my life still goes on 2024

コツコツと60代を突き進んでおります

追悼 JEFF BECK

2023-01-12 23:14:18 | あの日、あの時、あの場所で (LIVE編)

朝っぱらからの訃報でした。
ワタシはいわゆるギター小僧とは違っていたので、
ギタリストを崇拝したり、尊敬したりってのはなかったのです。
バンドでも、自分が歌っていたこともあって(^^;)
コピー演奏をする曲でもほとんど歌モノをやっていましたから、
Jeff Beckの曲をコピーしたりということがなかったのです。

だから自ずと曲もあまり聞いていない。
唯一といっていいのが高校生時分にリリースされた「Wired」。
これは今でも持っていますね。

そしてバンドのほうでは1987年。
所属していたサークルのライブで、
この時限りのメンバー構成で挑んだインストバンド。
その時にJeff Beckのコピーをしていました。

Jeff Beckの奏法って独特なんですよね。
ですので、コピーと言えるほど演奏が伴っていない(^^;)

でも、やはり追悼として今回記事にしておきます。
78歳。そういえばワタシの永遠のアイドル、
Rod Stewartだって78歳なんですからね。
早過ぎる、とは思いませんが、
自分の青春時代から活躍していた方々の訃報は悲しいですね。
安らかにお眠りください。合掌。

TROUBLE MAKER -LED BOOTS-


かもめ / あどばる~ん

2022-09-02 23:07:07 | あの日、あの時、あの場所で (LIVE編)

ちょうど38年前の今日ですね。

高校時代の部活の仲間で作った音楽サークルでは
何度か井の頭公園の野外ステージで無料ライブしていました。
ま、通りすがりの人が足を止めて見入るなんてことは
ほとんどなかったと思いますが(^^;)

で、この年は女の子とデュオで出演。
歌の上手な子だったので
ワタシがやりたかった曲やらハモりやらを
一緒に演ってもらった感じです。

当時よく聴いていた白鳥座の曲が
二人で歌うのにもちょうどよく、
何曲もコピーしました。
そして、金井夕子さんの「ジャストフィーリング」。
これは尾崎亜美フリークだったワタシの選曲でした。

当時はホームビデオの映像でも十分見られましたが
今となってはやっぱり粗いですよね。
でも、残っているだけラッキーですな。

かもめ / あどばる~ん


ジャストフィーリング / あどばるーん


HEARTSⅡフライヤー 1985.11.10 渋谷でのライブ用 

2015-11-10 05:55:40 | あの日、あの時、あの場所で (LIVE編)

1985年11月10日。

そうちょうど30年前の今日。

第二回目のソロライブがありました。
このライブのためのバンドを特別に構成し、
5月頃からリハーサルをしていたのです。

とは言っても、バンド名自体はありません。

「HEARTS」と題した
ワタシのソロコンサートプロジェクトですので、
言ってみればワタシのバックバンドなのです。


コンサートのマスター映像に乱れもあり、
デジタル化がなかなか進みませんので、
映像公開ができない状態です(^^;)

当日配布のパンフレット(手作り!)もあるのですが、
とりあえず、チケットを買っていただいた方に
お渡ししていたフライヤー(チラシ)、
これを何十年ぶりかで公開します。

 
何だか、少々恥ずかしい文言が載ってますが(^^;)
写真は、というと…
メインの自分だけアップの写真ではない、
というズルさ。ハハハ。

ちなみに、ワタシの写真は
世田谷の羽根木公園で
友人の佐野に撮影してもらったフォトセッションから。
メンバーの写真はワタシが住んでいたアパートの裏手で、
ハロゲンの照明を使ってワタシが撮ったものです


そして会場も今ではもうなくなってしまった渋谷のヤマハ。
ここの1階奥にライブスペースがありました。
その名も「Doin’」
半年前に、半ば強引に会場の確保をさせていただき、
この日を迎えたのでした。

パンフはカラー写真満載だし、
リハーサル時や当日のドキュメントの
メイキング的なビデオ映像やら、
いろいろと素材は残っているのですが、
いかんせん映像はベータのビデオ(^^;)

