本日ののほほん生活記
2022.07.02. (土) 午前5時30分 曇り 気温 24.3 ℃ 湿度 75.1% 南 2.4m 軽風②
私は移住後、妻の大家族と、共の生活ですが、昔の大家族制は、家長を頂点とする、大家族制でしたから、
食事も、家長で在る、義父を囲み、一同勢揃いをしての、食事でしたね、云わば、家長の家系ですからね、
其れが近年は、フィリピン経済の、好調さに、後押しされ、各家族にの、独自性が、出て来たのです。食事も家族、
別々に摂りますし、車を購入する場合も、各家族の事だけを、考えれば好いのですから、日本でも、戦後の復興期、
人にとの生活が、豊かに成り、核家族化が、進みましたが、フィリピンでも、人々の暮らしが好くなり、核家族化が、
進んで来たのですね、其の結果、日本では、肉親関係が、疎遠に成って来たのか、肉親間の、凶悪事件も、増えましたが、
我が大家族の間では、小さな意見の、違いも見えますが、大きな行事も、メジロ押し、そんな時には、大勢集合し、
助け合うのです。此の事は、先祖から、続けられた、風俗習慣に、拠るものか、信じる、宗教の、違いからか、日本のような、
疎遠な関係には、成らないでしょうね、核家族かは、故国日本とは、少し違いますでしょうか、我が家の、一階に住む、
一番目の義妹と、末の義妹との、行動は、歩調を合わせる、事が多いのですが、関心するのは、亡義父母への、
墓参ですね、義父母の誕生日や、命日は勿論ですが、母の日や、父の日始め、他の日でも、1週間、間の開く事は、
無いのです。他の親戚を見廻しても、万聖節位ですからね、私は東京に居た時は、年4回の節句から、お盆での、
墓参りは、欠かせませんでしたが、此等の行動を眺め、足元にも及びませんね、此の日は先に亡くなった、アメリカの、
亡義父の、弟伯父の、墓参も致しました。生花は、全て、義父母に、捧げましたので、キャンドルだけで、御免なさい、
本日の起床は、午前4時50分でした。昨日拠り、5分早い、起床でした。部屋の窓を開けたら、寒かった、此の寒さでは、
ゴキちゃんは、寒がりだから、元気が無く、未だ寝ているのだろうな、寒いから、久しぶりに、熱湯でも、浴びせて、上げようかなと、
思い立った、静かに忍び足で、近づいて見たが、姿発見できず、そんな時、やや重い、発進音が、違うバイクの、排気音が、
違う誰かが、出勤ですね、暖気運転は、しないのですね、こんな時は、優しくバイクを走らす、あの若者の、優しき心が、(涙)
律儀なサボン(軍鶏)は、近隣の鶏を混じえての、相変わらずの、夜明けの、連呼でしたね、(._.)
フォトチャンネル マニラ新聞
2022.07.02. (土) 午前5時30分 曇り 気温 24.3 ℃ 湿度 75.1% 南 2.4m 軽風②
私は移住後、妻の大家族と、共の生活ですが、昔の大家族制は、家長を頂点とする、大家族制でしたから、
食事も、家長で在る、義父を囲み、一同勢揃いをしての、食事でしたね、云わば、家長の家系ですからね、
其れが近年は、フィリピン経済の、好調さに、後押しされ、各家族にの、独自性が、出て来たのです。食事も家族、
別々に摂りますし、車を購入する場合も、各家族の事だけを、考えれば好いのですから、日本でも、戦後の復興期、
人にとの生活が、豊かに成り、核家族化が、進みましたが、フィリピンでも、人々の暮らしが好くなり、核家族化が、
進んで来たのですね、其の結果、日本では、肉親関係が、疎遠に成って来たのか、肉親間の、凶悪事件も、増えましたが、
我が大家族の間では、小さな意見の、違いも見えますが、大きな行事も、メジロ押し、そんな時には、大勢集合し、
助け合うのです。此の事は、先祖から、続けられた、風俗習慣に、拠るものか、信じる、宗教の、違いからか、日本のような、
疎遠な関係には、成らないでしょうね、核家族かは、故国日本とは、少し違いますでしょうか、我が家の、一階に住む、
