Being on the Road 2

日常の中に旅があり、旅の中に日常がある。僕たちは、旅の途上。
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美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/下野探訪記 第17回

2025年01月19日 | 旅行

2024年の記録

秋の記録の最終回、帰宅した時のワン・アワー・ドライブの記録

 

 

メタセコイアの紅が眩しい。一昨年は、メタセコイア並木を求めて、滋賀県まで行った。灯台下暗しというわけではないが。

 

 

「下界に降りる」と表現するとちょっとオーバーだが、日光市足尾町と関東平野部とでは、標高差が500m以上あるので、「下界」は、紅葉のピークもグッと遅くなる。

(下野市海抜約63m、わ鉄足尾駅610m)

 

 

下野市よりさらに下って、渡良瀬遊水地に隣接する野木町は、海抜20m。旧下野煉化製造会社煉瓦窯の前にメタセコイア並木がある。滋賀県マキノのメタセコイア並木には、遠く及ばないスケールではあるが、気軽に楽しめる。

mailto:https://blog.goo.ne.jp/dandyzhen/e/82f621830a4862c51acdca4468193bb9

 

 

野木町を散策した翌週・12月に初旬に北西にある益子町散策。益子町は、下野市と比較するとちょっと標高があがり海抜80 m。写真は、県立自然公園「益子の森」の1枚。

 

 

「益子の森」の紅葉にもの足りなさを感じて、「益子の森」の反対側・南面にある益子西明寺を訪問。確かに見事な紅葉。

 

 

【メモ】

3泊4日の合宿で、大型特殊自動車(大特)免許を取ってきた。(落ちる人はいないと言われているが) 無事ストレート、卒検1発合格できた。何しろ、10回やって9回できたことが、本番でできない1発勝負激弱な人生を歩んで来たので。(笑)

 

大特免許といっても馴染みがないので、簡単に説明すると、建設機械、ラフタークレーン、フォークリフト、トラクターで、公道を走行するときに必要な免許。(走行するのみ、作業は、別の免許必要)

 

何でまぁ、いい歳をして取得することになったこというと、義父が亡くなり、継ぐはずの義弟が農家を継がず、電撃的に妻が継ぐことになったことに起因している。以前のトラクターは、小型特殊自動車は、普通自動車免許で運転できたのだが、性能がアップ、最高速度が15㎞/hを超えた途端、大型特殊自動車になってしまった。そのことを知らずに公道を運転している農家の人も少なくないが、検挙されれば、1発免停、乗用車も運転できなくなる。警察も大々的に検挙すれば、農家は大混乱、それこそ農産物の生産がストップすることになるので、今のところは、見て見ぬふりだが、警察に密告する困った輩がいるので、取得を決めた次第。

 

僕は、40年以上むかしに普通自動車運転免許も合宿で取得しているが、さすがに時代が違うので、住環境は、相部屋とはいえ、まったく別物。(完全に壁で仕切られてる。共用なのは、トイレとエアコン、それに壁が天井までないため声が漏れる。) 息子から「〇〇自動車学校の合宿って、ヤンキーばかりって口コミだよ」と心配されたが、自慢ではないが、ヤンキーとは相性が良い。高校までの友達は、ヤンキーも多い。今でもつきあっているのは、めでたく “元”ヤンキーとなって、正業に就いている。本職(指定暴力団員)になった奴とは、つきあいがなくなった。という訳で、「気合いのある若い衆がいたら、現場従業員にスカウトするか?」くらいの勢いで参加した。(我が社の現場も元ヤンがいる。)

 

実際に入校してみると、期待を裏切り、品行方正な若者ばかり。大半は、20歳前後の普通自動車免許合宿参加者で、挨拶もできるし、マナーも守る。少数だが、牽引、大型・・・・・大特の参加者の方が、多彩である。絵に描いたようなトラック運ちゃん、つまり、傾斜付きのヤクザメガネ、角刈り、部分茶髪、ピアス・・・・。一般人には、近寄りがたい“圧”がない訳ではないが、ちゃんと挨拶もするし、話せば、なかなか人懐こいイイ奴なのだ。また、先月普通自動車、今月大特、来月車両系建設機械とフォークリフト運転技能講習と矢継ぎ早に免許を取得する県の土木事務所に就職の決まった「リケジョ」(理工系女子)。資格コレクターと思しき50代前半のオヤジ。僅か4日間、毎晩、温泉に通い、楽しくすごすことができた。

 

最期に蛇足、会社を3日間休んだもののWiFiで会社と繋がっているので、PC持参で決裁業務は、滞りなく遂行。気兼ねなく会社を休めるものの、これっぽっちも休まらない。リゲイン世代の管理職は、永遠に「24時間働けますか」が続くのか? (苦笑)

 

 

旅は続く

 

過去記事は、

https://blog.goo.ne.jp/dandyzhen/0


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/鉱都足尾・秋物語 その3

2025年01月12日 | 旅行

2024年の記録

足尾の燃える秋、9月~11月の散策の記録

 

 