35年目頃には、デジタルアーカイヴ化できるのでしょうか?
よしッ、目標2020年完成だ。


パンフレットは引き続き、
近いうちに公開したいと思いマス。

ま、ワタシのことを知らない人には
何のこっちゃだと思いますが(^^;)


TAMA COMPANY  @下北沢スーパーマーケット 1984

2013-04-08 22:34:02 | あの日、あの時、あの場所で (LIVE編)

1984年のことだ。

歳で言うと、23歳になったばかり。

当時、下北沢のレコード店で
アルバイトのような(!)従業員をしていて、
バンドというか、音楽やりながら、
まあ、好き勝手な生活をしていたわけだ。

そのレコード店にアルバイトに来ていた
学生らが、ワタシが卒業した高校の後輩と
友人だったような縁もあって、
彼らと一緒にセッションなどもしつつ、
一緒にライブに出たりしていた。

そして、そのメンバーが
企画したライブがこれ。


主にインレタでデザインし、
色画用紙にコピーしたチケット(もどき)。
実はワタシが作っている(^_^;)

ちなみに「スーパーマーケット」という名の
ライブハウスですので、誤解なきよう…。

手作りですなあ…。
アレ?料金の記述がないけど…
どうだったのかなあ。タダってことないしなあ…。
ま、例によって記憶の彼方ですわ(^_^;)


このライブでは、
ギター×2、
ベース、
ドラムス、
キーボード → ワタシ
という編成であった。

ドラムス以外の4人が2曲ずつ、
オリジナルを持ち寄り、
それぞれの作曲者が歌って
8曲を演奏した。


そう、ワタシはキーボードのクセに、
珍しくギターのリフから作った
2曲のハードロックなオリジナル、
「Midnight Sunshine」
「On the Way」
という2曲を書いたのだった。
(曲名書いたって誰も知らねえよ)

そして、他のメンバーの曲にも
バッキングでピアノやKORGのシンセを
弾いたりしたものだ。
(そりゃキーボードでのメンバーだからトーゼン)

他のライブなどでのソロ活動では、
結構ニューミュージック風な
オリジナル曲を書いていたので、
この時のライブのために書いた、
このハードな2曲のアレンジをしたことで、
これが、その後のバンドアレンジの
基礎になったといえる。

ま、講釈はおいておいて。

ライブの映像もあるのですが、
FIX(据え置き)のカメラだったので、
今回はyou tubeのリンクではなく写真です。


へへへ、
自分でも結構好きな写真なのでした(*^_^*)

歌っている映像は、またいつか。


初めてのソロコンサート『HEARTS』@明大前キッドアイラックホール 1984.2.26

2013-02-26 22:40:39 | あの日、あの時、あの場所で (LIVE編)

2月26日といえば、
古くは「226事件」の日ですねえ。

この226事件の日(昭和11年)は、
未明から雪が降り出したようですが、
この年も朝から降り出した雪が
昼過ぎにはかなり積もっていました。
ま、政治的なクーデターとは
まったく関係ありませんが(^_^;)


そんな日。


1984年のことです。


今となっては、
どういう経緯で企画したのか、
まったく覚えていません。

高校時代に一緒に演っていた
バンドのメンバーと離れて、
手作りのコンサート、
しかも、
きちんとスタッフの担当を決めて、
映像なども試験的に使ってみる、
そんなコンサートを
やってみたくなったのです。

今思えば、
拙いこともたくさんあったし、
アクシデントもありましたし、
何より自分の歌だけで、
2時間以上の構成にも
無理がありました。


それでも前年の10月頃から、
いろいろと考えて、
当日を迎えたわけですな。



コンサートタイトルは
「HEARTS」
何故このタイトルにしたのか、
今でははっきりしませんが、
単純に「“こころ”のつながり」的な
イメージでいたのかもしれません。

