて、成長するための大きな機会なのです。
弱い自分を少しでも成長させて、立派になろうと思って行動する事は素晴らしいです。でも、それだけでなく、今のどうしようもなく見えてしまう自分自身を暖かく受け入れてみてください。

人に情けない姿を見せたくない、という思いの真実。

2020-02-26 22:29:48 | 日記
「人に情けない姿を見せたくない」と思う事がある。
これって、一見して他人の目を気にしているように見えるけど、
実際はそうではなくて、「自分の情けない姿を、自分が見たくない」
という事なのだ。

その事に気づいたなら、「自分の情けない姿を自分に晒しても良い」「情けない自分も良い」と肯定しまえば良いのだと思う。

それができたら苦労しないよ!

と思う人もいるかもだけど、それは単に自分を肯定していく取り組みに対するしつこさが足りないのです(笑)。スイッチ入れたらパッと切り替わる、みたいな事はないでので、地道にしつこく自我がうんざりしても続けるくらい気長にやっていこうね。
スピリチュアル関連のヒーリングとかセッション受けて、多少変化はあったとしても、
何よりも自分でしつこく取り組んでいく事が大事。


寄り添う、とは

2020-02-25 22:18:46 | 日記
今日は寄り添うという事について学んだので、
その事について自分なりに表現してみようと思う。

あれこれと世話を焼く事ではなく、相手の事を見守る事。
その際、自分自身の心を落ち着けて相手と接する事。
自分が焦りや不安でパニックに陥っていると、相手にもその不安が伝わってしまう。