春、夏、秋の下野市の自宅への帰路・粕尾峠、1月中旬になると約3ヶ月間通行止めになる。11月末、安全を考慮した最後の峠越え。

 

 

冬期閉鎖になる粕尾峠は、ワインディングロードが続くが、自宅までの最短ルートになる。(冬期は、大きく迂回して、日光、今市、鹿沼を通る。)

 

 

10月末、葉が色づき始めた頃の横根山道路。横根山道路は、日光市足尾町と鹿沼市の境界上に敷設されている。

 

 

11月初旬と中旬の粕尾峠。

 

 

粕尾峠を越えた南側の上粕尾(旧粟野町)は、標高がぐっと下がるため11月末でも落葉前の紅葉が見られる。思川に沿った県道は、走りやすい。もう1つ峠(大越路峠=現在は大越路トンネル)を抜ければ、関東平野の端にある栃木市へ。

 

 

11月30日、今シーズン最後の粕尾峠。すっかり初冬の景色になった。

 

 

【メモ】

まもなくトランプ第二期政権が始まる。すでに我々の想定を超えた発言。本気か、脅しか、判別できないところが、トランプ戦略なのか? 不謹慎かもしれないが、フィクションドラマを見ているようだ。ウクライナ戦争終結は、24時間から3ヶ月間に萎んだけどね。

カナダをアメリカ51番目の州に、続いてグリーンランド(デンマーク領)を買収、パナマ運河の返還・・・・。武器は、高率関税。

プーチンとやっていることは、限りなく同じ領土拡大願望。

かつて、「北方領土返還」を掲げていた日本だが、何らかの武器で、恫喝しないと、領土など還ってこない。

カナダやグリーンランドがアメリカになっても日本には、あまり影響がないのだろうか?

武力じゃなくても経済力による現状の変更を許して良いのか?

 

歴史にIfはないけど、

太平洋戦争後に日本がアメリカに併合されて、日本がアメリカ51番目の州になっていたら?

朝鮮半島やドイツ同様、日本が東(旧ソ連)と西(アメリカ)に分断されていたら?

時代をもっと遡り、満州国がそのまま日本に併合されていたら?

 

21世紀は、激動と混迷の世紀になるのか?

 

 

旅は続く

 

過去記事は、

https://blog.goo.ne.jp/dandyzhen/0

 


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/鉱都足尾・秋物語 その2

2025年01月04日 | 旅行

2024年の記録

足尾の燃える秋、9月~11月の散策の記録

 

 

足尾は、谷にあり15時になると太陽が山影に落ちてしまい夕焼けらしい夕焼けを見ることができない。それに対して、ひと山越えた日光市清滝では、美しい夕焼けが見られた。

 

 

半月峠、細尾峠以外は、旧日光市、旧今市市ということになる。

半月峠にクルマで行くには、日足トンネルを抜け、いろは坂を登ることになるが、半月峠展望台は、旧足尾町域である。

細尾峠は、足尾と日光の境界の峠で、国道122号線の旧道になる。その下を貫いているのが、日足トンネルである。

 

 

半月峠は、中禅寺湖と男体山を一望できる絶景スポットである。半月峠と記載しているが、厳密には半月山駐車場である。

南側の雲海に覆われているのが旧足尾町である。(この雲海のお陰で、夏は80%を超える多湿と日常的に朝霧が発生している。)

北側の中禅寺湖を眺めると、抜けるような青空が広がる。

 

 

役員を迎えに東武日光駅に向かうと、駅の辺りから煙があがっている。電車は不通となり、下今市駅まで迎えに行かないと、と思いながらも、ひとまず東武日光駅へ。何のことはない、蒸気機関車が来ていた。(東武日光駅に蒸気機関車が来るのは、平日限定である。)

 

 

細尾峠は、国道122号線の日光・足尾間の難所となっていたが、日足トンネルが開通し現在は旧道となっている。すれ違うクルマも少なく、舗装されているものの、落ち葉がそのまま堆積している。

 

 

今市に買い物に行くときに利用している県道248号線と大谷川の間に広がる日光だいや川公園。オートキャンプ場を併設した自然型の公園で、以前から気になっていた。友人を下今市駅に向かいに行くときの時間調整に寄ってみた。公園の紅葉ではあるが、美しかった。

 

 

下今市駅に友人を送るときに寄った日光口PA(上り線)。今市まで来ると、標高もグッと下がり、「孫生え(ひこばえ)」で緑色になった田んぼが広がる穏やかな景観となる。

 

 

【メモ】

年末年始を息子とすごして、あらためて思ったこと。

親バカと嘲笑を買うことを覚悟して書くと、自慢の息子だ。頭(理路整然と話ができるとか、学歴とか)もルックスも僕に優っている。でも、気になることが何点かある。

勝ち目がなくても、挑戦するという気概がない。石にかじりついても、といったことをしないのだ。今の若者(といっても息子は、すでに32歳)は、みんなこうなのか?