そんなステージでのひとコマ。


そして、スライド映像を使ったり。


このスライド映像の撮影にも
前年末に写真担当の友人Sと
海まで撮影ドライブに行ったりしました。


この時の映像は、
まだデジタル化できていないので、
また来年の同じ頃に
公開できればと思いますが…。



この1984年は、
自分にとっても
いろいろなことがあった一年で、
思い出深い年でしたね。

20代。
挑戦の一年でした。


THE CLUB BAND 1992.2.23 @ 藤沢市民会館

2013-02-23 22:19:19 | あの日、あの時、あの場所で (LIVE編)

さて、ひさしぶりに
過去のライブです。


21年前ですなあ。

ある仕事先のメンバーで、
 「バンドをやろう!」
と思い立ったのがこの1年半前、
89年の夏のことでした。

それから私が名古屋へ
転勤になったりしていましたが、
このバンドだけは継続していました。

そして、
前年にまたまた転勤で、
関東地区に引っ越してきたので、
こんなライブにも参加できたのです。


映像はこちら…(^_^)v

THE CLUB BAND / The Great Pretender

ちなみに
ちゃんとボーカリストがいて、
(キーボードを弾いている)
この曲だけ私が
ボーカルをつとめたものでした。

(L to R Guitar:OSAMU, Drums:SANAE, Vocal:TOSHIYUKI, Bass:DAIKI, Guitar:YOSHIYUKI)


さらに言えば、
たぶん私の人生の中で、
一番太っている時期でも
あったのです(^_^;)
特にアゴまわり…ネ

しかし…
実は英語の歌詞、
ところどころテキトーになってますのう…
へへへ、ご愛嬌。


私としては、この一週間後、
風疹にかかって寝込んだことが
想い出に残っているのでした…(^_^;)


1978.1.6 NEW YEAR NEW WAVE CONCERT at 玉川区民会館

2013-01-06 23:35:32 | あの日、あの時、あの場所で (LIVE編)

35年前。

1978年の今日。
初めて、友人たちとの
自主コンサートを開催した。

高校二年のお正月だ。

いずれも高校生バンド、
3バンドとの共演。

トリのバンドとして、
会場を盛り上げ…た…かなあ(^_^;)

ヴィジュアル系などという言葉もない時代だが、
衣装などにも気を使うこともなく、
みな、ジーンズにシャツ、
セーター着ているヤツもいたっけ。


へへ、ワタシ(ボーカルだぜ!)
は、
ちょっとヒラヒラふうのシャツ(ブラウス?)
なんて着ちゃってますが、
ジーンズはボロの普段着ですわ。


さて、セットリストですが、
だいたいアメリカンロックのコピーをしていて、
結構マイナーなアーティストも
チョイスしていましたな。

<SET LIST>
SOUTHSIDE SHUFFLE / J.GEILS BAND
SOUTHBOUND / ALLMAN BROS. BAND
EACH MORNING / LES DUDEK
YOU MAKE LOVING FUN / FLEETWOOD MAC
DESPERADO / EAGLES
OLD JUDGE JONES / LES DUDEK
SWEET HOME ALABAMA / LYNYRD SKYNARD
FREE BIRD / LYNYRD SKYNARD

-ENCORE-
CHINA GROVE / DOOBIE BROTHERS


セットリストのほとんどが
ウエストコーストやサザンロックという、
当時のメンバーの嗜好が表れていますが、
よく言えばバラエティに富み、
悪く言えば一貫性のない…いや、そんなこともないか。

いずれにしても、
ヒット曲のコピーばかりじゃないところが、
シブいところですな(^_^)v



このコンサートのあと、
ワタシは高校の部活(フォークソング)に集中しようと、
いったんバンドを離れる気持ちでしたが、
バンドがオリジナル志向になったこともあり、
2、3ケ月で復帰しちまいました(^_^;)…情けねえな。

ま、そこには、
このコンサートに来てくれた、
小学校時代からの友達、
A子さんがくれた感想と、
 「やめちゃうのぉ?
  えーッ、もったいないよぉ」
って言葉がビミョーに影響していたのは
言うまでもありません。エへへ。

