フィリピンのほほん生活記ー朝焼けに染められて

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大家族移動用ジプニーを思う

2020-06-20 07:22:38 | 過ぎた日の思い出
 本日ののほほん生活記

2020.06.20 (土) 午前5時30分 靄霧り 気温 25.3℃ 湿度 43% 南南西 0.2 m 無風0





複合企業大手サンミゲルのラモン・アン最高経営責任者はこのほど、運営する傘下の5つの高速道路における
高速料金徴収システムを完全自動化に移行させると明らかにした。コロナ対策の一環として料金所における現金の
手渡しによる徴収方式を撤廃し、無線周波数認識(RFID)タグによる徴収システムに完全移行させる。
12日付英字紙ブレティンが報じた。 陸運事業認可調整委員会(LTFRB)はすでに、高速道運営業者らに対し、
料金所を全てRFIDシステムにするよう指示を出しており、サンミゲルがまず応じることを表明した形だ。 サンミゲルの
高速運営子会社、SMCトールウエーズが今後、RFIDタグを無料で利用者に配るとしており、まずスカイウエーと
南ルソン高速道(SLEX)、マニラ空港高速道(NAIAX)の3つの高速道で今年10月15日から新システムに
移行する。その後、来年1月から残りの高速道にも順次導入される。(澤田公伸) 2020.06.20.(マニラ新聞から)



 私は妻の生まれ故郷で在る、タガイタイに移住してから、最初にライトエースと、カローラの中古を買ったのです。

移住してから、運動の為に、日本に住んで、居た頃から、親しんでいた、ボウリングを、継続したかったのです。

 故国日本でしたら、各所にボウリング場は、御座いますが、昔はオリバレスに、ボウリング場が、在ったのですが、

レーンや、アプローチには、穴が開いていたり、継ぎ接ぎだらけの、アプローチでした。その後数年して、廃業したのです。

当然のように、探し始めましたら、数あるゴルフ場の、付属施設の中に、ボウリング施設が、在る事を、知るのです。

 当然のように、会員の方に、使用して頂く、ボウリング場でした。其処で此処の、従業員と親しく成り、チームを、

持つように、成ったのです。此処で、各ボウリング施設への、交流試合が、始まったのです。此処で買い求めたのが、

ボウリング施設へ通う、ライトエースの、中古でした。義母も居ましたので、家族用に、カローラの中古車も、

購入しました。私が此処フィリピンで、最初に購入したのは、約40数年前に、購入したジプニー(スクラップ部品の再製車)です。

マニラ首都圏.ラスピニャス.サラオモーター迄、亡義父達と出向き購入したのです。 当時マニラでは、サラオ社と、レガスピ社の

二社が、ジプニー市場を、二分して居りましたが、ジプニーが花形、トラック野郎の、電飾ギラギラ並に、大音響で、客を求め、

走り抜けて、居たのです。其の後、大音響と、ギラギラの電飾は、当局の規制に拠り、消滅したのです。ジプニーは、故障の少ない、

いすゞエルフの、ジーゼルエンジンが、大評判で、小型船舶とか、各分野で、引く手あまた、東南アジア各国から、日本の解体屋には、

バイヤーが、殺到したのです。我が家の親戚が、解体屋でしたので、いすゞエルフの、エンジン輸出にも、興味を惹かれていたのです。

 処が解体業者も、人気のエンジンだけで無く、他の部品も、抱き合わせての、一括購入が、条件だったのです。其の頃、輸出する、

物品に対しての保険も、戦争も無い国なのに、受けて貰えない唯一の、最悪の国だったのです。調べていく内に、段々嫌気が募り

 諦めたのです。 そして我がジプニーは、義弟(ダニロ)が、約30年近く、ドライバーとして、業合としていましたが、老朽化に拠り、

廃業したのです。 我がジプニーは、故障も少なく、購入後一回の、エンジンを、乗せ換えましたが、現在も元気に、パイナップル運搬と、

大家族移動用ジープニーとして、元気に走り廻って、居るのです。後部座席が、私の優先席、此処でカメラを外に、向けるのです。

他の車の場合は、助手席が、私の優先席、此れは大家族内の、暗黙の了解事項です。此の日のお出かけは、二番目の義妹(ソピア)の、

長男(ジロウ)宅、次男(ロレン)の、7歳の誕生会でした。家族が多いと、名前を覚えられません。今確かめたのです。(涙)





 本日の起床は、午前4時でした。起きてから眺めた、東北東の、パラス展望台方向は、暗い雲が立ち込め、夜明けは遅いと、

感じましたね、相変わらず元気な、サボン(軍鶏)の連呼が、夜明け前の空に、響いていましたね、昨日も、強めの夕立が、辺り一面の、

汚れを流して、くれましたね、この時期の、雨はつきものですが、新型コロナ渦が、やってきる前の、タール火山の、火山灰をも、洗清め、

以前の姿にも、戻ってきたようにも、感じて居るのです。(嬉) 私達の、外出禁止も、既に3ヶ月にも、及ぶのですね、(涙)