僕は就職してからは、親からびた一文貰ったこともないし、貰いたくなかったが、息子は、買い物に行けば、チャッカリ自分のものまでカートに入れる。飯を喰いに行っても、払う気などサラサラない。母親の教育の問題なのか、僕には理解できない。

一番気になることが、中卒、高校中退、非正規、無職、半グレ・・・・・といった人を見下しているところだ。確かに息子は、それなりに頑張って、一流高校、大学、企業とエリート街道を歩んできているが、学歴、職業、収入なんてものは、人間の一面でしかない。最後の1点だけは、早々にスイッチしないと、人生の階段を踏み外すことになりかねない。親がガミガミ言って、どうにかなるものでないことが、悩ましい。

 

 

旅は続く

 

過去記事は、

https://blog.goo.ne.jp/dandyzhen/0

 


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/鉱都足尾・秋物語 その1

2025年01月01日 | 旅行

新年あけましておめでとうございます。

新年に紅葉期のブログも如何なものかと思いますが、秋のブログにおつきあい願います。

 

 

2024年の記録

足尾の燃える秋、9月~11月の散策の記録

 

 

正直なところ、僕は紅葉にあまり興味がなかったし、足尾の紅葉が、そんなに美しいものだと思っていなかった。足尾に住み、日々刻々と紅く燃える景色を目のあたりにして、紅葉の美しさ、足尾の紅葉を知った。

 

 

その1では、居宅を中心とした旧足尾町中心部の写真をアップする。

 

 

9月8日、秋雨前線のためか、激しい雨。「ああ、夏が終わったか」(足尾町掛水)

 

 

十五夜(9月17日)翌日の満月。居宅のベランダから撮影。

 

 

居宅前の足尾銅山記念館(1912年竣工の足尾鉱業所事務棟の復元)の建設も2025年5月の開館に向けて、着々と進んでいる。

 

 

11月になると足尾の美しい空が、益々美しくなる。(足尾町下間藤)

 

 

居宅駐車場前、わ鉄(旧足尾線)脇の樹々が、日々色づき、秋が深まる。(足尾町掛水・定点観測)

 

 

銀山平は、居宅と足尾鉱山をはさんで反対側に位置する。国道から外れているので、かじか荘(温泉・宿泊施設)と登山客ぐらいしか行かないが、紅葉は素晴らしい。(銀山平)

かじか荘には、庚申の湯があり、日帰り入浴もできるが、泉質も良いし、露天風呂の眺めも良い。(冬季の雪見は絶景)

 

 

足尾から粕尾峠を越え、鹿沼市粟野に通じる県道15号線の入り口から約800米のところにある内ノ籠湧水を汲んで飲用にしている。(念のため煮沸) 湧水から先に進み、粕尾峠のつづら折りが始まる手前に内ノ籠川に下りれるところがある。

 

 

11月17日前後が、紅葉のピークだったのかもしれない。11月下旬になっても、青空は相変わらず美しいが、16時をすぎると薄暗くなる。(足尾町下間藤)

 

 

内ノ籠川に1週間後の11月23日に再訪、紅葉の季節の終わった晩秋の風景が広がる。12月になれば、雪が舞うようになり、冬が訪れる。

 

 

【メモ】

年末年始、もともとTVは、そんなに見ないが、自宅でゴロゴロしているので、何となく見てしまう。昭和時代のリバイバル的なものが、多いこと多いこと。TV視聴者のボリュームゾーンが、そのまま加齢していることが明々白々。確かに30代前半以下の世代は、TVを見ない。そもそもの話、日本の平均年齢は48歳(2025年)である。国そのものが、年とってしまっているのだ。残念なことは、単に年とっただけでなく、貧しくなっている。

 

経済を活性化させて、再び豊かになるには、人口増加が肝だ。そんな話をすると、移民解禁だとか、外国人労働者の門戸を広げろ、といったことを主張する人がいるが、大きな勘違いをしている。「貧しい国に移民は流入しない」ということ。アメリカに不法移民が後を絶たないのは、アメリカが豊かで、魅力的な国だからだ。

 

人も社会も、成長とともに、できなかったことが、できるようになるが、衰退期に移行すると、今までできたことが、できなくなる。

 

例えば、僕が子供の頃、外食そのものがイベントで、外食にワクワクした。それが、外食が単に腹を満たす1つの選択肢になった。再び、外食がイベントになるかもしれない。

 

外食がむずかしくなる理由は、供給側の労働力不足も1つの原因だろう。午前11時から夜9時頃まで、毎日営業していた食堂が、定休日を設け、閉店時刻が早くなり、昼休みを設けるようになり、フロアを縮小し・・・・・・。また、ワンコイン・ランチなんて言葉が死語になり、千円でも足りなくなった。

 

最近まで、美味しいレストランをたくさん知っていることが、女性にモテる要素の1つだったが、これからは、気の利いた手料理のレパートリーが豊富なことが、女性にモテる要素の1つになるかもしれない。

 

社会が貧しくなることを良いとは思わないが、そのことに抗うことよりも経済的な貧富ではなく、精神的な豊かさを獲得する術を身につけることが、幸せへの近道じゃないだろうか。

 

 

旅は続く

 

過去記事は、

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