フィリピンのほほん生活記ー朝焼けに染められて

フィリピン・タガイタイの景色と日々の出来事を綴ったブログです。

教会での洗礼式

2019年08月19日 07時00分30秒 | フィリピンの風俗習慣

 

本日ののほほん生活記

2019.08.19 (月) 午前5時55分 靄晴れ 気温 23.8℃ 湿度 49% 西南西 1.7 m 軽風②

トランスジェンダー(体と心の性の不一致)のグレッチェン・ディエスさん(28)が16日、首都圏ケソン市クバオのショッピングモール「ファーマーズ・プラザ」で
トイレ使用をめぐり差別的扱いを受けたとして、同市のLGBT(性的少数者)評議会に被害届を提出した。
ディエスさんはモールを所有するアラネタ・センター・グループに対し、精神的苦痛などをめぐる損害賠償請求訴訟も検討中としている。(岡田薫)
                                                     2019.08.19.(マニラ新聞から)

 


 フィリピン国の宗教は、人口の約83%が、カトリック教信徒、その他のキリスト教信徒が、約10%、残りが他の宗教徒です。誕生してから、

早めに行うのが、教会での、洗礼式ですね、洗礼式は、司祭で在る、神父さんが、司る洗礼式、祭壇の前で、聖水に拠る、洗礼を行うのです。

此の洗礼式には、代父母(ニノン.二ナン)が、立ち会いますが、教会で行う、洗礼式や、堅信式、結婚式の代父母は、洗礼を受けた、

信者で在ると、聞き及んで居ります、フィリピン生活では、入学式や、色々な場面で、代父母を、頼まれる場合が、御座いますが、特に教会での、

代父母には、制約が在るのです。フィリピン国では、殆どの方が、カトリック教信徒ですから、信徒の子供は、必然的に、幼児洗礼が、

多いのです。キリスト教に付いて、殆ど知らない幼児ですから、在る年齢に、成りますと、堅信式を行い、神の子で在るとの、誓いを立てるのです。

故国日本では、カトリック信徒としての、勉強して、洗礼を受けますので、堅信式は、行わないのが、普通ですね、代父母は、本人や、両親から、

指名されるのが、普通ですが、逆には代父母に、成りたいとの、申出でが、在る場合でも、指名を断ったなら、不幸を招くとの、云伝えが、

存在するのです。(涙) 本日のフォトチャンネルは、在る日の甥っ子の、長男の洗礼式の、様子ですが、教会での、洗礼式の後、少人数で、

在った為、教会の近くの、レストランに、場所を移し、洗礼祝、食事会を、行いました。私達が移動する、ジプニーは、私が初めて、

フィリピンで、購入した、40数年前の、スクラップ部品の再生車ですね、義弟ダニロが、旅客運搬車両として、生業にしてい參りましたが、

車両の、老朽化後は、安全性を考え、旅客運搬業を、廃業しましたが、その後のジプニーは、車両の老朽後は、義弟の、パイナップル栽培の、

農作業の、手助けと成ったり、誕生会等の、大家族移動用等に、使用される事も、多いですね、日本の輸入、スクラップ部品の、再生車は、

組み立て後、40数年経過しても、腐っても鯛だったのです。(笑) 40数年前に、サラオ社を訪れ、買い求めましたのです。いすゞエルフの、

日本からの、輸入スクラップ部品を、サラオ社で、制作した、車体に組み込んだ、ジプニー(旅客運搬用ジープ)爆音を響かせ、ギンギラ車体に、

憧れたのです。フィリピン最初の、ジプニー組立工場、サラオ社と、レガスピ社が、ジプニー市場を、独占して、居たのです。m(_ _)m

    ※ 私のジプニーもサラオ社製です



 本日の起床は、午前5時でした。眠い目を、擦りながら、寝床から、這い出しました。草木も眠る、丑三つ時から、啼き出すサボン(軍鶏)は、

連呼の最中でした。カーテンを捲り上げ、眺めた東側の、パラスには、雲が掛かって居ましたね、午前5時50分に、屋上へ昇りました。

少し時間も経ち、5時55分ですが、パラス展望台の、雲の上に、陽が昇りました、本日も、好い日で、在って欲しいなぁ、(笑)

※ 私の デジブック  ※ 私の フォトチャンネル   ◎ マニラ新聞

 


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2 コメント

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Unknown (マランダイ)
2019-08-19 18:43:01
ダニエルさんこんにちは。
サラオモーターは有名ですね。
渡比初期に日帰りツアーでタガイタイに行った帰りにサラオ社見物しました。
いすゞエルフですね。4BA1型のエンジンで、こぞってこれを輸入していましたね。
その後各地にこのサラオ社を辞めた社員が会社を立ち上げジープニーを
作り始めましたね。我が家でも二台32万ペソで作ってもらいました。
モラレス社製でした。兎に角20人も載せてブレーキを踏むので一週間に一回
ブレーキライニングの交換、一ヶ月でタイヤ交換、半年に一回エンジンを下ろし
オーバーホールと本当に金食い虫でした。
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Unknown (タガイタイ・ダニエル)
2019-08-20 02:11:23
 マランダイさん・今晩は、

 >サラオモーターは有名ですね。

 私が購入時ですが、サラオ社と、レガスビ社ノニ社が在り、特徴在る外観から、
人気を二分していましたね、

 >渡比初期に日帰りツアーでタガイタイに行った帰りにサラオ社見物しました。

 あの頃は、タガイタイから、マニラまで出掛け、
絵営業していたのです、
タガイタイのは、車は殆ど、在りませんでしたね、
大音響で、爆走し、ネオンキラの、
トラック野郎並の、デコレーションで、その後音響と、ネオンに規制が、始まり、
取り外されたのでした、

 >いすゞエルフですね。4BA1型のエンジンで、こぞってこれを輸入していましたね。
その後各地にこのサラオ社を辞めた社員が会社を立ち上げジープニーを
作り始めましたね。我が家でも二台32万ペソで作ってもらいました。

 あの頃は、東南アジアで、小型で、丈夫な、
エルフのエンジンを求め、
バイアーが、日本各地の、スクラップ屋に、
走り回っていたのです。他の国でも、
船舶の動力として大人気で、
エンジンだけは、購入は、難しく、抱合せで、
他の部品も、纏めて、の契約、
其れでも、買う事が、難しかったのです。
どうして、詳しいかと云えば、親戚がスクラップ屋で、輸入も目論んだのですが、
戦争の無い国なのに、唯一、保険の効かない、
国でした。
 私の購入ジプニーは、日本円で、百万円でした。
当時の為替レートが、1ペソ42円の時代でした、

 >モラレス社製でした。兎に角20人も載せてブレーキを踏むので一週間に一回
ブレーキライニングの交換、一ヶ月でタイヤ交換、半年に一回エンジンを下ろし
オーバーホールと本当に金食い虫でした。

 今考えたら、金持ちの家にしか、車は無く、
車を持つ事が、
フィリピン人の憧れでした。購入後、義父に頼まれ、引張だされ、タガイタイから、マニラ迄、
客を乗せての走行でした。
途中私設、検問所が、設けられ、ポリスマンが、
チップを強要していましたね、
夜間外出禁止の、マルコス独裁政権下、夜間は酔った、兵隊が、実弾を撃ち鳴らす、
怖い時代でした。(涙)
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