そして春に高校三年生。
怒涛のライブ生活が
待っているのでした。


あどばる~ん 女の子とのデュオ(*^_^*) 1984.11.18@渋谷・屋根裏

2012-11-22 23:32:15 | あの日、あの時、あの場所で (LIVE編)

1984年のことです。

この年は、
ワタシにとって、
ある意味で
エポックメイキングな年でした。

レコード店の
アルバイト的な従業員から、
コンピュータソフト会社への
転職をした年なのです。

23歳。

いろいろなことに
挑戦していたエネルギッシュな一年。
かつ、モテ期でもありました(^_^;)
つきあった子は何人?
へへへ…ってな感じで。


ま、それとは関係なく、
バンドでの音楽とは別に、
初めて女の子とデュオを組みました。

その名も
 「あどばる~ん」

ホントは、
9月初旬にサークルで開催した
井の頭公園での無料コンサートに
彼女も出演したいものの、
組む相手がいない、ってことから
一緒にやる?と
練習を始めたのがきっかけなだけなのです。

その真夏の時が、コレ↓

ワタシってば、
赤いTシャツ着てまっせ(^_^;)

いやいや、
実は、当日の準備で
着ていたシャツが汗でビショビショになり、
コンビ組んだ彼女に「Tシャツでも買ってきてー」
とお願いしたものなのです。

ま、まさか
真っ赤なTシャツ買ってくるとは(>_<)
とはいえ、
赤いバンダナ巻いていて、
悪くないじゃないですか、ウン。


で、このときのパフォーマンスが
意外に好評で。
何しろ、見知らぬ年配の男性に
 「キミたちの歌、よかったよ」
なんてことまで言われちまいましたから。


あ、
そんなことを言われて、
とっても嬉しかったことが、
のちに、自分も、
「そんなことを“伝えてあげられる人”になろう」
と思うようになった
きっかけでもありますね。



で、
11月に予定されていた
サークルのコンサートにも
二人で引き続き
出演することになったのです。

グループ名“あどばる~ん”は
その時につけたのですけどね。


それが、
1984年11月18日の渋谷・屋根裏。

¥300です(*^_^*)
あの頃はそんなもんでしたね。
アマチュアでお金をとる、ってことより、
多くの友人に来てほしかっただけですから。

それでも、
無料だとやっぱり
 「行かないでいいや」
になりがちですので、
金額設定していただけですな。



さて、
この日は、二人で初めて作った
オリジナルも含め、
8曲演奏です。

・42キロの青春(白鳥座)
・深夜放送(白鳥座)※
・鬼無里村から(白鳥座)※
・コスモス便り(白鳥座)
・気紛れ予報(尾崎亜美)
・タイムアップ(白鳥座)
・君の倖せを祈れない(オフコース)※
・季節が流れても(オリジナル)※

そう、「白鳥座」という、知る人ぞ知る
フォークグループに凝っている頃でした。

さて、記事中に
何か動画を貼り付けようとしましたが、
上記の曲名に※がついているものは
YOU TUBE に動画アップ済みなのです。

じゃあ、と、ブログのために、
オリジナルの「季節が流れても」の
歌詞つきバージョンを
新たにアップロードし直して、
それを貼り付けましたぜ。


それでは、どうぞーッ!
<季節が流れても>
ちなみに作詞はワタクシでございます(^_^;)


しかし、
もうあれから約30年。

“季節が流れても”変わらないものは
自分の中に、
まだあるのでしょうか…?