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タガイタイ市役所

2020-06-10 07:19:58 | 過ぎた日の思い出

 本日ののほほん生活記

2020.06.10 (水) 午前5時20分 靄曇り 気温 22.6℃ 湿度 49% 北西 0.2 m 無風0





出入国管理庁は8日から、首都圏マニラ市イントラムロスにある本庁舎を一時閉鎖した。新型コロナウイルス感染検査で
職員が陽性となったことが理由で、消毒作業と、職員や来庁者の安全を守るための措置。入管庁によると、今月2日に
本庁舎の職員数百人を対象に簡易抗体検査を実施し、このうち1人から陽性反応が出て、
再検査でも5日に陽性が確認された。                       2020.06.10.(マニラ新聞から)



 私は妻と娘と、東京で暮らして居りましたが、還暦を期に、妻の生まれ故郷で在る、タガイタイに移住んだのです。

妻は近所には、幼馴染ばかりですから、何かと心強いですね、又フィリピンは、母系社会の、大家族制度、廻りには、

義弟家族や、義妹家族の中ですから、何の心配も、要らないですね、亡義父の亡き後は、亡義母が家族の、纏め役、

義母の人生で、最後の瞬間迄、見届ける事も、出来ました。此処に暮らしてから、大きなモールも、さん箇所も、

出来たのです。もう近隣の、大都市迄、出掛ける必要も、御座いませんね、只年一回は、マニラの、入国管理局迄、

年次報告をは、しなければ、行けないのです。タガイタイからバスに乗り、片道3時間の、道行きは、移住者の義務ですね、

そんな処に、朗報が舞い込みました。タガイタイ市役所内に、入国管理局の、出張窓口が、出来たのです。タガイタイには、

別荘住まいの、外国人も多く、必要に応じて、オープンしたのでしょうね、私達は実地見聞に、向かいました。改築された、

市役所は、今までと違い、綺麗に成りましたね、之からは、年次報告に、凍えつく、冷凍バスに揺られ、途中イムスの、

大渋滞を、抜ける事も、無くなりますね、丁度7年前の事でしたね、その後の新年から、市役所内の、入国管理局、

出張窓口に、出向きますと、廃止された後でした。その後ダスマリニャスの、ロビンソンモール内に、移動したのですが、

もうマニラの、本局にも、出掛ける事も、無くなりました、見も凍る寒さとは、おさらば出来たのです。(笑)

 タガイタイの、市制創設は、1938年6月21日ですから、今年は82年目に成るのですね、

本日は、タガイタイ市役所、7年前の写真からです。m(_ _)m





 本日の起床は、午前4時40分でした。暫し脳裏を、覚醒致します。その時に、壁掛け時計の、午前5時を知らせる、

チャイムが成りました。外から聞こえる、トライシクル(サイドカー付きバイク)の、エンジンの始動音が、軽やかに聞こえました。

 長い沈黙から目覚める、生活音でした。今回の新型コロナウィルス騒動も、終息が近いのでしょうか、相変わらず、

元気なサボン(軍鶏)は、夜明けの連呼ですね、昨日義弟から、ブランデーの、差し入れが在った、(嬉)


   フォトチャンネル   マニラ新聞


フィリピンに移住した歓

2020-06-04 07:28:13 | 過ぎた日の思い出

 本日ののほほん生活記

2020.06.04 (木) 午前5時15分 靄晴れ 気温 22.7℃ 湿度 47% 南南東 0.1 m 無風0





在フィリピン日本国大使館(マニラ)は2日、領事窓口業務のうち戸籍・国籍、証明について、緊急案件以外の受け付けも
再開することを明らかにした。これにより業務対応は当面(1)邦人援護=従来通り(2)旅券、戸籍・国籍、証明、
在外選挙名簿人登録申請=いずれも来館予約制(3)査証=引き続き外交、公用、緊急・人道案件のみ受け付け?となった。
 同大使館は3月20日に戸籍・国籍、証明などについては、期限が迫っている緊急案件のみ受け付けることを発表していた。
 なお、独立記念日の6月12日(金・祝)は休館日で、緊急時の連絡先は邦人援護ホットライン(電話02ー8551ー5786)。
                                               020.06.04.(マニラ新聞から)




