2016年の大晦日にこの一年を振り返る。
私自身の事を振り返れば、良い年であったとは思えない。その要因の一つはすでに老境に至り、一般社会(現役社会)からの距離が出来た事に起因しているのだろうと感じている。要するに活躍した実感がなかった。背景には日本国内外の閉塞感に似たストレスがあっただろう。
そして変化を求める結果にも繋がった様にも思う。激しい論調を発する者を自分達の指導者に求めたり、自ら選んだ指導者を自ら退任に追いやる。背景に其々の社会が経験した現象と、各国毎の文化と、国民性が現れた事は否定できないだろう。
為政者側も国民もそれぞれに身勝手さが強調された一年だった様に思えてならない。
そんな傾向が来年以降も続くとだろうと思える寂しく感じる一年であった。
冒頭に書いたが今の私の境遇に於いてのニュースソースは各種メディアが主で、以前と大きく違っているのは実社会の中に身を置いて世の動きを肌で感じ取る機会がなくなった事だ。そして其の事が否応なく発信主体の素性を知る結果になった。無責任、ご都合主義、無責任、受けを狙っただけの論調、そこに中立、公平、正義は無くなった。
何時の時代にも多様な価値観は存在したのだが、其々が、あまりにも好き勝手な事を無秩序、無責任、かつ感情的に発信した。そんな一年ではなかっただろうか。
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