高三最後の文化祭 1978.11.4

2012-11-04 12:32:15 | あの日、あの時、あの場所で (LIVE編)

この夏。
高校時代のクラブ仲間と
mixiで再会(?)したことで、
少々、高校時代に
思いを馳せることが増えてます。

ですので、
高校三年生の文化祭(1978年)
から
想い出を少々。


ウチの高校では毎年、
近隣のヤンキー(当時はツッパリって言ってたな)
たちが訪れ、
校内で喧嘩騒ぎなど、
問題が発生したこともあって、
学校が発行した招待券を
持っていないと入れなかったのです。

保護者の方々も、です。
担任が印鑑押して、
生徒が自分の名前を記名して
招待者に事前に渡すのです。


それがコレ。


知る人ぞ知るってなモンです。
同級生なら、
 「まだ、こんなの持ってんのかよッ!」
とか、
 「こんなのだったっけ?」
だと思います。

ハハハ、
想い出を溜め込むワタシのクセです。
でも、スキャンしてデジタル化しちゃったから
もう現物はないかなあ…。


さてさて、
その年の4月に、
同好会からクラブに昇格した、
我らが「フォークソング部」。

4月と6月に、
校内で定例コンサートはありましたが、
やはり活動発表の場のメインは、
秋の文化祭です(^_^)v


ワタシももちろん、
男二人組のグループで出演でした。

題して「冬のはじめのコンサート」から。

左がワタクシ、
右は相棒のY君。

いやー、楽しかったですねえ。
34年前ですぜ。

長いこと生きていると、
どうしても、
 「あの頃が良かった」
と思える日々が絶対あると思いますが、
ワタシにとっては、
この高校の3年間が、
いちばん楽しかった日々です(*^_^*)

大人になってからも、
楽しいことはたくさんありましたが、
一人暮らししたりして、
日々の経済的なことも
考えなきゃいけなくなったり、
仕事の休みを利用しなくちゃいけないなど、
“作り上げた”楽しみでもありましたからね…。

何も考えずに、
毎日音楽聴いたり、ギター弾いたり、
友達とダラダラ過ごしたり、
なんて暮らしができた日々、
それが“楽しかった”理由でも
あるんですけどね。


文化祭に話を戻すと…。

確か、この年。
前年までは教室を縦に使い、
いわゆる教壇側をステージにしていたのを
ステージの間口を広げるためか、
窓側を背に、
教室を横に使いました。

PA機材は例年のように
高井戸東にある、
グヤトーン(社名はグヤ→東京サウンド)
(追記:この記事を書いたあと、2013年2月に倒産(T_T))
にリヤカーで借りに行きました。



この文化祭では、
11月3日にも時間をもらって1ステージ。
体育館では
フォークソング部ではない後輩と1ステージ。
そして、
11月4日のトリ、と
合計3回も歌ったわけです。

とりわけ、
この11月4日の最後のステージは
フォークソング部のみんなの協力もあり、
後輩や同級生が大勢集まってくれて、
すごく盛り上がることができました。


その日のセットリスト(曲目)は…
・のがすなチャンスを (オフコース)
・愛の光 (アリス)
・冬の稲妻(アリス)
・Ventura Highway (America)
・Rainy Day (オリジナル)
・走っておいで恋人よ (アリス)
・もし俺が死んだら (堀内孝雄)
<アンコール>
・遠くで汽笛を聞きながら (アリス)
・君のひとみは10,000ボルト(堀内孝雄)
 ~ジョニーの子守唄(アリス)

という、
基本的にはアリスが中心のものでした。
そう、アリスが全盛期の頃でしたから。
言ってみれば、
難しい曲ではなかったからですけどね。
ま、自分たちの、
テクニック的な実力もそこそこでしたし(^_^;)

ま、
当時、見たり聴いたりしてくれた人には、
音源もないだろうし、写真もないだろうし、
それぞれの心の中で、
良い想い出になってくれていたら、
それでいいのです。

なんせ、
やり直しが効かないんだからサ(^_-)-☆

って、
いかん、いかん、
結局、“実は昔に戻りたい症候群”
になっていました。


1980.9.7 本番前のギター練習? at 経堂ヤマハホール

2011-09-08 00:19:38 | あの日、あの時、あの場所で (LIVE編)

1980年の夏。
もう30年以上前ですな。



小田急線経堂駅前にある、
ヤマハの小ホールで、
サークルのコンサートがありました。


そのコンサート出番待ちのひとコマ。


めずらしく、
エレキギターを持っての出演でしたので、
出番前に通路に座り込んでの練習中です。



しかも、この夏、
初めてパーマをかけてマス(^_^;)



