だーわーの一日一膳

だーわーが日々どうでもいいことをだらだらと綴るブログ。暇つぶしにどうぞ。

15年前。

2010-01-17 18:39:52 | Weblog
昨日・今日と大学入試センター試験が行われてましたね。
だーわー宅は近くに熊本大学があり、すごい数の受験生がいました。
自分が受験したのは15年前。ついこの前のような気がします。



15年前の今日。



だーわーはセンター試験が終わった2日後でした。
学校に行く必要はなかったので、少し朝寝したあと起きて、テレビを点けて。
画面に映し出された映像は、とても非現実的に見えました。
崩落したビル、横倒しの阪神高速。まるで空襲のあとのような映像。
何が起こってるのか、頭は理解していますが受け止めきれていない自分。
湾岸戦争勃発時も似たような感覚に襲われましたのを思い出しました。


自然の前では本当に無力な人間。
いつ自分たちの身に降りかかってもおかしくない。


もし、自分の身に起きていたら?


もし、自分の身近な人が多く亡くなったら?




もし、自分が死んでいたら?





いつか自分の身に降りかかったとしても後悔しないように
毎日、一所懸命頑張って生きて行きたいですね。
そして、自分を支えてくれる家族や友人、そして
今これを読んでくれている皆さんに、あらためて感謝を。



ありがとう。




阪神・淡路大震災。
死者6,463名。

亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りします。

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6 コメント

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15年後 (33年寝太郎)
2010-01-17 20:09:32
15年前のあの日、私は横浜橋の鮮魚店で働いていました。お昼休みにニュースで見た映像の衝撃と言ったら・・・

あの年は地下鉄サリン事件もあって、自然の恐ろしさと人間の愚かさをまざまざと見せつけられた年でした。

そして今、ハイチの大地震・・・

人間はいつどこで何が起きるかわかりませんよね。

でも普段はそんなことすっかり忘れて飲み歩いていたり・・・

とかくこの世はむずかしい・・・

なかなか不惑には達せられそうにありません。
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15年前 (がむ)
2010-01-17 21:31:10
15年前もワタシも横浜にいました。
明るい引きこもりの大学生でした。

地震も朝からのテレビで知りましたが
現実感が無かったのを覚えています。

地下鉄サリンの朝は会社をサボった彼女と遊んでいましたが、
彼女が普通に出勤していたら被害に遭っていたかもしれませんでした。

いつどこでなにがあっても悔いのないように生きたいものですが
いつどこで死んでも悔いは残るんだろうなぁ…
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15年前 (ユースケ☆)
2010-01-18 07:39:43
15年前のその日は朝方親から起こされて地震に気づき机の下に隠れていました。
当時中1の私はあまりの揺れの大きさに何が起こっているのかよく分からず
寝ぼけまなこのまま、船酔いしそうだ。。。とか思っていたのですが
いつもの通学路を歩いている時に倒れている木やひびの入った地面のアスファルトを見て
その恐ろしさを実感しました。
一時的に転校生も増えました。

またいつ起こるか分かりませんが、
二度と同じような悲劇が起こらないよう祈るばかりです。
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>33年寝太郎殿 (だーわー)
2010-01-18 11:15:20
いつ何が起こるか解らないからこそ、
後悔しないように一所懸命飲み歩きましょう!w
日々飲んでる美味しいお酒も、飲める喜びを
忘れちゃいけないですよね。
頑張って飲みましょう!(違うか)
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>がむ殿 (だーわー)
2010-01-18 11:17:12
地下鉄サリン事件も私たちには現実味のない事件だったんですが、
ホントわずかな差で被害にあってたかもしれないですよね・・・。
悔いを残さず死ねるってのはまだ想像がつきませんが、
「もうやる事がない」くらいになって死ねたら
きっと素晴らしいだろうなぁと思います。

私の目標は130歳くらいまで生きることですw
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>ユースケ殿 (だーわー)
2010-01-18 11:19:52
そっか、実際に揺れを体験してるからオレたちとはやっぱり
受け止め方も違うよね・・・。
「現実」だったんだから。
ホント、こんな惨事がもうないように願いたいね。
オレたちは祈るくらいしか出来ないけど・・・。
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