 私は移住後、体調が思わしく無く、大阪の病院に、二回も入院し、退院後定期的な、通院を行って、いたのです。娘が大阪に、

住んで居るので、大阪の人間ドックの、検査を受ける為、娘に相談したのが、きっかけでした。身体が浮腫み、息苦しく、

脈を測ると、休む事も、多かったのです。検査を受けますと、予想した通り、検査処では、無かったですね、病院を紹介して頂き、

其の足で、即入院でした。最悪な事態でしたね、退院後何年通ったのでしょうか、フィリピンの、病院に変わりたいと、申し出ても、

医師は首を、縦には、振らないのです。そんな時に、大阪の町を、散策致しますが、シャッターの降りた、店舗ばかり目に入ります。

 人々を観察しますが、少子高齢化の波は、肌で感じ取れました。東京も同じ感じでした。此の頃の、日本と、フィリピンのを、

人の様子や、商店の様子が、自分の目で、実感出来たのです。日本と比べて、フィリピン国は、子供が溢れて居ると云う、

感じでしたね、正しく逆の対比、本日調べますと、平均年齢が、日本の47歳に対し、フィリピン国は、2,017年の統計では、

23.5歳でしたね、人口も、2,028年には、1億2,300万人越えで、故国日本と、逆転するのですね、フィリピンの経済成長率は、

2,012年から、5年連続6%を越え、故国日本の、0,37%を、大きく引き離して居りますね、戦後バングラデッシュと並び、

世界のお荷物と蔑まされた国が、嬉しいですね、フィリピンで、温かく接してくれる、子供達を見ていると、何時の間にか、

自分も元気を、頂いて、居るのが、分かるのです。モール等でも、大きな荷物を、抱えますと、空かさず若者が、お手伝い致しましょうと、

飛んで来るのです。そんな時には、移住した、喜びを、感じるのです。感謝の気持ちからか、涙も滲みます。m(_ _)m





 本日の起床は、午前4時30分でした。理想的な起床時間でした。居間のカーテン越しに眺めた、東の空は、未だ暗かった。

 空を眺めてから、屋上への、登頂時間を、模索するのです。暗いと、オートでの、シャッターが、切れないのです。此れが毎朝の、

鬩ぎ合いですね、何時ゴキちゃんが、出没しても、好いようにと、湯沸かし器の、電源は、入れて在ります。其処へ瞬間、

敵が通り過ぎました。流しの下の扉に、隠れました。得意の隠遁の術ですね、本日は失敗でした。沸かしたお湯は、夜明けの、

コーヒーとして、ネスカフェを溶かして、私に胃袋に、注ぎ込みました、哀しい夜明けでした。楽しみは明日に、(笑)


  フォトチャンネル   マニラ新聞


あぁやんなっちゃった

2020-05-13 07:45:44 | 過ぎた日の思い出

本日ののほほん生活記

2020.05.13 (水) 午前5時20分 靄晴れ 気温 22.9℃ 湿度 53% 東北東 3.5 m 軟風③



フィリピン気象庁は12日、ミンダナオ島東の太平洋上にある熱帯低気圧「アンボ」が数日内に
ルソン島南西部ビコール地域に上陸する見通しであることを明らかにした。 日本の気象庁によると、
日本時間12日午後3時現在、アンボは太平洋上を北北東にゆっくり進んでおり、中心気圧は
1006ヘクトパスカル、最大瞬間風速は23メートル。あす午後には台風に発達する見込み。
                                  2020.05.13. ( マニラ新聞から)



 何ヶ月前でした、我がブログが、投稿出来なかった事が、在ったのです。その時は、もう一つのブログとの、

解除間違いだと、自分の云いい聞かせて、居たのでしたが、その後も、混線らしき、現象が現れ、

goo事務局と、やり取りを行い、混線はあり得ないとの、返答を頂き、一方を解除したのです。そうしたら、

其の一方に、反応して、毎日行う、ブログには、投稿が出来無い、昨日でした。先日迄は、順調に、

来ていただけに、がっかりでした。でも時間を、持て余す、対策として、始めたブログですので、成り行きに、

任せようと、考えた、今日此頃です。本日は、タガイタイで、一番高いと、云われる、ペトロン洗車場の、

様子ですが、作業料金は高いですが、その分他では、味合えない、満足感を、与えて頂けるのです。

 順番待ちの間、食事をしたり、近所の、ペットショップを覗いたり、外輪山道路に多い、街路樹に、

根を下ろした、着生植物を、見て廻るのです。時々は、着生植物の、王様で在る、着生蘭にも、

お目に掛かれるのです。タール湖から、吹き上がる、上昇気流に、着生植物の、種も混じるのですね、

私もベランダでの蘭栽培で、種袋が膨らんで破け、塵のような種が、舞い上がるのも、目撃しました。





 本日の起床は、午前4時30分でした。丑三つ時前から、啼き始めた、サボン(軍鶏)は、就寝前から、

啼き続けて、居るのです。交代交代で、駅伝方式で、啼いているのでしょうね、夜明けに啼く、

鶏の常識は、フィリピンに来て、打ち砕かれました。喧嘩に強く成る、サプリメントの、お陰でしょうね、


   ※ マニラ新聞