フィリピンのほほん生活記ー朝焼けに染められて

フィリピン・タガイタイの景色と日々の出来事を綴ったブログです。

タガイタイのレーダー基地

2022年10月10日 08時26分12秒 | 或日の思い出

 

 本日ののほほん生活記

 2022.10.10. (月) マニラの日の出 午前5時47分  晴れ 気温 26.8 ℃ 湿度 80.4%  北 0.2m 平穏0


 

 私がタガイタイを初めて知った頃ですが、現在の、ボンボン.マルコス大統領の、父親で在る、フェルディナンド・マルコス・マルコス大統領の、

全盛時代、フィリピン国内には、戒厳令が、敷かれ、夜間外出禁止令が、発令されていた、最中でしたね、妻の父親が、大家族の、

家長でしたね、そんな中、台所の小窓から、パラスの山頂を覗き見、大統領が、別荘を創って居ると、ピクニックグローブ辺りから、

ゲートが構えられ、近づく事さえ、叶わなかったのです。妻の家の、台所からも、自由には覗けず、廻りを警戒し、恐る恐る、隙間からの、

覗き見でした。近隣の知り合いでさえ、誰がスパイか、分からない、疑心暗鬼の、時代でしたね、日中明るい時に、ジプニーでの、

マニラ行でしたが、近づくのにも、街道には、ポリスマンの、私設検問所が、設けられていたのです。此の頃から、通行車両から、

お金を巻き上げる、ポリスマンが、出没していたのです。又夜間には、酔っ払った、兵隊が、銃を打ち鳴らして、いたのです。妻の家族達は、

物音一つ絶てずに、息を殺し、兵隊達が、通り過ぎるのを、待って居りましたね、その後、後年に成り、エドゥサ革命が起き、

マルコス大統領は、ヘリコプターで、逃亡し、アメリカ合衆国、ハワイ州に、亡命したのです。私達は、その後にも、フィリピンに、

帰国しましたが、築造中だった、大統領の、別荘は未完成でした。その後数年が経過し、未完成の侭、タガイタイ市の、管理の下に、

ピープルスパーク.パラスイン・ザ・スカイとして、一般に開放されたのです。その後、展望台の、屋上屋根には、レーダー基地が、

創られたのですね、展望台からは、マニラ首都圏迄、一望出来るのですが、JICAの、記述から、タガイタイの、レーダー基地からは、

マニラ上空殆どを、網羅しているのですね、只改善点や、改善技術の動向等も指摘されて、いるようですね、詳しく知りたい方、JICA迄、

お問い合わせを、 タガイタイは、標高約6百m~7百mの高地です。何方の方向から、昇って着ても、着いた頂上が、タガイタイですね、

ロトンダを起点に、外輪山ロード(タガイタイ~ナスブロード)を、アルフォンソ方向に、向かいますと、セイブモアの在る、メンデスクローシングの、

大きなT字路交差点、此処を過ぎ、直進しますと、左側に、もう一箇所の、レーダー基地が、見えて参りますが、レーダー基地が、

二箇所在ると、云う事は、タガイタイが、周辺地域では、一番高所で在る、証拠ですね、気象レーダーか、航空機のレーダーかは、

定かでは御座いませんが、右手には、レーダーの塔が建ち、天辺には、廻転するレーダーが、(._.)  

※ JICA 独立行政法人国際協力機構

 


 本日の起床は、午前5時15分でした。目覚まし時計の、ベルの鳴る音に、目覚めたのです。起きられぬ時の、転ばぬ先の杖として、用意した物ですね、

既に律儀なサボン(軍鶏)は、近隣の鶏を先導しての、夜明けの連呼でした。夜明けの、パラスが靄や雲に、埋もれるのは、鬱陶しいですが、此れも自然が、

為せる業ですから、仕方が御座いませんね、マニラ新聞に拠り、マニラの陽の出時間が、1分遅れ、午前5時47分と、在りました。高地のタガイタイへは、

5分遅れの、午前5時5時52分頃でしょうね、本日も平穏な日で在って欲しいと、パラスの山に、願う私でした。(._.)


 フォトチャンネル   マニラ新聞

 


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2 コメント

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Unknown (Tomy)
2022-10-10 08:59:32
おはようございます
あのマルコス時代、フィリピン人としては嫌な思い出が多かったでしょうね
でも観光客にとって、ロハスストリートなんかは安全に遊べる場所でした
きょうは少し暑いようですが、それでもバタンガスに比べると、かなり涼しいです
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Unknown (タガイタイ.ダニエル)
2022-10-10 09:12:12
 トミーさん・お早う御座います。

激動のフィリピン時代、あの頃が在るから、
現在が在るのですね、好い事も、
多かったのでしょうね、バタンガスから帰り着き、
タガイタイの好さが、
実感できたのでしょうか、お帰りなさい、(._.)
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