そういえば、
クリストファー・クロスなんか演った記憶が…。





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1983.4 コンサートの打ち上げで…

2011-07-25 00:00:22 | あの日、あの時、あの場所で (LIVE編)

1983年4月3日。
22歳の頃だ。

小田急線の成城学園前駅近くの
世田谷区立砧区民会館
(今では“成城ホール”などという
 ネーミングもされているようだ)

そこで、
高校時代に立ち上げた音楽サークル、
「Simple Folk Company」の
10回目の記念コンサートを開催した。

その内容は…、
広い会場を確保したにも関わらず、
動員は惨憺たるもので、
結局、それからは、
大きな会場を借りることもなくなった、
とんでもない記念コンサートだったのだが。

出演した仲間たちは、
楽しかったようだ。
もちろん、
自分も演奏そのものは楽しかったが、
サークルの責任者として、
コンサートが決して成功とは言えなかったので、
複雑な思いでいたことも確かだ。


それでも、
下北沢の居酒屋での打ち上げは、
なかなかの盛り上がりをみせた。
複雑な思いはどこへやら…、


そんなときに、
自分が持ち込んだポラロイドカメラで、
誰かがワタシを撮った。

カッコつけてるワケではないぞ。
知らないうちに、だぞ。



今では、
もう着ることもないだろうGジャンと、
コンサートスタッフの缶バッチが
懐かしくて、懐かしくて(^_^;)
くわえ煙草の顔、好きじゃないんスけどねえ。

“懐かしき写真”の
仲間入りさせてもらいました。

スミマセーン、
あまり面白くないッスねえ(^_^;)





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1979.1.6 渋谷ヤマハ・バンド合戦決戦大会

2009-01-06 03:36:39 | あの日、あの時、あの場所で (LIVE編)

もう、30年前のことだ(*^_^*)

1979年1月6日。
渋谷の
東京都児童会館ホール。
(後日追記:2012年3月限りで閉館)

日本楽器(ヤマハ:現在は企業名もヤマハ)渋谷店主催の
SAMYU(サミュ)バンド合戦」の決戦大会が開催された。

前年の春から秋にかけて、何回かの予選が行われ、
俺らのバンド“デスペラード”(“俺のバンド”ではなーい)
は9月(だったと思う)の予選を通過。


                                       <予選 1978.9>

“人生でいちばん音楽漬けだった”高校3年生の俺らは、
気合たっぷりで臨んだものだ。






ボーカル(!)の俺は、楽しくカッコ良くが一番だった。

結果、優秀賞(3位以内)をいただいた。


賞状は手書きだし、バンド名も間違ってるのはご愛嬌(^_^;)



優勝は本命(?)とされていたインストの“マグロ丸”。

そういえば“武蔵マンボセッション”っちゅうバンドもいたな、

これもインストバンドだったような…。



審査員は、鳴瀬喜博とジョニー吉長だったと思う。
(当時は存じ上げませんでした。すみませーん)




さて、さて、そういえば。

ゲストにデビュー直後の
ARB(ボーカル:石橋凌)が出演した。


当時はARBという略称よりも

「アレキサンダー・ラグタイム・バンド」という

正式名を前面に押し出していたハズだ。


今では、役者がメインになってしまった凌さんだが、

当時は細い身体のロックンローラーだったし、

マイクスタンドアクションもシャープでカッコ良かったッス。



そのリハーサルで見ていた凌さんのマイクスタンドアクションに

目が釘付けとなり、無謀にも楽屋に

「マイクスタンド貸してください」

なんて言いに行っちゃった覚えがあります。


凌さんは、

「うーん、これはウチらのだからね。

ヤマハのスタッフに聞いてみたら」

ということで却下でした。



アマチュアの小僧が、

プロに機材借りようなんて甘いよな


ARBが注目を浴び始めた頃、

想い出しては、一人顔を赤くしたものです。

30年前のノリノリの一日でした。