一番目の義妹と、末の義妹との、行動は、歩調を合わせる、事が多いのですが、関心するのは、亡義父母への、
墓参ですね、義父母の誕生日や、命日は勿論ですが、母の日や、父の日始め、他の日でも、1週間、間の開く事は、
無いのです。他の親戚を見廻しても、万聖節位ですからね、私は東京に居た時は、年4回の節句から、お盆での、
墓参りは、欠かせませんでしたが、此等の行動を眺め、足元にも及びませんね、此の日は先に亡くなった、アメリカの、
亡義父の、弟伯父の、墓参も致しました。生花は、全て、義父母に、捧げましたので、キャンドルだけで、御免なさい、
本日の起床は、午前4時50分でした。昨日拠り、5分早い、起床でした。部屋の窓を開けたら、寒かった、此の寒さでは、
ゴキちゃんは、寒がりだから、元気が無く、未だ寝ているのだろうな、寒いから、久しぶりに、熱湯でも、浴びせて、上げようかなと、
思い立った、静かに忍び足で、近づいて見たが、姿発見できず、そんな時、やや重い、発進音が、違うバイクの、排気音が、
違う誰かが、出勤ですね、暖気運転は、しないのですね、こんな時は、優しくバイクを走らす、あの若者の、優しき心が、(涙)
律儀なサボン(軍鶏)は、近隣の鶏を混じえての、相変わらずの、夜明けの、連呼でしたね、(._.)
フォトチャンネル マニラ新聞
本当に家長の権力は絶対ですね。
我がファミリーも私の妻が家長ですので、何事も我妻の了承が無いと前に進みません。
先日は実家の二階にもう一階増築してパーティフロアーを作るとなっても妻が了承が中々出なかったので、
今年初めにやっと許可を出して増築しました。
そのパーティルームで今回渡比した際バースデイパーティをやりました。
妻の機嫌がどうかを娘に聞いてから義弟達は話をするうです。
どうしても「アテ、アテ」でかなり怖い存在の様で今回も埋葬には義母の遺骨を火葬して小さくして、亡き義母を
棺桶に一緒にして埋葬しましたね。
墓地の両隣は別の家の墓石が並んで居て空きがなかったそうです。
物凄い広い公園墓地なのに満杯の様でした。
今までの大家族制度は、経済的に誰かに頼らないと成り立たない小家族があったからですね
ある意味、支えあいの精神です
核家族化が進んできたのは、敷地内に子供や孫の世代の家を建てられるスペースが無くなってきたのと
経済的にどの小家族も自立できるようになってきたんですね
良い事ではありますが、家族の結びつきが弱くなる ・・・・ それも仕方ない事なのかもしれませんね
奥さんが家長でしたか、
実家の二階に、パーティルームを創り、
そこでの奥さんの、誕生パーティでしたか、
大家族が温かく、帰国をお待ちだったのですね、
義母さんの、遺骨を一緒に埋葬したのですね、
亡くなった義弟さんも、幸せでしょうね、
フィリピンは、人口増加中で、
何処の地域も、墓地不足、
此れからも、墓地不足の状態は、永く続きますね、
ずっと自活出来る人が、少ない状態でしたから、
仕事に困った人も多か在ったのです。
誰かに頼らないと、生きて行けなかったです。
敗戦直後の、故国日本も、同じだったのですが、
その後の朝鮮動乱の、中日本は、
隣国の不幸の中、好景気に湧き、
国中が活気づきました、此の事も核家族化に、
拍車を駆けましたね、(._.)
我が大家族にも、家長の持つ、
土地には限界が在り、
外へ新たな、家を求め、分散していったのです。
ご近所も同様ですね、
各家族の中にも、仕事に恵まれ、裕福に成り、
その者が、廻りに福を与え、
核家族化が、進みましたね、
此の事に拠り、私の負担も、
少なく成りました。(笑)
段々と各家族化が、進みきょうだい間の、
付き合いの、薄く成って行くのでしょうが、
日本のようには、希薄の度合いは、
薄くは成らず、突き進むのでしょうね、
きょうだい間の、集まりは、相変わらずですからね、結束力は頑強ですね、m(__)m